木村草弥『愛の寓話』(角川書店、2010年11月30日発行)
木村草弥『愛の寓話』には、短歌(和歌)がいくつか載っている。私は不勉強で知らなかったのだが、木村は歌人だったのか。(詩集の文末の「著書」一覧を見ると、歌集がある。)
この二首は「口語的」な作品だが、
という旧かなづかいの文語調の作品もある。
この「短歌」に触れて、木村のことばの秘密が少しわかったような気がした。木村のことばは非常に読みやすいが、それは日本語のリズムを短歌(和歌)の形で鍛えているからである。伝統の文学形式をとおして、音感だけではなく、イメージの飛躍のさせかたもきっと鍛練しているのだ。
だから、「散文」も、ふつうの「散文」とは違う。
もっとも、今回の本は「詩集」と書いてあるから「散文」と違って当たり前ではなるのだが。
「ピカソ「泣く女」」の書き出し。
一行一行は「散文」である。けれど、一行と、次の一行が「散文」のつながりではない--というところに、何か秘密があるのかもしれない。「散文」というのは、基本的にあることがらを書いたら、そのことがらを踏まえながらことばが動いていくものだが、木村のこの作品には、そういうことばの運動がない。木村は「散文」の鉄則を踏まえずに書いている。
具体的に言いなおすと。
「「キュビズム」というのは、立体を一旦分解し、さまざまの角度から再構築する描法だ。」という書き出しを受けて、二行目は「この絵は一九三七年に製作されたという。」とつながるのだが、この二つの文章に「散文」の「要素」がない。「キュビズム」がさらに詳しく説明されるわけではない。まあ、「キュビズム」が1937年当時絵画のひとつの運動であったことはわかるが、それ以外のことはわからない。さらに、「派手な赤と青の帽子をかぶり、髪をきれいに梳かしつけた大人の女性が、幼児のように、恥も外聞もなく、ひたすら泣いている。」も、前の文章とは何の関係もない。派手な帽子の女がひたすら泣けば「キュビズム」になるわけではない。また、1937年に女が泣いたからといって「キュビズム」になるわけではない。さらに「モデルはドラ・マール。当時ピカソの愛人だった。」とつづくが、これも「キュビズム」とは関係がない。
「「キュビズム」というのは……」と書きはじめながら、木村のことばは、その「キュビズム」に対する木村の考え方を表明するわけでもなければ、書くことによって「定義」が深まるわけでもない。ピカソの「泣く女」が見えてくるわけでもない。
何なの? 「散文」ではないから、これはこれでいいのかもしれないが、やっぱり何なの?と思ってしまう。何を書きたい?
「愛人」について書いた関係なのだろうか、その後、ピカソの女性関係が延々と書かれていく。これは、ピカソのスキャンダル(?)を報告する文章? いや、そうでもないなあ。
もしかすると、「散文」の堅苦しい、前後関係の緊密なことばの運動ではなく、和歌のもっているリズムでことばを動かしたい、ことばをほぐしたいということなのかなあ。
そんなことを考えていると、突然、
というような、ピカソに対する感想が書かれる。そして、
あ、これは、「泣く女」について書いた詩ではなく、その絵が書かれた背景を描いた「評伝」なのか。いや、そうじゃないなあ。「泣く女」を借りて、蜘蛛と餌食の命を懸けた「愉悦」を描いているのかもしれない。蜘蛛と蝶の「愉悦」を語ることばの響きを楽しんでいるのかもしれない。そのイメージを楽しんでいるのかもしれない。
おもしろいなあ。
すると、最後が、突然やってくる。その最後が、とてもとてもとてもとてもとても、何回「とても」を繰り返していいかわからないくらい、おもしろい。
この最後の、長い長い名前を木村は書きたかったのかもしれない。
いや、そんなことはない、名前ではなく、ピカソについて書きたかったのだと木村は言うかもしれないが、私は「誤読」する。絶対に、この長い名前が書きたかったのだ。
名前の最後の「ルイス・イ・ピカソ」というのは父の姓と母の姓である。出自を明確にするためなのか、スペイン人の名前は両方の姓を持つことになっている。名前のなかに人間関係がある。--この「人間関係」に収斂するように、女をめぐるスキャンダル(?)を書いたのだ。
ピカソのなかに、そんなにたくさんの「名前」があるのだから、その「名前」のひとりひとりが、それぞれの女とつきあったっていいじゃないか。
