監督・脚本 ジェイソン・ライトマン 出演 ジョージ・クルーニー、ジェイソン・ベイトマン、ヴェラ・ファーミガ
出だしはたいへん快調である。小さなキャリーバッグにカッターシャツ、ネクタイ、下着などをてきぱきと詰め込む。バッグをひっぱり歩く。曲がり角。くるっ、くるっ、と最短距離で曲がる。キャリーバッグの扱いになれている。
それもそのはず。年間320 日も出張している。ジョージ・クルーニーの仕事は、リストラ宣告である。リストラ宣告ができない気の弱い(?)上司にかわって、代理でリストラを宣告する。(へえっ、こういう仕事があるんだ。)そういう非情な仕事を、毎日毎日テキパキとこなしている。その具体的な「日常」として荷物のパッキング、キャリーバッグの使いこなしがある。こんな具合に「日常」が正確に描かれると、映画はとても活気づく。細部のアップから、生活そのものがあふれてくる。
バーで知り合った無数のカード(優待カード)を互いにみせびらかしあって、意気投合するシーンなんかにも、その「異常」が「日常」にかわってしまう感じを絶妙に表現している。
ジョージ・クルーニーの甘い顔、笑顔、それに丸みのある声が、非情な(異常な)仕事とアンバランスで、とてもいい。仕事の非情さ(異常さ)を隠し、非情を「日常」に変えてしまう。そこでは「異常」であればあるほど、それが「日常」なのだ。観客ができないこと、しないことが「日常」なのだ。
「仕事を失うと、こどもから尊敬されなくなる」と訴える社員に、クルーニーは次のようなことをいう。
そこで語られることも、一種「異常」なのだけど、クルーニーの顔からこぼれるようなひとなつっこい目が、それを「日常」に変えてしまう。(クルーニーの目を思い出しながら読んでください。)
「こどもたちがスポーツ選手にあこがれる(尊敬する)のはなぜ? 夢を追っているからだ。あなたは、仕事をうしなうと尊敬されないというけれど、いまでも尊敬されていないのでは? 夢を追っている姿をみせていないのでは? あなたには夢がありませんか? フランス料理をつくること、シェフが夢なのではないですか? この会社にはいる前に、フランスまで行って修行している。いまこそ、その夢に向かって前進するチャンスなのではないですか?」
あ、すごいですねえ。ぐぐっときますねえ。フランス料理をつくることはできないけれど、シェフが夢ではないけれど、そうか、夢を実現するチャンスか……。説得されてしまいますねえ。
説得というのは、「異常」事態を「日常」として受け入れることなんですねえ。
でも、おもしろいのは、このあたりまで。
後半は、いったい何をやっているの? 奇妙な家族愛という「日常」がクルーニーの「異常」を告発しはじめる。ぜんぜん、おもしろくありませんねえ。映画なんて、どっちにしろ絵空事。「日常」で批判されたくないなあ。映画を見るのは、映画でしかありえない「異常」が「日常」に侵入してきて、「日常」を活性化してくれるから。ただ、それだけである。
愛に気づくクルーニーなんて、おもしろくないねえ。せっかくの色男なんだから、色男ならこんなことができる。こんな勝手な生きかたができるという「夢」をくれなくっちゃあ。
後半は、まあ、眠っていてください。
でも、最後の最後、クレジットが流れているときだけは目を覚ましていてください。「異常」なことが起きます。そこに「夢」があります。本編のストーリーが終わったからといって席を立つひとは、この「夢」を知らずに映画館をでてしまうことになります。
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