詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

粕谷栄市『遠い 川』(18)

2010-12-16 23:59:59 | 詩集
粕谷栄市『遠い 川』(18)(思潮社、2010年10月30日発行)

 「夢の墓」は、タイトルそのものがすでに二重の「意味」を持っている。夢で(眠りのなかで)見た墓、理想の(夢の)墓。そして二重でありながら、ひとつの「意味」であるとも言うことができる。夢で見た夢が夢の墓である。眠りの中で見た墓が理想の墓である。どっちだろう。

 寒い霧の暁、ひとりの男が、石の墓を抱き起こしてい
るのを見た。何故か、私は、その墓地にいて、鉄の柵を
隔てて、そのすがたを見ることになった。どこからか、
僅かに光が洩れていて、一瞬、その彼が見えたのだ。

 「何故か、」ということばが、この描写は夢であると告げているかもしれない。眠りのなかで見た「無意識」の世界。無意識だから、その理由を、意識として書くことができない。「何故か、」とわからないものとして書くしかないのだろう。
 この「わからない」は、少しことばが動いたあと、次のことばに変わる。

 重い石の墓を、彼は抱き起こしていた。その前のこと
も、その後のことも、私は、知らない。

 私はびっくりしてしまった。あらゆるものに「持続」がある。時間の前後がある。それは私たちが意識的に理解していることなのか、それとも無意識的に納得していることなのかよくわからないが、あることがらには「前後」というものがあり、その「前後」には「接続」があり、一定の「持続」があると思っている。粕谷もそう思っているからこそ、あえて、「その前のことも、その後のことも、私は、知らない。」と書いているのだが、そこに私はびっくりしてしまった。
 あ、そうなのだ。あらゆるものに「持続」があるけれど、そういう「持続」とは無関係に私たちは何かを見ることができる。あるものを、そのあるものの「世界」から切り離して、「世界」とは無関係なものとして見ることができる。
 そのとき、その「あるもの」はどうなるのだろうか。

 長く、病気をしていると、人間は、さまざまな夢を見
る。特に、衰弱しているときは、そうである。高熱が続
き、私は、半ば、死にかけていたのだ。
 そんなとき、私は、何ものかに抱き起こされて、その
夢を見たのだった。それは、深く心にのこった。
 寒い霧の暁、あるいは、私が、その男で、石の墓を抱
き起こしていたのかも知れない。いや、私自身が、石の
墓で、彼に抱き起こされていたのかも知れない。どちら
にしても、私には、一向に、おかしくなかった。

 ある「存在」に「前後」がないとき、因果関係というか、時間が存在しないとき、ひとは、その「存在」とどのようにでも結びつくことができる。「私」は「私」であることもできるが、「彼」でもいい。「墓」でもいい。

どちらにしても、私には、一向に、おかしくなかった。

 では、こういうとき、「真実」というのはどのようなものになるのだろうか。「真実」というものはなくなってしまわないか。
 なくならない。

 私は、半ば、死にかけていた。そのとき、私は、それ
を見たのだ。そこには、一切が、そうでなければならな
い、深い根拠のようなものがあった。

 「深い根拠」は、このことばのあとに書かれるが、その「根拠」に触れる前に、この段落でどうしても触れておきたいことばがある。「一切」。これは、「その前のことも、その後のことも、私は、知らない。」と同様に、私をびっくりさせた。
 存在が「前後」を失い、なんだか、わけのわからないものになる。「世界」とは無関係なものになる。そのとき、「存在」は、いくつある? この作品ではたまたま「ひとりの男」「石の墓」が「存在」としてくっきり見えるものだが、よくよく見れば「鉄の柵」というものもある。「霧」があり、「光」もある。
 そして、それ以上に、強く(なぜか、強く、と書いてしまういたいのだが)存在するのもがある。それは「もの」ではなく、石の墓を「抱く」(抱き起こす)という行為である。
 「一切」には、行動も含まれているはずなのだ。そして、行動というのは「もの」と違って、必ず時間の前後を持っている。肉体が動くとき、そこには「時間」がいっしょに動いている。けれども、粕谷は、その前後がわからない。わからないまま、しかし、そこには「石の墓」を「抱き起こす」という「時間」がある。また、それを「見る」という「時間」もある。そして、矛盾したことを書いてしまうが、粕谷が「一切」と書くとき、その「時間」は「前後」を失っている。
 失っていなければならない。--「根拠」という限りにおいては。

