詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

マリー・カスティーユ・マンシオン・シャー監督「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」(★★)

2016-08-22 09:34:26 | 映画
マリー・カスティーユ・マンシオン・シャー監督「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」(★★)

監督 マリー・カスティーユ・マンシオン・シャール 出演 アリアンヌ・アスカリッド、アハメッド・ドゥラメ

 パリの「おちこぼれ高校一年生」がアウシュビッツの歴史を学ぶことで成長する姿を描いている。
 「おちこぼれ」ぶりというか、どうせ自分はダメなんだと投げやりな感じ、その一方で自尊心が強い高校生の姿は、とてもおもしろい。パリの学校ものは何本か映画を見たが、「人生の縮図」のようでおもしろい。生徒の「わがまま」加減が、なんともいえない。
 で、肝心の(感動の)、成長の姿だけれど。
 一か所、とてもおもしろかった。
 アウシュビッツのガス室。そこではみんな裸で、髪も切られで坊主頭。そういう写真を見て、あるいは文章を生徒たちは読む。その一方、「マンガ」も見つける。そのマンガは、アウシュビッツの写真を下敷きにしている。同じ構図である。しかし、マンガの中のユダヤ人は裸ではないし、頭も剃っていない。
 なぜなのか。
 生徒は考える。「髪形や服装は、そのひとの個性。ひとりひとりが違っている。裸にして、頭を剃ってしまえば、そこから個性が消える。ひとりひとりではなくなる。漫画家は、死んでいったユダヤ人を、生きているときと同じように、ひとりひとりとして描きたかった。」
 これは、誰かから聞いたことばの繰り返しではない。生徒が自分で考えたことばだ。身近なマンガから、自分のことばを動かしている。
 アウシュビッツを生き抜いた老人から、体験を聴くシーンもいいが、私は、このマンガのシーンに生徒の「正直」を感じて、とてもうれしくなった。

 映画の後半は、生徒たちが「まとも」すぎて、少し物足りない。実際のコンクールの発表のシーンがないのも残念だ。

 しかし、フランスは「大きな」国だと思う。多種多様な民族(宗教)を受け入れ、共存している。「いま」を生きている。その一方で、「歴史」を引き継ぐという「方法」を確立している。映画で描かれているコンクールは、そのひとつ。そのコンクールに全員が参加するわけではないから、すべての高校生が同じように歴史に向き合っているとは言えないのだけれど、少なくとも何人かは必ず歴史に向き合っている。そういう人間を育てようとしている。表彰式が「士官学校」でおこなわれるということは、「軍」が歴史をきちんと受け継いでいるということでもある。
 日本はどうだろうか。防衛大では、歴史は、どう教えているのだろうか。加害者としての日本の問題だけではなく、たとえば広島、長崎の原爆は、どう教えているのだろうか。たとえば被爆者の「語り部」を招いて、その体験を聴くというようなことをやっているだろうか。
 そんなことも考えさせられる映画だった。
                     (KBCシネマ2、2016年08月21日)




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