自民党憲法改正草案を読む/番外編 3(情報の読み方)
web版毎日新聞08月03日(水)10時55分配信に次の記事が出ている。
この前文で、私が気になって仕方がないのが「カメラの設置は無許可で、建造物侵入罪などに該当する可能性があり、県警の捜査手法に批判の声が出るのは必至だ。」という部分。はたして「建造物侵入罪」が一番の問題なのか。
読売新聞(西部版・03日夕刊4版)では類似の前文だが、後半は
とあるが、これも「侵入罪」を問題にしている。
それでいいのか。
敷地に侵入しなければ、それでいいのか。
法律上はそうなのかもしれないが、納得できない。
毎日新聞も、読売新聞も、いま起きていることを、過去の「事例」からだけで判断している。報道とはそういうものかもしれないが、とても気になる。
毎日新聞の記事の後段に、
とある。読売新聞も同様のことを書き、少し補足している。
読売新聞の書き方からすると「対象者」が「複数」と見ているのかもしれない。独自取材で、なんらかの「情報」をつかんでいるのかもしれない。
問題は。
「個別の事案」「特定の人物」とは何であり、だれなのかわからないことだ。警察が公表していないことだ。捜査上の「秘密」なのだろうが、こういう問題が起きてしまったあとでは、それを伏せたままというのはおかしくないか。
野党の「支援団体が入居する大分県別府市の建物」に出入りする「人物」とは、「支援団体の人物」だろう。もちろん一般の市民も出入りするだろうが、不特定多数の一般市民のだれかの動向を把握するなら、その人が出入りする場所を確かめて、そこにカメラを設置するのが常識。たとえば私の動向を監視するなら、そんなところにカメラを設置しても意味はない。
この記事を読みながら思い出すのは、自民党憲法改正草案の第十九条(思想及び良心の自由)第二項である。(第二項は現行憲法にはない。つまり新設条項)
ここに書かれている「情報」とは「思想/良心」に関する情報。それには当然、どの政党を支持するかということが含まれるはず。
警官が出入り口に立って見張っているなら、そこに出入りする人は警察が見ているということがわかる。見られたくない人(だれを支持しているか知られたくない人)は出入りしないだろう。だれを支持しているかという「情報」を隠すように行動するだろう。
思想を隠したい(知られたくない)人がいるかもしれないのに、それを無視し、人の行動を「隠しカメラ」によって「情報」として取得するということが、今回おこなわれたのである。
で、問題の焦点をを「改正草案」に移して、私が言いたいのは。
「憲法改正草案」では、それをしてはならない人間を「何人も」と書いていることである。「国民は/何人も」してはならない。
けれど「何人も」には、国家とか、権力とかは含まれていない。捜査機関もきっと含まれていない。
「憲法改正草案」がそのまま成立してしまえば、こういうことはどんどん起きる。正当化される。国民はしてはいけないと定められているが、国家や警察がしてはいけないとは定めていないからだ。そして、こういうことはただ起きるだけではなく、「理由」が告げられなくなる。
今回も理由は告げられていないが、「改正草案」下の憲法では、「告げる必要はない」と警察が言うに違いない。「秘密保護法」を楯に、何の説明もしなくなるだろう。
今回起きたこと、それに対する警察の対応は、「憲法改正草案」の「先取り」なのである。「侵入罪」など、警察は気にしないだろう。今回は、警察は「不適切だった」と「謝罪」することで「決着」をつけようとしているが、今後は謝罪するしなくなるに違いない。
「先取り」がこわいのは、「先取り」という形で「事実」を積み重ねて行き、国民をならしてしまうことだ。「事実」がどんどん増えてくると、「改正草案」の「新設事項」は「新設事項」ではなく「既成事項」になる。反対するもしないも、もうそのことは「事実」として承認されていることになってしまう。つまり、「争点」にならない。
安倍と警察は、一緒になって、「改正草案」の「争点潰し」をしているのである。
そういう視点から、「事件」を見るべきではないのか。
web版毎日新聞08月03日(水)10時55分配信に次の記事が出ている。
7月10日に投開票された参院選大分選挙区で当選した民進党現職らの支援団体が入居する大分県別府市の建物の敷地内に、同県警別府署員が選挙期間中、隠しカメラを設置し、人の出入りなどを録画していたことが、3日分かった。カメラの設置は無許可で、建造物侵入罪などに該当する可能性があり、県警の捜査手法に批判の声が出るのは必至だ。