 世界から切り離された世界。一瞬。そこに、いったいどんな根拠があるのか。しかし、そこには根拠はない。粕谷は「どうでもよいことだ。」と書いている。

 一人の人間の記憶は、彼だけのものである。彼は、さ
まざまな記憶を持ったまま、死んでゆく。この私の夢の
できごとの記憶も、そうなるだろう。
 その男が、何ものだったか、どうして、私は、そんな
夢を見たのか。いろいろな詮索ができる。だが、どうで
もよいことだ。
 寒い霧の暁、彼は、蒼白な面持ちで、石の墓を抱き起
こしていた。私にとって、意味のあるのは、いまも、妖
しいばかりに鮮明な、そのすがただけだからである。

 「どうでもよいこと」。だが、この「どうでもよいこ」こそ、あらゆる根拠である。意味があるのは、粕谷が書いているように、ある瞬間に、ある情景が「鮮明な、そのすがた」であることなのだ。
 私たちは、何もかもから切り離され、ただ鮮明にある何かと自分をつなげて、「いま」「ここ」「わたし」というものを存在させる。生起させる。それが、「いま」「ここ」に「生きている」ということなのだ。
 この「いのち」の生起の記録として、詩があるのだ。
 粕谷のこの詩集には「死」が頻繁に出てくるが、同時に「いのち」の生起としての事件も頻発する。「死んでゆく」のは、同時に、なにごとかを生起させつづける、なにごとかを産みつづけることである、死ぬこともまた産むことなのだ、と粕谷は知っているのだ。死は存在しながら、存在しないのだ。そこには「妖しいばかりに鮮明な、粕谷のことばだけがある。」と粕谷のことばを借りながら、私は、そう言いなおしたい。そして、また、言い直したい。
 粕谷の記憶、粕谷のことばは粕谷だけのものである。だが、それを読んだとき、それは粕谷のことばでありながら、粕谷のことばではない。粕谷がどう考えていたかはどうでもいいことだ。粕谷の考えていたことは、どうとでも詮索できる。だが、どうでもいいことだ。私ととって意味があるのは、粕谷が印象的なことばを書いた。私の知らないことばを書いた。私はそれを読んでしまった。そして、そのことばからなにごとかを考えてしまった。何を考えたか思い起こすとき、ただ、そこに粕谷のことばが鮮明によみがえってくる、そこに新しく生きはじめるということだけだ、と。


遠い川
粕谷 栄市
思潮社

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ナボコフ『賜物』(30)

2010-12-16 10:52:50 | ナボコフ・賜物

アレクサンドル・ヤーコヴレヴィチは部屋の隅で明るく電灯に照らされた自分の机に向かって、ときおり咳払いをしながら、仕事をしていた。彼はドイツの出版社に頼まれて、ロシア語の専門用語辞典を編纂していた。小皿の上で、サクランボの砂糖煮(ヴァレーニュ)の跡が灰と混じり合っている。
                                 (62ページ)

 ふいに登場してくる「小皿の上で、サクランボの砂糖煮(ヴァレーニュ)の跡が灰と混じり合っている。」という文章に驚く。「サクランボの砂糖煮」についての説明は何もない。「灰」についても何の説明もない。何もないのだけれど、私には「わかる」。もちろん、この「わかる」は「誤読」かもしれないが、「わかる」のである。
 辞書の編纂をしながら、サクランボの砂糖煮を食べたのだ。その小皿が机の上に残っている。そして、その小皿を灰皿にして、アレクサンドル・ヤーコヴレヴィチは煙草を吸ったのだ。煙草の灰は、サクランボの砂糖煮の汁(?)の跡の形でこびりついている。
 何の説明もないだけに、その「存在」が、独立して、そこにある。「世界」と切り離されて、それでいて「世界」の中心のようにして、そこにある。
 こういうところに、私は「詩」を感じる。そして、そういう瞬間がとても好きだ。

 引用した文章は主人公が参加している詩のサークルで出会った女性について書いている部分に出てくる。彼女は、死んだ息子と主人公が似ていると感じ、主人公にあれこれと話しかけてくる。それが、まあ、うるさいなあ、という感じで描写される。人間関係が、うるさい。つまり、「気持ち」がうるさい。
 そのうるささを吹っ飛ばすようにして、突然割り込んできた「もの」。しかも、その「もの」には不思議な「過去」というか「時間」というか「歴史」がある。手触りがある。誰でも、食器が汚れる瞬間を知っている。小皿でなければ、たとえばコーヒーカップが、あるいは飲料水のボトルが、空き缶が「灰皿」になって汚れることを知っている。そこには単に「もの」の汚れだけではなく、それを汚してしまう「ひと」の「暮らし」がある。「暮らし」が「もの」として、そこに生きている。

ロシア文学講義
ウラジーミル ナボコフ
阪急コミュニケーションズ
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