海埜今日子「たそがれのばしょ」ほか(「hotel 第 2章」30、2012年08月01日発行)
海埜今日子「たそがれのばしょ」は、ひらがなだけなので、ことばが明確にならない。--というのは嘘で、その何がなんだかわからない音を読んでいると、突然、「わかる」ことばが噴出してくる。この「わかる」はたぶん海埜の気持ちがわかるということではなくて、私自身の肉体の中で何かが結晶する、ということなのだが……。
「いとしいすきまがそらをさした」が「愛しい隙間が空を指した」と私は読んだのだが、私のつかっているワープロでは「刺した」が最初にでてきて、あ、それでもいいかな、と思ったが、それでは私に最初に感じたことと違ってしまう。まあ、詩なのだから、最初に感じたことと、書いている途中で感じたことが違ってきたって別に問題はないのだけれど、「指した」ということばが私の中で結晶のように凝縮したとき、私はちょっと感動したのである。
そうか、何かを指し示すとき、必ずしも「指す」必要はないと、「指した」ということばから思ったのだ。矛盾しているでしょ? でも、この矛盾は「隙間が」「指した」と続くとき、矛盾ではなくなる。「ほら、その隙間から覗いてごらん」。このとき「指す」は何かを限定することだとわかる。そして、その限定されたところから見えるのが「空」という「無限」であるというのも、「矛盾」にうまく似合っている。「矛盾」がぶつかりながら、「いま/ここ」が活性化して、今まで存在しなかった何かが噴出してくる。
こういう瞬間を「わかった」というのだと思う。
書かれていることの全部を知っている。体験したことがある。けれど、それは、いま海埜が書いていることばの順序ではなかった。体験してきたことが、海埜のことばのなかで新しい順序になって、秩序になって噴出してくる。そのときの突然目が覚めるような感じを、私は「わかった」という。これはあくまで私の「わかった」だから、海埜の伝えたいことと一致するかどうかは関係がない。つまり「誤読」であっても、そういうことは気にしない。詩を読むとは他人のことばを読みながら、実は自分の肉体を読み返すことだから、「誤読」の方が「私自身を正確に読んでいる(正しい読み方)」になるのだ。
「わかった」と思った瞬間というのは、あ、この詩が好きと思うのと同じ瞬間である。で、
ここもいいなあ。「かわほりさん」に告白の手紙を出した。このとき「わたし(海埜)」はかわほりさんから返信を待っているはずなのだが、なぜか、話がこんがらがって、「わたし」が返信を出す(出そうと思う)になる。
なぜ?
風景が(ここでは水面が)、そのまま「わたし」への手紙だからである。「場所」が「わたし」に何かを語りかけてくる。それに対して「返信」する。風景が「わたし」に語りかけてくるというのは、私の読み方では、いわば海埜の「誤読」である。風景は語りかけなどしないと言ってしまえば言ってしまえるけれど、海埜には語りかけてくるように感じられる。それは海埜の「本能」が解釈した世界なのである。そして、その「海埜の誤読」を通って、海埜の行動が始まる。ことばが動く。
こういうふうに読むと、私(谷内)と海埜が双子になったような感じがする。一体になったような感じがする。私は海埜を「誤読」する。そして海埜は「風景(場所)」を「誤読」している。その「誤読」を私はさらに、海埜の「誤読」はいいなあ、と感じる。--こういう「ごちゃごちゃ」が詩を読みながら動く。
で、この「ごちゃごちゃ」は詩を読み進むと、少しずつ「整理」されてくる。私(谷内)の「誤読」は私の肉体から生じるのだが、「海埜の誤読」はどこから生まれるか。
あ、海埜は直接「場所(風景)」と向き合っているのではなく、一度「書物(ことば)」を通っている。「書物(すでに存在することば)」が海埜の「誤読」の原点なのだ。海埜は「ことば」から出発しているのだ。
「書物」は「ひらがな」だけで書かれているわけではない。日本の書物は漢字やカタカナ、ひらがなが混じり合って、「意味」を明確にする。この「意味の明確」というものが、海埜は嫌いなんだな。生理的に遠ざけたいと思っているのだな。
と、私は想像する。
そのために、ことばをわざと「ひらがな」にしてしまう。「音」だけにしてしまう。「誤読」を誘い込むために、漢字を拒絶するのだ。
海埜の詩は、たいていがわかりにくい。今回のように「わかった」と簡単に「誤読」できない。--私にとっては、という意味だが。
でも、今回はなぜか簡単に「誤読」できた。
なぜだろうか。
それ考えたとき、「しょもつ(書物)」が目の前に浮かんでくる。そうか、海埜のことばは「書物」を潜り抜けるとき、私には「わかった」になるのか。「書物」をとおらず、肉体だけを通ってきたとき、つかみどころのないものになるのか。
これは、海埜の問題というより、私にとって重要な問題である。私は結局「書物」からことばを吸収し、書物の「意味」でことばを読んでいる。「書物」のなかで海埜と交流しているということになる。
これでいいのかな?