この前文で、私が気になって仕方がないのが「カメラの設置は無許可で、建造物侵入罪などに該当する可能性があり、県警の捜査手法に批判の声が出るのは必至だ。」という部分。はたして「建造物侵入罪」が一番の問題なのか。
読売新聞(西部版・03日夕刊4版)では類似の前文だが、後半は
県警は3日、別府所員が許可なく敷地内に入ったことを認めて「不適切だった」とし、関係者に謝罪したことを明らかにした。
とあるが、これも「侵入罪」を問題にしている。
それでいいのか。
敷地に侵入しなければ、それでいいのか。
法律上はそうなのかもしれないが、納得できない。
毎日新聞も、読売新聞も、いま起きていることを、過去の「事例」からだけで判断している。報道とはそういうものかもしれないが、とても気になる。
毎日新聞の記事の後段に、
県警は「個別の事案について、特定の人物の動向を把握するためにカメラを設置した。対象者が誰かは言えない。不特定多数を対象にしていたわけではない」と説明。
とある。読売新聞も同様のことを書き、少し補足している。
容疑事案の内容や対象者の人数などについては明らかにしていない。
読売新聞の書き方からすると「対象者」が「複数」と見ているのかもしれない。独自取材で、なんらかの「情報」をつかんでいるのかもしれない。
問題は。
「個別の事案」「特定の人物」とは何であり、だれなのかわからないことだ。警察が公表していないことだ。捜査上の「秘密」なのだろうが、こういう問題が起きてしまったあとでは、それを伏せたままというのはおかしくないか。
野党の「支援団体が入居する大分県別府市の建物」に出入りする「人物」とは、「支援団体の人物」だろう。もちろん一般の市民も出入りするだろうが、不特定多数の一般市民のだれかの動向を把握するなら、その人が出入りする場所を確かめて、そこにカメラを設置するのが常識。たとえば私の動向を監視するなら、そんなところにカメラを設置しても意味はない。
この記事を読みながら思い出すのは、自民党憲法改正草案の第十九条(思想及び良心の自由)第二項である。(第二項は現行憲法にはない。つまり新設条項)
何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し、又は利用してはならない。
ここに書かれている「情報」とは「思想/良心」に関する情報。それには当然、どの政党を支持するかということが含まれるはず。
警官が出入り口に立って見張っているなら、そこに出入りする人は警察が見ているということがわかる。見られたくない人(だれを支持しているか知られたくない人)は出入りしないだろう。だれを支持しているかという「情報」を隠すように行動するだろう。
思想を隠したい(知られたくない)人がいるかもしれないのに、それを無視し、人の行動を「隠しカメラ」によって「情報」として取得するということが、今回おこなわれたのである。
で、問題の焦点をを「改正草案」に移して、私が言いたいのは。
「憲法改正草案」では、それをしてはならない人間を「何人も」と書いていることである。「国民は/何人も」してはならない。
けれど「何人も」には、国家とか、権力とかは含まれていない。捜査機関もきっと含まれていない。
「憲法改正草案」がそのまま成立してしまえば、こういうことはどんどん起きる。正当化される。国民はしてはいけないと定められているが、国家や警察がしてはいけないとは定めていないからだ。そして、こういうことはただ起きるだけではなく、「理由」が告げられなくなる。
今回も理由は告げられていないが、「改正草案」下の憲法では、「告げる必要はない」と警察が言うに違いない。「秘密保護法」を楯に、何の説明もしなくなるだろう。
今回起きたこと、それに対する警察の対応は、「憲法改正草案」の「先取り」なのである。「侵入罪」など、警察は気にしないだろう。今回は、警察は「不適切だった」と「謝罪」することで「決着」をつけようとしているが、今後は謝罪するしなくなるに違いない。
「先取り」がこわいのは、「先取り」という形で「事実」を積み重ねて行き、国民をならしてしまうことだ。「事実」がどんどん増えてくると、「改正草案」の「新設事項」は「新設事項」ではなく「既成事項」になる。反対するもしないも、もうそのことは「事実」として承認されていることになってしまう。つまり、「争点」にならない。
安倍と警察は、一緒になって、「改正草案」の「争点潰し」をしているのである。
そういう視点から、「事件」を見るべきではないのか。