詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

松岡政則「フォルモサ(美麗島)」

2010-12-06 23:59:59 | 詩(雑誌・同人誌)
松岡政則「フォルモサ(美麗島)」(「イリプスⅡ」06、2010年11月15日発行)

 私は目が悪い。ということを「誤読」の理由にしてはいけないのかもしれないが、もともと目が悪い上に、網膜剥離で手術をしてさらに視力が落ちて、誤読が激しくなった。つまり、読みたいように読むようになってしまった。
 松岡政則「フォルモサ(美麗島)」。その書き出し。

土のなかで、
眼が、見開いている。
どの眼も、
かなしみの芯のようなひかりを放っている。
あめつちを畏れた者らの、
いのちを愛しんできた者らの、
あまたの眼だ。
土の眼だ。
つばさよりも、
根をこそ選んだ者らの、
そのくさぐさを聞く。

 「根を選んだ者らの、」を私は最初「眼を選んだ者らの、」と読んでしまった。「根」と「眼」はヘンが違うがツクリは同じだ。何度も「眼」が出てきたので、「根」を、それまでの習慣で「眼」と読んでしまったのである。
 この「眼」と、

眼は言う。
奪う者らの、
膏血をしぼりとるような強欲も、
その野蛮のかぎりももう遠い昔のことだ。
だが、どうだろう。
あの蔑みのうらい笑いだけは、
つい昨日のことのようにまなうらにあると。

 この部分の「まなうら」を結びつけて、思ったことを書こうとしていた。「美麗島」のひとびと。そこで暮らし、そこで生きているひとびと。彼らの眼。その島を離れずに生きてきたひとびと。日本に侵略され、強奪された過去。その悲惨を「もう昔のことだ」と思うことはできる(許すことはできる?)が、日本人のうすい笑い、島のひとびとを蔑むような笑いだけは忘れることができず、眼に焼きついている。その「肉眼」について書くつもりだった。
 ところが、その感想を書こうと思って、ふと書き出しを読み返すと「眼」ではなく、「根」であると気がついた。
 で、私は、急遽、書きたいと思っていたことを変更して、思いつくままにこうやって書いている。そして、実は、これから書こうとするのは、「眼」ではなく「根」であると気がついた瞬間からはじまった「誤読」についてなのである。
 私は「誤読」についてしか書けない、自分が「誤読」したことについてしか書けないのかもしれない。
 何を、どう「誤読」したかと言うと……。
 「眼」ではなく「根」だと気がついて瞬間、それまで読んできた「眼」がすべて「根」に見えてしまったのである。「根」は「眼」なのだ。
 最初の「そのくさぐさを聞く。」につづく行は次のようになっている。

五月の仔山羊、
小高い丘のガジュマルの巨木。
(どの聚落にも大切な木というものがあった。
眼になってじき、
ポルトガルの水夫が「フォルモサ!」と叫ぶのを聞いた。
じきにオランダが入り込み、
北部はスペインが入り込み、
やがては鄭成功が住みついた。

 「フォルモサ」はフランス語の「フォーミダブル(すばらしい)」を連想させる。実際の意味はわからないが、ガシュマルの巨木を「美しい」とポルトガルの水夫が叫んだ--というような意味合いで私は受け止めた。
 「眼になってじき、」というのは、その島のひとたちの「眼」を見て、その「眼」に強く突き動かされて、松岡自身の肉体の中に島のひとびとの「眼」そのものが「肉眼」として入ってきたとき、島のひとびとの「歴史」が見え、見えた瞬間、最初の侵略者、ポルトガルの水夫の叫びが「肉体」に、耳にとどいたということだろうと思った。この「眼になってじき、」に松岡の松岡らしい「肉体の思想」を私は感じるのだが、こういうことはいつも松岡の詩について書くときに書いているので、「誤読」にもどって書き直すと……。
 この「眼になってじき、」の「眼」も、私には「根」と読めてしまうのである。
 美麗島のひとびとは、侵略してくる外国人を「眼」で見た。そして、そのときから島の人々は「根」になって生きることを選んだのである。(こう書いてしまうと、ちょっと語弊があるかもしれないけれど、あえて、そう書いておく。私の「誤読」を説明するために。)
 「根になる」とはどういうことか。「根」は土のなかに隠れている。土のなかにあって、その存在は見えないのが「根」である。土のなかにあって、外からは見えないのだけれど、どんな巨木であろうと、小さな草花であろうと、「根」がその存在を支えている。切られても、倒されても、「根」は土のなかで生きている。無抵抗というとまた語弊があるのだけれど、外国の支配は支配として、その支配がとどかない部分で生きつづけるいのち--それが「根」である。そして、そういうしぶといいのちとしての「根、その生き方の中で形作られる「眼」、ものの見方、というものがある。
 松岡は、いま、そういうものに出会っているのだと思う。
 土のなかで生きつづけた根、その根が、眼となって見つづけた「歴史」。それが、いま島のひとびとの「眼」となっている。その「眼」は松岡をみつめる。そのとき、どうしたって「眼」は松岡だけではなく、「歴史」をも見てしまう。それは「歴史」をくぐった「眼」で松岡をみつめるということでもある。
 それは、松岡をたじろがせる。

