坂多瑩子「仲良しこよし」(「4B」9、2015年03月10日発行)
幼友達(たぶん)というのは不思議だ。仲がいいのか、悪いのか。仲が悪いと平気で言えることが幼友達の特権かもしれない。
「さちこ」は「幸子」と書くのかもしれない。「幸子」なのに「薄幸」。ありふれた言い回しだが、ありふれているからいい。ありふれているから、
この行がいきいきとしてくる。でも「はげかけた口紅みたいな字」って、どんな字? 字を思う前に、「はげかけた口紅」の女を思う。だらしない。いや、違うなあ。ずぶとい、だな。他人の視線を気にしているように(口紅を塗るのだから)、気にしていない(口紅がはげかけても気づかないのだから)。そうじゃない、他人を見下している。どうせ、友達と会う。口紅なんてはげていたって関係ない。あいつの醜いところなんか山ほど知っている。言われたら、言い返してやる。とは書いていないのだけれど、そんなことを言っているような顔が思い浮かぶ。いやな奴だ。
だから、
他人の不幸は蜜の味がするというけれど、「苦労話なんかきらい」。まあ、似ているからね。だれだって何十年も生きてくれば苦労が似てしまう。聞きながら自分の苦労を思い出したくない。そう言ってやる。そうすると、「あんた(さちこ)」の顔が消えていく。長い髪、長い睫毛をくっきりと思い出したけれど、遠ざかっていく。
会わなくてすみそうだ。たとえ会ったとしも、苦労話(薄幸な話)につきあわなくてよさそうだ、と思うのだが。
苦労話はなしという約束をしたのに会ってみれば、「さちこ」は、手紙の字ははげかけた口紅みたいだったのに、現実には真っ赤な口紅をべっとりつけてきて「どうかしら、似合う?」。困ったねえ。これでは「身の上話」をもう聞きはじめている感じ。「感想」を言えば、きっと次々に反論(?)、自己弁護(説明?)があふれてくるにきまっている。たしかに「夢ならさめて」と神様にもほとけさまにも祈りたい。
まあ、この行は「やめてよ」くらいの弾みのことばなんだろうけれど、「口語のリズム」がいいなあ。格式張らない。幼友達だから。全部言わない。幼友達だから。言わなくても、わかる。次にどう言ってくるかも、だいたいわかる。そういう「やりとり」の感じがいいなあ。「神様ほとけさま」というはぐらかし方がいいなあ。さちこのことなんか、神様ともほとけさまとも思っていないのに……。
さちこには会った。話も聞いた。もうさちこのことは忘れて、いつものように仕事をしよう、ということか。しかし、
ひとこと多いのだ、さちこは。そしてそのひとことは正しいのだ。言われる通りなのだ。言われたらいやなことを、ずけずけと平気で言ってくる。幼友達だから。仲良しだから。「いやな、さちこ」。そうだろうなあ。
でも、いいもんだね。「いやなさちさ」と言えるというのは。「口語」で(言ったら、言ったきり、消えてしまうことばで)、何でも言ってしまう。言ってしまった後に、何もない「肉体」が残る。はげかけた口紅をはげかけたままにしておく「肉体」が残る。無防備な「肉体」がのこる。その、温かな、抱擁。
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幼友達(たぶん)というのは不思議だ。仲がいいのか、悪いのか。仲が悪いと平気で言えることが幼友達の特権かもしれない。
さちこが
近くにひっこしてきたという
薄幸な人生だったと
はげかけた口紅みたいな字をよこしてきた
「さちこ」は「幸子」と書くのかもしれない。「幸子」なのに「薄幸」。ありふれた言い回しだが、ありふれているからいい。ありふれているから、
はげかけた口紅みたいな字をよこしてきた
この行がいきいきとしてくる。でも「はげかけた口紅みたいな字」って、どんな字? 字を思う前に、「はげかけた口紅」の女を思う。だらしない。いや、違うなあ。ずぶとい、だな。他人の視線を気にしているように(口紅を塗るのだから)、気にしていない(口紅がはげかけても気づかないのだから)。そうじゃない、他人を見下している。どうせ、友達と会う。口紅なんてはげていたって関係ない。あいつの醜いところなんか山ほど知っている。言われたら、言い返してやる。とは書いていないのだけれど、そんなことを言っているような顔が思い浮かぶ。いやな奴だ。
だから、
あたしは苦労話なんかきらいだね
というと
あんたの長い髪に長い睫毛が
うすくなっていく
消えちまえ
他人の不幸は蜜の味がするというけれど、「苦労話なんかきらい」。まあ、似ているからね。だれだって何十年も生きてくれば苦労が似てしまう。聞きながら自分の苦労を思い出したくない。そう言ってやる。そうすると、「あんた(さちこ)」の顔が消えていく。長い髪、長い睫毛をくっきりと思い出したけれど、遠ざかっていく。
会わなくてすみそうだ。たとえ会ったとしも、苦労話(薄幸な話)につきあわなくてよさそうだ、と思うのだが。
すると
あたしの似合わない
真っ赤な口紅つけて
どうかしら なんていう
から夢ならどうぞ神様ほとけさま
苦労話はなしという約束をしたのに会ってみれば、「さちこ」は、手紙の字ははげかけた口紅みたいだったのに、現実には真っ赤な口紅をべっとりつけてきて「どうかしら、似合う?」。困ったねえ。これでは「身の上話」をもう聞きはじめている感じ。「感想」を言えば、きっと次々に反論(?)、自己弁護(説明?)があふれてくるにきまっている。たしかに「夢ならさめて」と神様にもほとけさまにも祈りたい。
まあ、この行は「やめてよ」くらいの弾みのことばなんだろうけれど、「口語のリズム」がいいなあ。格式張らない。幼友達だから。全部言わない。幼友達だから。言わなくても、わかる。次にどう言ってくるかも、だいたいわかる。そういう「やりとり」の感じがいいなあ。「神様ほとけさま」というはぐらかし方がいいなあ。さちこのことなんか、神様ともほとけさまとも思っていないのに……。
子どものころからそうだった
あんたは
あたしのないもの持っていたのに
まあいいさ
お茶はやめて
せんたくものでも干そう
さちこには会った。話も聞いた。もうさちこのことは忘れて、いつものように仕事をしよう、ということか。しかし、
せんたくものを干していたら
長い睫毛のカラス
たてつけの悪い扉は早く直しなさい
だって
いやなさちこ
ひとこと多いのだ、さちこは。そしてそのひとことは正しいのだ。言われる通りなのだ。言われたらいやなことを、ずけずけと平気で言ってくる。幼友達だから。仲良しだから。「いやな、さちこ」。そうだろうなあ。
でも、いいもんだね。「いやなさちさ」と言えるというのは。「口語」で(言ったら、言ったきり、消えてしまうことばで)、何でも言ってしまう。言ってしまった後に、何もない「肉体」が残る。はげかけた口紅をはげかけたままにしておく「肉体」が残る。無防備な「肉体」がのこる。その、温かな、抱擁。
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