そして、私はカタカナ難読症なので、読むことができないのだけれど、この名前--そのリズム、きっと、それはカタカナを読めるひとにはおもしろいに違いない。そこに音楽があるに違いない。それはきっと、詩集の冒頭の作品の、
というようなものなのだ。「意味」はもちろんある。けれどひとは「意味」だけでことばを読むわけではない。むしろ、どんな「意味」があろうと、「音」がおもしろくないければ、それを読まない。「音」を読み違えながら、「意味」を超えていくのだ。
「泣く女」について書いたことばのなかに、
ということばがあったが、そのなかほどの「比喩」は「意味」であると同時に「音」であり、イメージである。いや、音とイメージだけであると言った方がいいかな。「羽をちぎられてもがく蝶」と書くとき、木村はピカソの目を一瞬忘れる。木村は忘れないかもしれないが、私は忘れる。蝶の苦悩と、苦悩の愉悦のようなものを感じ、なんだかうれしくなる。
「散文」を装いながら、「意味」を逸脱していく「音」を木村は書いているのかもしれない。
木村草弥『愛の寓話』には、短歌(和歌)がいくつか載っている。私は不勉強で知らなかったのだが、木村は歌人だったのか。(詩集の文末の「著書」一覧を見ると、歌集がある。)
その場所をあなたの舌がかき混ぜた 快楽(けらく)の果てに濃い叢(くさむら)だ
ふたりは繋がつて獣のかたちになる 濃い叢にあふれだす蜜
この二首は「口語的」な作品だが、
拓かれし州見台てふ仮り庵(いほ)に愛(め)ぐはし女男(めを)の熟睡(うまい)なるべし
という旧かなづかいの文語調の作品もある。
この「短歌」に触れて、木村のことばの秘密が少しわかったような気がした。木村のことばは非常に読みやすいが、それは日本語のリズムを短歌(和歌)の形で鍛えているからである。伝統の文学形式をとおして、音感だけではなく、イメージの飛躍のさせかたもきっと鍛練しているのだ。
だから、「散文」も、ふつうの「散文」とは違う。
もっとも、今回の本は「詩集」と書いてあるから「散文」と違って当たり前ではなるのだが。
「ピカソ「泣く女」」の書き出し。
「キュビズム」というのは、立体を一旦分解し、さまざまの角度から再構築する描法だ。
この絵は一九三七年に製作されたという。
派手な赤と青の帽子をかぶり、髪をきれいに梳かしつけた大人の女性が、幼児のように、恥も外聞もなく、ひたすら泣いている。
モデルはドラ・マール。当時ピカソの愛人だった。
マン・レイによる彼女の写真が残っており、知的で個性の強い神経質そうな美人である。
ほっそりした繊細な指に長いトランペット型シガレットホルダーを挟んで煙草をくゆらす姿は、粋なパリジェンヌという雰囲気である。
一行一行は「散文」である。けれど、一行と、次の一行が「散文」のつながりではない--というところに、何か秘密があるのかもしれない。「散文」というのは、基本的にあることがらを書いたら、そのことがらを踏まえながらことばが動いていくものだが、木村のこの作品には、そういうことばの運動がない。木村は「散文」の鉄則を踏まえずに書いている。
具体的に言いなおすと。
「「キュビズム」というのは、立体を一旦分解し、さまざまの角度から再構築する描法だ。」という書き出しを受けて、二行目は「この絵は一九三七年に製作されたという。」とつながるのだが、この二つの文章に「散文」の「要素」がない。「キュビズム」がさらに詳しく説明されるわけではない。まあ、「キュビズム」が1937年当時絵画のひとつの運動であったことはわかるが、それ以外のことはわからない。さらに、「派手な赤と青の帽子をかぶり、髪をきれいに梳かしつけた大人の女性が、幼児のように、恥も外聞もなく、ひたすら泣いている。」も、前の文章とは何の関係もない。派手な帽子の女がひたすら泣けば「キュビズム」になるわけではない。また、1937年に女が泣いたからといって「キュビズム」になるわけではない。さらに「モデルはドラ・マール。当時ピカソの愛人だった。」とつづくが、これも「キュビズム」とは関係がない。
「「キュビズム」というのは……」と書きはじめながら、木村のことばは、その「キュビズム」に対する木村の考え方を表明するわけでもなければ、書くことによって「定義」が深まるわけでもない。ピカソの「泣く女」が見えてくるわけでもない。
何なの? 「散文」ではないから、これはこれでいいのかもしれないが、やっぱり何なの?と思ってしまう。何を書きたい?