くちべたな眼よ。
ちかしい喉の者らよ。
そんなふうにみないでくれ。
通りすがりのただの歩き筋くずれだ。
偏在を夢想する、
あいさつになりたいだけの旅師だ。

 だが、一方で、その「眼」が「眼」であるだけではなく、「根」であると知るとき--つまり、そこでしっかりと根を張って生きていると知るとき、しかも、常に「歴史」を告発する眼となって見返してくるとき、そこには一種の「やすらぎ」のようなものがやってくる。
 死なずに生き抜いてきたものと、いま生きている松岡が、その「生きる」という一瞬のうちに、ふと、出会う。それは、もしかすると、私たちが地上でかわす目線ではなく、暗く、深く、さみしい土のなかでふと触れ合ってしまう「根」のような接触かもしれない。

土の眼よ。
勁艸の者らよ。
それでもいま恩寵のようにくるものがある。
あれはみずうみのひかり、クマタカのかげ。
すれた動詞、土語のふるまい、栗。栗。くり。
魂とはまなうらのことだろうか。
いいやいってみただけだ。
ほら、どこかで犬が吼えているよ。
丈を炙っているにおいがするよ。
このさみしいは、うれしい。

 「まなうら」とは「根っこの眼」のことである--と私は「誤読」する。そのとき松岡の感じている「さみしいは、うれしい」が私のものになる。

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ちかしい喉
松岡 政則
思潮社
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奥田春美「足の裏考」

2010-12-06 11:00:27 | 詩(雑誌・同人誌)
奥田春美「足の裏考」(「現代詩手帖」2010年12月号)

 「現代詩手帖」12月号は「年鑑」。読んだことのない詩が「収穫」としてたくさん掲載されている。奥田春美「足の裏考」もその一篇。足の裏にタコがでてき、その痛みのために医者に行ったらしい。そのことから書き出されているのだが、読んでいるうちに興奮してきた。
 医者で、足の裏(足の指?)を動かしてみせるようにいわれる。その動きがシャクトリムシのようだ、と感じるのだが……。

医者はシャクトリムシを知らなかったので説明した
蛾の幼虫エダシャクトリムシの俗称です
円筒形のからだ全体を屈伸させることによって前進します
その様子が指で尺をとるところに似ているのです

 ええっ、知らなかったなあ。いや、シャクトリムシは見たことがあるし、実際に動くのを見たことがある。前進するのを見たことがある。私は田舎育ちなので、家の中にはいろんな虫が入ってくる。でも、蛾の幼虫とは知らなかった。「エダシャクトリムシ」というのが本名(?)なんて、知らなかったなあ。
 そうか、「指で尺をとる」ということが、昔は実際にあったんだなあ。たしかに、そういうことをしたことがあったなあ--とかすかに思い出すが、それが、こんなふうにことばになる--ことばになることができるとは知らなかったなあ。

桑の小枝からシャクトリムシをひきはがし地面におくと
全速力で移動します

 えええっ? そうなの? 春田はそういうことをしてみたことがあるんだ。いいなあ。やってみたいなあ。シャクトリムシの全速力って、どんな感じかなあ。擬態音で表現すると、ぴこぴこぴこ? しゃくしゃくしゃく? 動きはなんとなく目のなかに見えるけれど、全体が見えない。実感がない。あ、悔しいねえ。シャクトリムシの全速力を見たことがあるひとがいるなんて、嫉妬してしまうなあ。