こんなふうにして「わかった」が成立していいのかな、と私は読みながら、実は不安になったのである。
「わかった」ではなく、「この詩、わからないよ」の方がよかったのかな、と思うのである。
*
野村喜和夫「問いの場所はいつもきらら」。タイトルからして「無意味」であるが、私は野村の「無意味」、意味を破壊することばのリズムが大好きである。
だから(?)、今回は違うことを書きたい。いつもと同じことを繰り返し書くのは、それはそれで楽しいけれど、違うことを書くのもいいかもしれない。
一行だけ取り出して、あれこれいうのは「反則」かもしれないが、
こういう表現は、いま、あらゆるところで目にするけれど(類似のことを確か城戸朱理が毎日新聞の詩の時評で書いていた)、私はどうにも納得できない。こういう「書式」というか、こういう表現が「書物」になって存在していくことがちょっと我慢ができない。
広島は広島。福島は福島。それでしかない。ヒロシマ、フクシマと書くとき、そこに「省略された意味」がある。簡単にいうと「原子力によって破壊された」という修飾節を含んだものがヒロシマ、フクシマである。(ナガサキも同じ。)修飾節が省略され、しかし省略しているけれど意識はしているんですよと釈明しているのがヒロシマ、ナガサキなのだが、釈明なんかするな、と私は言いたい。
省略したものが含んでいるものこそ重大なのである。
人はだれでも自分にとってわかりきったことは省略してしまうが、広島、長崎、福島で起きたことは「わかりきってはいない」。少なくとも、私にはわからない。私は、三つの場所で起きたことを体験していない。見聞きはしている。広島、長崎の資料館に行ったことはある。それは、あくまで「資料」を見たにすぎない。資料を見て、何かが「わかった」つもりでいるだけであって、それを私は「肉体」で覚えていない。こういう苦しみがあるんですよ。こういう苦しみを実際に私はいっしょに生きたんですよ、とは言えない。つまり、それは私とにって「書物」なのだ。
書物は想起に役立つだけ批判したのはソクラテスだが、広島、長崎で私が見たものは、そこで起きたことを「想起」するのに役立つけれど、それは私の体験そのものとはなっていない。私は被爆者と直接会って、納得できるまで話を聞いたことすらない。何人かの話を「書物」では読んだが、直接声を聞いたことがない。
ヒロシマ、ナガサキ、フクシマという表記を野村がどういう感覚でつかっているのか「わからない」。
広島、長崎、福島へ帰りたい。取り戻したい。いつまでも広島、長崎、福島という漢字の表記のままの土地を返せ、と叫んでいる人がいるはずだと思う。それは、津波に遭っても、やっぱり海が好き、海から離れて暮らすことはできないという被災者の声とどこかでつながっている。生まれ育った土地、その土地で生きてきた時間。それはカタカナの表記のなかでないがしろにされている、と私は感じる。
ヒロシマ、ナガサキ、フクシマというカタカナで表記するとき省略するもの--それを省略せずに、どんなに長いことばになっても、繰り返し繰り返し語ることが大事なのだと思う。そのことばは、きっと語りはじめればどんどん長くなる。ひとりひとりが自分の肉体をそのことばに絡みつかせるからである。
逆に言えば、あらゆる人の肉体を絡みつかせるだけの「粘着力」をもったことばこそが必要なのだ。ヒロシマ、ナガサキ、フクシマでは、ことばの「経済学」として便利すぎる。もっともっと不便にならないと、現実は取り戻せない。そんなことまで書いていたらまとまらない、原子力を告発できない、ということかもしれないが、そういうごちゃごちゃに踏みとどまって生きることが悲劇を繰り返さない出発点なのだと私は思う。
ヒナシマ、ナガサキ、フクシマと書くな。
海埜今日子「たそがれのばしょ」は、ひらがなだけなので、ことばが明確にならない。--というのは嘘で、その何がなんだかわからない音を読んでいると、突然、「わかる」ことばが噴出してくる。この「わかる」はたぶん海埜の気持ちがわかるということではなくて、私自身の肉体の中で何かが結晶する、ということなのだが……。
かわほりさん。はいけい、こくはくします。と、いとしいすきまがそらをさした。きしべだったかもしれない。ささくれのようなゆくえ、きれぎれになり、わたしをみたようなきがするのです。かわたれさんに、にていますね、ごきげんよう。らくじつのなか、うずくまって、ちじょうをみあげたものでした。ふるいつきをうかべてみます。すいめんがのぞくので、へんしんとして、さしだそうとおもいます。
