詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

駱英『小さなウサギ』(4)

2010-03-30 00:00:00 | 詩集
駱英『小さなウサギ』(松浦恒雄訳)(4)(思潮社、2010年03月01日発行)

 駱英のことばは、「或いは逆に、」「同時に」「または」など、さまざまな「接続詞」を接着剤にして「絡み合う」。その絡み合いを、駱英は「抑えることができない」。それは、そして、「ことば」の絡み合いなのだ。ことば自身の運動なのだ。
 あらゆるものが、ことばとして動いていく。
 「オタマジャクシ論」のなかに、

私と言葉の私たち

 という表現が出てくる。「私」という単数の存在が、ことばになると「言葉の私たち」と複数になる。「言葉の私たち」とは、具体的には、たとえば「オタマジャクシ論」のなかの「オタマジャクシ」であり、「小さなウサギ」の「ウサギ」である。
 
 ウサギの身分によって、都会の高層ビルの企業で育てられるのは、幸運である。
                     
 「小さなウサギ」の書き出しの、この「ウサギ」は、「都会の高層ビル」「企業」ということばに出会い、それと絡み合うとき、どうしても「人間」に見えてくる。「ウサギ」は「人間」の「比喩」に見えてくる。そうとらえてしまう。
 けれど、それは「比喩」ではないのだ。(比喩と呼んでもいいのかもしれないけれど、私はあえて比喩とは呼ばない。)
 それは「言葉の私・たち」の「ひとり」である。複数ある「ことば」のなかの「ひとり」である。

 あ、うまく言えない。

 「ことば」を通して「私」は行き来する。「私」は「ウサギ」ということばをとおって「企業」に行く。そして「ウサギ」をとおって「私」に帰ってくる。あるいは、「オタマジャクシ」あるいは「ゴキブリ」をとおって。
 その「通り道」はひとつではなく「複数」ある。その複数が「言葉の私たち」の「たち」なのだ。そして、それは「複数」だけれど「ひとつ」である。それは「私」という単数と向き合っているからである。その「ことば」を通るとき、「私」はあくまで「私」であって、「私たち」ではない。

 なぜ、駱英は「私と私の言葉たち」と書かないのか。そんなふうに、逆に考えてみた方がいいかもしれない。そうすると、駱英のことばがくっきりと見えてくるかもしれない。(あるいは逆に、と駱英をまねしてみようか……。)
 駱英は「ウサギ」「オタマジャクシ」など複数のことばを通るが、そのことばを通るとき、それが複数であっても「ひとつ」であるということが関係している。「同時に」に二つのことばを(複数のことばを)通ることはないのだ。「私」はあくまで「私の言葉」を通る。その瞬間においては。つまり「ウサギ」と書くときは、あくまで「ウサギ」を通るだけであって、同時に「オタマジャクシ」を通ることはない。
 もちろん「オタマジャクシ」を通ることはあるが、そのときは「オタマジャクシ」だけを通る。
 そして、その「ウサギ」と「オタマジャクシ」は、ある接点(求心、ととりあえず呼んでおく)で交錯する。区別がつかないものになる。駱英は「ウサギ」である。「或いは逆に、」「ウサギ」ではなく「オタマジャクシ」である。つまり、「ウサギ」であり、「同時に」「オタマジャクシ」である。「ウサギ」であり、「または」「オタマジャクシ」である。交差する一点(求心)から「ウサギ」「オタマジャクシ」という方向に分裂していく。遠心する。その遠心した「ウサギ」や「オタマジャクシ」が「言葉の私たち」なのだ。

 これは、なにも「ウサギ」だけにかぎったことではないのだ。「小さなウサギ」のなかの「言葉の私たち」は「ウサギ」だけではなく、実は「都会のビル」「企業」でもある。それは入れ替え可能というより、からみあっている。「ウサギ」が「私」であると同時に、或いは逆に、「都会のビル」や「企業」が「私」でもある。
 それは、相互に行き来する。
 何もかもが、行き来する。
 ことばのなかで、行き来しないものはなにもない。

 「ウサギ」は「比喩」ではない--私がそういうのは、そのためである。「ウサギ」が人間の比喩ではなく、「都会のビル」や「企業」が人間の「比喩」であるということも、駱英のことばの運動では、「等価」なのである。

 ある企業とある企業が等価交換されることを「双方勝ち」と言うが、実際には、勝ちも負けもない。

 これは「小さなウサギ」のなかの1段落の文章だが、「ウサギ」と「企業」と「人間(私)」もまた「等価交換」される。つまり、相互に行き来する。すべては一であり、或いは逆に(つまり、同時に)多である。そして、それは「ことば」において、そうなのである。

 ここで、私はまたまた最初に書いたことにもどる。松浦の訳について書いた不満にもどる。唐突に。あるいは、逆に、必然的に。

 ゆえに死は、敬意を受けねばならない。それで始めて死者とともに死を消滅させることができるのだ。

 この「それで」という日本語。これが、私にはどうしてもわからない。中国語がわからないが、詩集のおしまいから横書きで書かれている中国語から、この部分を日本の漢字(?)にして引用すると、それは、

 因此死亡必須受到敬仰、然后才能和死亡者一起被消滅

 であると思われる。「それで」と松浦が訳したことば(漢字)は「然」であると思われる。接続詞としてつかわれるとき「しかして、しこうして」「しかるに」「しかれど」「しからば」「しかも」となるらしい。
 こういうようなことを踏まえて、松浦は「それで」(そうすることによって--つまり、「死は敬意を受け入れることによって」)と訳しているのだと思うが、これは「然」の別の意味でとらえ直した方がいいのではないのか。
 私は何度も「一即是多」「多即是一」と書いてきたが、そのときの「即」。「即」はまた「則」でもある。「すなわち」。……すれば、すなわち……になる。そこには厳しく密着した運動、変化がある。
 死は敬意を受け入れる。受け入れれば、すなわち、それは死は消滅する。死は消滅し、死は存在しなくなる。「或いは逆に、」と駱英は書くのだが(これを中国語で何というのか、私は知らないが)、即(則)は、そういう「逆」になることも可能である。強い力で結びつくとき、あらゆることばは逆の意味を軽々と獲得する。

 中国語をまったく知らないし、漢字の正確な意味も知らないのだが、駱英の今回の詩集には、もっと違った訳があってしかるべきなのではないか、と思ってしまった。何か、つまずくのである。もっともっと、凝縮した密着感がほしい。ことばからことばへとことばが動くときの、絶対的な接点がほしい、と思ってしまうのだ。
 「恣(ほしいまま)」と思われることばが「欲しいまま」という表記で書かれていたり、「ほしいまま」になっていたりするのも気になった。


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