地面が彼らの本来の場でないという情報を
胴体の肌触りから得るのか、視覚細胞をもつのか
知りたいと思って何十年すぎてしまった

 うーん。
 うーん、すごい。
 人間は何でも考えることができる。そして、ことばにすることができる。シャクトリムシは、悪戯された困ったなあ、どうしよう、どうしようと必死なんだろうけれど、その必死を見ながら、人間は、そんな、知らなくていいこと--だって、シャクトリムシがどんな情報を手に入れて、どう判断し、どう行動しているかなんて、何か役に立つ?--そんなことを、考え、ふと考えるだけではなく、ことばにしてしまう。ことばにしてしまうだけではなく、ことばにして、何十年も持ち歩く。
 うーん、感動してしまう。
 奥田春美に会いたくなった。会いに行きたくなった。
 私は奥田春美というひとをまったく知らない。詩の「初出」は「神奈川大学評論」64号とある。神奈川大学の先生?(何十年とあるから、学生ではないのだろうと思う。)
 ほんとうに、ほんとうに、ほんとうにおもしろい。
 ことばは、どんな「領域」へでも入り込み、入り込んだ瞬間から、そこにそのことばの発話者独自の「世界」をつくりあげてしまう。
 いま私は、奥田の詩を読み、こうやってパソコンに向かいことばを書いているのだが、そういう世界とはまったく別に、シャクトリムシが全速力で走る(?)世界があり、その全速力で走るのはなぜかと考える世界、その秘密を知りたいと思う世界があり、また、おかしいことに、知りたいと思いながらそれを知らないまま何十年生きてきて、それを思い出すという世界がある。いくつもいくつも世界があり、それは衝突もせず、一緒に存在している。いっしょに存在しているということも意識せずに、いま、ここに、そして、えつて、あそこで、それから、これからさきのいつか、どこかでも、それがある。
 そういうことを、ことばは、なんというのだろう、まったく無視して、ただシャクトリムシと全速力と、秘密だけを描き、ふいに、目の前にあらわれてくる。
 あ、この驚き。驚愕。仰天。笑いの爆発。もう、これは笑ってしまうしかない。笑いながら、あ、これは私の無知を笑っているんだなあと思いながらも、とっても気持ちがいい。

 こういうのが、きっと、詩なんだ。
 ことばに驚き--そのひとが真剣に、正直に言ったことばに、あ、そんなことばがあるの? そんな使い方していいの?と、びっくりして、噴き出して、そのあと、これは一体何なんだ。ことばって、いったいどこまで語ることができるか、と考えさせられる。
 それがきっと詩なんだと思う。

 詩はつづく。

わたしの脚はうすくて平べったい
足裏の筋肉がほとんどないらしい
歩くとき指は浮いており
問題とタコとカカトでわたしという重みを支えて
双頭に長い距離を移動してきたわけで
タコの核では激痛が爆発寸前らしい
わたしからもっとも遠い足裏にわたしの時間が露頭する

 うーむ。
 奥田はとても冷静な科学者タイプなのだ。科学者そのものなのかもしれないが。現象をことばでひとつひとつ定義して、そのことばで世界をきちんと立体化する。立体化するだけではなく、そこに時間も持ち込み、立体的な歴史を描き出す。そういう世界が、常に、奥田と共にある。
 で、どこに?
 「わたしからもっとも遠い足裏」がおもしろい。
 「足裏」って「わたし」じゃないの? もちろん「わたし」だ。その「わたし」に「遠い」「近い」がある? 奥田の場合はある。「世界」を考えている「わたし」、つまり「頭」が奥田にとってはいちばん「わたしに近い」ということになるのだ。「ことば」を動かし、そのことばで世界を組み立て直し、自分の世界を見つめなおす作業をする「頭」が「わたしの一番の核」ということになるのだろう。たしかに、そう考えると「足裏」が「もっとも遠い」ね。
 その「もっとも遠いわたし」も「わたし」なので、「わたし」はいま、激痛を回避するため--足裏に筋肉をつけ、からだの重みを筋肉にも負担させようとして、足裏を動かす練習をしている。
 そして、

シャクトリムシ運動をしているうちに
床の細かい傷を見つけ、ご飯粒を見つけ
あんぱんの上にのっていた芥子粒を見つける
足裏は大きくはっきりしたものには寛容である
微小なものやテクスチュアには敏感でナーバスである
ゴマ粒ほどのものでも靴下のなかに入ると
それが何かわからないけれど耐えられない

 「わたしからもっとも遠い足裏にわたしの時間が露頭する」と奥田が書いたとき、その「時間」は「過去」だったはずである。しかし、いま、ここに書かれている「時間」は「いま」であり、その「いま」は「いつでも」である。(いつでも、というのは「永遠」でもある、普遍であり、真理でもある。)
 そうして、こうやって書いてしまったときから「足裏」は「わたしからもっとも遠い」ものではなく、「わたし」の中心である。「わたし」に「遠い」「近い」はなくなる。「遠い」「近い」と「頭」で考えていたときだけの便宜上のものである。
 いま、「わたし」はすべて「足裏」から世界を見つめなおしている。

その夜TVドラマで四本の足がもつれあっていた
足裏はめったなことで他の足裏と直面しない
触れあわない、したがって交わらない
カメラが足もとにまわりこむ
四つの足裏はこちらを向いていっせいに演技する