「いとしいすきまがそらをさした」が「愛しい隙間が空を指した」と私は読んだのだが、私のつかっているワープロでは「刺した」が最初にでてきて、あ、それでもいいかな、と思ったが、それでは私に最初に感じたことと違ってしまう。まあ、詩なのだから、最初に感じたことと、書いている途中で感じたことが違ってきたって別に問題はないのだけれど、「指した」ということばが私の中で結晶のように凝縮したとき、私はちょっと感動したのである。
そうか、何かを指し示すとき、必ずしも「指す」必要はないと、「指した」ということばから思ったのだ。矛盾しているでしょ? でも、この矛盾は「隙間が」「指した」と続くとき、矛盾ではなくなる。「ほら、その隙間から覗いてごらん」。このとき「指す」は何かを限定することだとわかる。そして、その限定されたところから見えるのが「空」という「無限」であるというのも、「矛盾」にうまく似合っている。「矛盾」がぶつかりながら、「いま/ここ」が活性化して、今まで存在しなかった何かが噴出してくる。
こういう瞬間を「わかった」というのだと思う。
書かれていることの全部を知っている。体験したことがある。けれど、それは、いま海埜が書いていることばの順序ではなかった。体験してきたことが、海埜のことばのなかで新しい順序になって、秩序になって噴出してくる。そのときの突然目が覚めるような感じを、私は「わかった」という。これはあくまで私の「わかった」だから、海埜の伝えたいことと一致するかどうかは関係がない。つまり「誤読」であっても、そういうことは気にしない。詩を読むとは他人のことばを読みながら、実は自分の肉体を読み返すことだから、「誤読」の方が「私自身を正確に読んでいる(正しい読み方)」になるのだ。
「わかった」と思った瞬間というのは、あ、この詩が好きと思うのと同じ瞬間である。で、
すいめんがのぞくので、へんしんとして、さしだそうとおもいます。
ここもいいなあ。「かわほりさん」に告白の手紙を出した。このとき「わたし(海埜)」はかわほりさんから返信を待っているはずなのだが、なぜか、話がこんがらがって、「わたし」が返信を出す(出そうと思う)になる。
なぜ?
風景が(ここでは水面が)、そのまま「わたし」への手紙だからである。「場所」が「わたし」に何かを語りかけてくる。それに対して「返信」する。風景が「わたし」に語りかけてくるというのは、私の読み方では、いわば海埜の「誤読」である。風景は語りかけなどしないと言ってしまえば言ってしまえるけれど、海埜には語りかけてくるように感じられる。それは海埜の「本能」が解釈した世界なのである。そして、その「海埜の誤読」を通って、海埜の行動が始まる。ことばが動く。
こういうふうに読むと、私(谷内)と海埜が双子になったような感じがする。一体になったような感じがする。私は海埜を「誤読」する。そして海埜は「風景(場所)」を「誤読」している。その「誤読」を私はさらに、海埜の「誤読」はいいなあ、と感じる。--こういう「ごちゃごちゃ」が詩を読みながら動く。
で、この「ごちゃごちゃ」は詩を読み進むと、少しずつ「整理」されてくる。私(谷内)の「誤読」は私の肉体から生じるのだが、「海埜の誤読」はどこから生まれるか。
どうちょうとしてぺーじをおった。
しょもつのばしょを、げんじつにかさねる。
あ、海埜は直接「場所(風景)」と向き合っているのではなく、一度「書物(ことば)」を通っている。「書物(すでに存在することば)」が海埜の「誤読」の原点なのだ。海埜は「ことば」から出発しているのだ。
「書物」は「ひらがな」だけで書かれているわけではない。日本の書物は漢字やカタカナ、ひらがなが混じり合って、「意味」を明確にする。この「意味の明確」というものが、海埜は嫌いなんだな。生理的に遠ざけたいと思っているのだな。
と、私は想像する。
そのために、ことばをわざと「ひらがな」にしてしまう。「音」だけにしてしまう。「誤読」を誘い込むために、漢字を拒絶するのだ。
海埜の詩は、たいていがわかりにくい。今回のように「わかった」と簡単に「誤読」できない。--私にとっては、という意味だが。
でも、今回はなぜか簡単に「誤読」できた。
なぜだろうか。
それ考えたとき、「しょもつ(書物)」が目の前に浮かんでくる。そうか、海埜のことばは「書物」を潜り抜けるとき、私には「わかった」になるのか。「書物」をとおらず、肉体だけを通ってきたとき、つかみどころのないものになるのか。
これは、海埜の問題というより、私にとって重要な問題である。私は結局「書物」からことばを吸収し、書物の「意味」でことばを読んでいる。「書物」のなかで海埜と交流しているということになる。
これでいいのかな?