「愛人」について書いた関係なのだろうか、その後、ピカソの女性関係が延々と書かれていく。これは、ピカソのスキャンダル(?)を報告する文章? いや、そうでもないなあ。
もしかすると、「散文」の堅苦しい、前後関係の緊密なことばの運動ではなく、和歌のもっているリズムでことばを動かしたい、ことばをほぐしたいということなのかなあ。
そんなことを考えていると、突然、
芸術家は怖い。
蜘蛛が餌食の体液を全て吸い尽すように、他人の喜怒哀楽、全ての感情を吸い取って自分の糧にしようとする。
というような、ピカソに対する感想が書かれる。そして、
紛れもないサディストであったピカソにとって、ドラを泣かせるのは簡単だったし、ドラもまた都合よく泣いてくれる女ではあった。彼女があられもなく泣き顔を曝すとき、ピカソの動かない目は羽をちぎられてもがく蝶をじっと観察するように眺めていたのだろう。
そんなシーンを思うと怖い。
(略)
蜘蛛が干からびた獲物の残骸を網からぽいと捨てるように、ピカソはドラを捨てた。
ピカソの残酷さが遺憾なく発揮された『泣く女』は傑作となり、ドラの名前も美術史に永遠に残ることになった。
あ、これは、「泣く女」について書いた詩ではなく、その絵が書かれた背景を描いた「評伝」なのか。いや、そうじゃないなあ。「泣く女」を借りて、蜘蛛と餌食の命を懸けた「愉悦」を描いているのかもしれない。蜘蛛と蝶の「愉悦」を語ることばの響きを楽しんでいるのかもしれない。そのイメージを楽しんでいるのかもしれない。
おもしろいなあ。
すると、最後が、突然やってくる。その最後が、とてもとてもとてもとてもとても、何回「とても」を繰り返していいかわからないくらい、おもしろい。
厖大な作品量、数えきれない女性関係も含めて、ピカソという名前自体が一種のブランドなのだが、彼のフルネームを知るとまた驚く。
まるで「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ・・・・・・」のように長い--
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウル・ホアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニーダド・ルイス・イ・ピカソ」!
この最後の、長い長い名前を木村は書きたかったのかもしれない。
いや、そんなことはない、名前ではなく、ピカソについて書きたかったのだと木村は言うかもしれないが、私は「誤読」する。絶対に、この長い名前が書きたかったのだ。
名前の最後の「ルイス・イ・ピカソ」というのは父の姓と母の姓である。出自を明確にするためなのか、スペイン人の名前は両方の姓を持つことになっている。名前のなかに人間関係がある。--この「人間関係」に収斂するように、女をめぐるスキャンダル(?)を書いたのだ。
ピカソのなかに、そんなにたくさんの「名前」があるのだから、その「名前」のひとりひとりが、それぞれの女とつきあったっていいじゃないか。
そして、私はカタカナ難読症なので、読むことができないのだけれど、この名前--そのリズム、きっと、それはカタカナを読めるひとにはおもしろいに違いない。そこに音楽があるに違いない。それはきっと、詩集の冒頭の作品の、
三香原(みかのはら) 布当(ふたぎ)の野辺を さを鹿は嬬(つま)呼び響(とよむ)。山みれば山裳(やまも)みがほし 里みれば里裳(さとも)住みよし。
というようなものなのだ。「意味」はもちろんある。けれどひとは「意味」だけでことばを読むわけではない。むしろ、どんな「意味」があろうと、「音」がおもしろくないければ、それを読まない。「音」を読み違えながら、「意味」を超えていくのだ。
「泣く女」について書いたことばのなかに、
彼女があられもなく泣き顔を曝すとき、ピカソの動かない目は羽をちぎられてもがく蝶をじっと観察するように眺めていたのだろう。
ということばがあったが、そのなかほどの「比喩」は「意味」であると同時に「音」であり、イメージである。いや、音とイメージだけであると言った方がいいかな。「羽をちぎられてもがく蝶」と書くとき、木村はピカソの目を一瞬忘れる。木村は忘れないかもしれないが、私は忘れる。蝶の苦悩と、苦悩の愉悦のようなものを感じ、なんだかうれしくなる。
「散文」を装いながら、「意味」を逸脱していく「音」を木村は書いているのかもしれない。
茶の四季―木村草弥歌集 | |
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