そのあとの番組はワールドニュースだった
たくさんの褐色の足裏があった
コンクリートの瓦礫の上をのろのろ動いてゆく
幼児の足、女の足、片方だけの足
指の間を蝿が出たり入ったりする足裏があり
それが画面にむかって投げ出したわたしの足裏に
さしせまってくる、問いただしてくる
その場に引きずりだされそうになる

 詩はこわいなあ。ことばはこわいなあ、と思う。
 思っていること、考えていること、感じたことをことばにしてしまうと、そのことばが世界を作りかえてしまう。「遠い」どこかの国、「わたし」がいまテレビを見ている「場」からはるかに遠いところ、足裏よりももっともっと「わたし」から遠いところが、すぐそこにきている。きているだけではなく、「わたし」をそこへ引きずり込もうとしている。
 いや、これは「世界」の側の変化ではない。世界の遠近感が変わったのではない。奥田が変わったのだ。奥田がもっていた世界の遠近感が変わってしまったのである。「頭」が「中心」ではなく、「足裏」が「わたしの中心」という遠近感が、世界を違った風に見させるのである。
 ことばにすることで、ことばを書くことで、奥田がかわった。詩は、ことばは、それを書いた人間を、書きはじめる前の人間のままにはしておいてくれないのである。




かめれおんの時間
奥田 春美
思潮社


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ナボコフ『賜物』(28)

2010-12-06 10:03:05 | ナボコフ・賜物
 ナボコフの文体は感覚的なように見えて、実は非常に論理的なのかもしれない。詩的に見えて、非常に散文的なのかもしれない。

 客間は俗っぽい家具の並んだとても小さな部屋で、証明の具合が悪いせいで隅には影が居すわり、手の届かない棚には埃をかぶったタナグラ風の花瓶が載っている。
                                 (54ページ)

 これが「詩」ならば、たぶん、

 客間は俗っぽい家具の並んだとても小さな部屋で、隅には影が居すわり、棚には埃をかぶったタナグラ風の花瓶が載っている。

 という具合になるかもしれない。「証明が悪いせいで」「手の届かない」ということばは省略されるかもしれない。「手の届かない」は「手の届かないせいで」と言い換えることもできる。つまり、ナボコフの描写はいちいち「理由」を積み重ねて「もの」を浮き彫りにする。「理由」は「もの」の「過去」である。
 小さな部屋の家具は、証明が悪いという日常的な「過去」の積み重ねによって、影が隅っこで動かなくなっている。「手が届かない」という「過去」、つまり磨き込まれない(掃除されない)という「過去」によって埃がいっぱいになっている。
 私たちは「もの」ではなく、「もの」とともにある「過去」をナボコフのことばから知るのだ。
 「過去」を踏まえて「いま」がある。この時間の積み重ね方、常に「過去」を踏まえながら進む文体が「散文」的である。「散文」とは前に書いたことを踏まえながら先へ進む文体のことである。「詩」は「過去」にとらわれない。かってに飛躍する。「時間」をこわして飛躍することばが「詩」である。
 ナボコフの文体は、常に、あることがらを踏まえ、きちんと「時間」を描く。言い換えると、何かがかわるとき、そこには必ず「時間」の変化、過去→いまという因果関係が含まれる。
 引用文のつづき。

最後の客がようやくやって来て、アレクサンドラ・ヤコーヴレヴナが(略)お茶を注ぎ始めると、部屋の狭さもなにやらしみじみとした田舎風の居心地のよさに似たものに変貌した。
                                 (54ページ)

 小さくて家具が狭苦しく並んだ部屋、薄暗く、埃もある部屋が、「お茶を注ぐ」という「時間」を経過し、「田舎風の居心地のよさに似たものに変貌した。」
 ここには、絶対、「お茶を注ぐ」という「過去」が必要だ。これがないと「変貌」は起きない。
 この部分は、最初に引用した部分にならっていえば、「お茶を注いだために」、部屋がいごこちのいいものに変わったのだ。
 実際に「……のために」ということばが毎回つかわれるわけではない。原文を読んでいないので、はっきりとは断言できないが、しかし、ナボコフの描写には「……のために」が隠されている。「……のために」という考え方、ことばの動かし方は、ナボコフの「肉体」そのものになっているために、ナボコフはそれを省略してしまうのだ。ナボコフにはわかりきったことなので、そのことばを省略してしまうのだ。

 「……のために」は、ナボコフの「散文」のキーワードである。




ナボコフのドン・キホーテ講義
ウラジーミル ナボコフ
晶文社


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