こんなふうにして「わかった」が成立していいのかな、と私は読みながら、実は不安になったのである。
「わかった」ではなく、「この詩、わからないよ」の方がよかったのかな、と思うのである。
*
野村喜和夫「問いの場所はいつもきらら」。タイトルからして「無意味」であるが、私は野村の「無意味」、意味を破壊することばのリズムが大好きである。
だから(?)、今回は違うことを書きたい。いつもと同じことを繰り返し書くのは、それはそれで楽しいけれど、違うことを書くのもいいかもしれない。
一行だけ取り出して、あれこれいうのは「反則」かもしれないが、
広島とヒロシマ(いままた、これに福島とフクシマを加えるべきだろうか)
こういう表現は、いま、あらゆるところで目にするけれど(類似のことを確か城戸朱理が毎日新聞の詩の時評で書いていた)、私はどうにも納得できない。こういう「書式」というか、こういう表現が「書物」になって存在していくことがちょっと我慢ができない。
広島は広島。福島は福島。それでしかない。ヒロシマ、フクシマと書くとき、そこに「省略された意味」がある。簡単にいうと「原子力によって破壊された」という修飾節を含んだものがヒロシマ、フクシマである。(ナガサキも同じ。)修飾節が省略され、しかし省略しているけれど意識はしているんですよと釈明しているのがヒロシマ、ナガサキなのだが、釈明なんかするな、と私は言いたい。
省略したものが含んでいるものこそ重大なのである。
人はだれでも自分にとってわかりきったことは省略してしまうが、広島、長崎、福島で起きたことは「わかりきってはいない」。少なくとも、私にはわからない。私は、三つの場所で起きたことを体験していない。見聞きはしている。広島、長崎の資料館に行ったことはある。それは、あくまで「資料」を見たにすぎない。資料を見て、何かが「わかった」つもりでいるだけであって、それを私は「肉体」で覚えていない。こういう苦しみがあるんですよ。こういう苦しみを実際に私はいっしょに生きたんですよ、とは言えない。つまり、それは私とにって「書物」なのだ。
書物は想起に役立つだけ批判したのはソクラテスだが、広島、長崎で私が見たものは、そこで起きたことを「想起」するのに役立つけれど、それは私の体験そのものとはなっていない。私は被爆者と直接会って、納得できるまで話を聞いたことすらない。何人かの話を「書物」では読んだが、直接声を聞いたことがない。
ヒロシマ、ナガサキ、フクシマという表記を野村がどういう感覚でつかっているのか「わからない」。
広島、長崎、福島へ帰りたい。取り戻したい。いつまでも広島、長崎、福島という漢字の表記のままの土地を返せ、と叫んでいる人がいるはずだと思う。それは、津波に遭っても、やっぱり海が好き、海から離れて暮らすことはできないという被災者の声とどこかでつながっている。生まれ育った土地、その土地で生きてきた時間。それはカタカナの表記のなかでないがしろにされている、と私は感じる。
ヒロシマ、ナガサキ、フクシマというカタカナで表記するとき省略するもの--それを省略せずに、どんなに長いことばになっても、繰り返し繰り返し語ることが大事なのだと思う。そのことばは、きっと語りはじめればどんどん長くなる。ひとりひとりが自分の肉体をそのことばに絡みつかせるからである。
逆に言えば、あらゆる人の肉体を絡みつかせるだけの「粘着力」をもったことばこそが必要なのだ。ヒロシマ、ナガサキ、フクシマでは、ことばの「経済学」として便利すぎる。もっともっと不便にならないと、現実は取り戻せない。そんなことまで書いていたらまとまらない、原子力を告発できない、ということかもしれないが、そういうごちゃごちゃに踏みとどまって生きることが悲劇を繰り返さない出発点なのだと私は思う。
ヒナシマ、ナガサキ、フクシマと書くな。
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