詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

駱英『小さなウサギ』(松浦恒雄訳)

2010-03-27 00:00:00 | 詩集
駱英『小さなウサギ』(松浦恒雄訳)(思潮社、2010年03月01日発行)

 駱英『小さなウサギ』の各詩篇には日付が入っている。時間や場所も書かれている。時間まで書かれたものは、それが書きあがったときの時間なのかもしれないが、私は、それを書きはじめた時間と考えたい。ことばにとてもスピードがある。駱英のことばは強靱でスピードがあるが、その強さはスピードがもたらす強さのように感じられるからだ。たとえていえば 100メートル競走の選手の筋肉のような強さ。スピードが鍛え上げた強さ。
 そして、その時間、たとえば「二本の樹」の「二〇〇六年六月六日 三時十六分 ロサンゼルス・ルイズホテル」の「三時十六分」は書きはじめであると同時に書きあがった時間にも思える。そういうことは物理的には不可能だけれど、ことば自身の運動としては可能である。スタートした瞬間がゴール。そこには距離がない。時間がない。はげしい凝縮と同時の爆発があるだけだ。
 矛盾している。--そうなのだ。矛盾しているのだ。それが、駱英『小さなウサギ』である。たとえば、冒頭の、「二〇〇六年六月五日 ロサンゼルス・ルイズホテル三〇一号室」というメモをもった「死者に」の終わりの方、

 最も優れた死者は、気の狂う間もなく死んだ死者である。或いは逆に、死んでからも気の狂いつづけている死者である。

 「或いは逆に、」ということばをはさんで、まったく逆のことが書かれている。ことばはまったく逆の方向へ動いている。こういうことばに対して、どちらが本当なのか、と問うことは無意味である。どちらも本当なのだ。そして、それはどちらかを欠いてしまったら「本当」にはならない。矛盾しているふたつが結びついてこそ「本当」なのである。生まれてきたことばが、反対のことばによって殺され、殺されることで、殺されたことばはよみがえる。
 この詩の最後の1行は、

 或いは死が。

 である。
 「或いは(逆に、)死が」どうしたのか。「述語」がない。何が省略されているか。前の部分を引用してみる。

 朝まだき、まだ開かれていないカーテンの隙間から、ある種の寛容さを装い、陽の光が、傍観者或いは謀殺者の身分で私のベッドを訪れる。そして始まる。
 その神聖なる謀殺--
 或いは死が。

 「或いは(逆に、)死が」「始まる。」そう読むことができる。このとき学校教科書の文法では、「謀殺者」によって「謀殺」された「私(駱英)の死」が始まるということになるのだが、詩の場合はそうではない。神聖な謀殺によって、「私の死」ではなく、「逆に」謀殺者自身の死がはじまる。
 傍観者も同じである。謀殺を目撃する。「私」が謀殺されるのを傍観する。そのことによって、「逆に」傍観者自身が死ぬ。
 そして、「逆に」、詩人である私・駱英が生き残る。生き残る、というよりは新しく生まれる。殺されることで、殺される前よりも、強靱になって生まれ変わる。死とはなにか、殺すとはなにか、殺されるとはなにか、その両者のあいだにいったいどんな関係があるかという「思考」を経て、殺される前には考えなかったことばを「肉体」にまとって生まれ変わる。その証拠が、この詩、「死者に」である。
 したがって、タイトルの行っている「死者に」の「死者」とは、殺された「私」であり、また「私」を殺した謀殺者、「私」が殺されるのを見ていた「傍観者」--そういうすべての人間を指す。



 「或いは逆に、」--これが、駱英のキイワードである。矛盾を抱え込み、凝縮し爆発することばの運動のベクトルは、かならず「或いは逆に、」をとおるのである。この詩には、あらゆるところに「或いは逆に、」が省略した形で書かれている。省略してしまうのは、そのキイワード、その「思想」が駱英の「肉体」になってしまっているからである。駱英には、たぶん、そのことばを書いた記憶というものはない。無意識に書いている。意識できないほど「肉体」にしみついている。
 「或いは」とだけ書かれ、「逆に」が省略されているわかりやすい例をひとつあげておく。

 建築物は、死者を収める箱である。或いは死者によって設計、建造され、死や死者に供される共有の仕事台である。

 この「或いは死者によっては」は「或いは逆に、死者によって」である。だが、単純に「逆に、」を挿入してしまうと、文章がわかりにくくなる。

 建築物は、死者を収める箱である。或いは「逆に、」死者によって設計、建造され、死や死者に供される共有の仕事台である。

 「共有」ということばが、文章の「意味」を成り立たせなくする。「建築物は、死者を収める箱である。」というとき、そこには建築物を、設計、建造する「生者」という「主語」が省略されている。建築物が、そうではなく「逆に」死者によって設計、建造されるのであるなら、そこに「生者」という「主語」がまぎれこんで「共有」するというのは、おかしくない? 文章として、奇妙にねじれていない?
 そう、ねじれている。私は、そう思う。そして、そのねじれこそが「思想」なのだ。「矛盾」と同じように、深く肉体にからみついた「思想」なのだ。
 ここには、いくつもの「省略」がある。ことばにされなかったことばがあるのだ。「逆に、」と同じように、書かれなかったことばがあるのだ。
 補ってみよう。

 建築物は、死者を収める箱である。或いは「逆に、」死者によって設計、建造され(る箱である、とも定義できる。それは、つまり)、死や死者に供される(生者と死者の)共有の仕事台である。(なぜなら、死が存在しないかぎり、死者を収める箱としての建築物は不要だからである。)

 これは、「弁証法」である。「生者」が建築物を設計、建造するという定義(A)。「死者」が建造物を設計、建造するという定義(B)。これは「生者」「死者」という対立する「主語」による同じ運動である。AとBは同時には成立しえない。それを同時に共存させるためには、一種の「迂回路」が必要である。「死者か存在する」という「迂回路」を経ることによって(死者か存在する、というのは生者と死者の両者が存在してはじめて成り立つ定義・認識である。「共有」される定義・認識である)、統合される。止揚される。完結した「意味」をもちうる。
 こういうまだるっこしいことは、詩では一々書かれない。省略されてしまう。そのために、はげしい矛盾が噴出する。その矛盾が、爆発し、そしてきらきら輝いて巨大な宇宙になる。
 駱英のことばの運動は、そういうことろにある。



 この詩集には、駱英の原文も同時に掲載されている。私は中国語はまったくわからないのだが、松浦の訳について1か所、疑問点を書いておく。疑問点というより、「要望」と言い換えたほうかいいかもしれないが。
 はじめの方にある次の部分。

 ゆえに死は、敬意を受けねばならない。それで始めて死者とともに死を消滅させることができるのだ。

 この「それで」とは何だろう。「それ」は「敬意を受けること」、「で」は「よって」だろうか。つまり、「それで」を言い換えると「敬意を受けることによって」になるのだろうか。
 「それで」が中国語でどういうことばになるかわからないが、ここには、やはり「或いは逆に、」につながることばが省略されている。
 死は(生者からの)敬意を受け入れる(ことで死として存在する)。「或いは逆に、」死は敬意を受け入れることで、死を消滅させることができる。つまり、生者のなかで「死者」としてではなく「いのちある人間、生きている人間=生者」としてよみがえる。そうやって、「生者」と「死者」は「死」を「共有」する。
 私は、そんなふうに読むのだが、こういうことばを入れる器として「それで」は、あまりにもぼんやりしている。駱英のことばのスピードと強靱さにふさわしくない。特に「それで」ということばの軽さは、駱英のことばの強靱さにふさわしくない、と思う。
 中国語も読めず、しかも、駱英のことばのスピードと強靱さを松浦の訳から感じ取りながら、こういうことを書くのは矛盾してるとはわかっているのだが……。



小さなウサギ
駱 英
思潮社

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