庵野秀明総監督、樋口真嗣監督「シン・ゴジラ」(★★★★)
総監督 庵野秀明、監督 樋口真嗣 出演 長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ
庵野秀明は「エヴァンゲリオン」で有名だが、私はあの映画が大嫌い。古くさい。70年代の「現代詩」をそのままやっている。映画なのに、活字をスクリーンに映して抒情ごっこ、活字のマスターベーションという感じ。
で、見に行く気は全然なかったのだが。
世の中があまりにも騒いでいるので見に行った。
総監督、監督、准監督、特技監督と、監督だらけで、だれの「監督」部分がいちばんこの映画を支えているのかわからないが。
私は、始まってすぐの短いショットの連続に、わくわく、どきどきしてしまんた。傑作の予感だ。
ゴジラのシーンと、内閣のシーンが交錯するのだが、どれもほんの少ししか見せない。海底トンネルの事故や津波みたいなシーン、住民が逃げ回るシーン、ヘリコプターが飛び回るシーン。どれも撮影には時間をかけているだろうけれど、一日かけてとったものを2-3秒しか見せない。あ、気前がいいねえ。
そのなかでも私が特に気に入ったのは、対策本部というのだろうか、それを設置するときのシーン。コピー機や何かがいろいろ運ばれてきて設置される。まあ、どうでもいいシーンなのかもしれないが、それを1秒もかけずにぱっと見せている。裏方の仕事をぱっと見せることで、これが虚構ではなく事実になった。あ、虚構なんだけれど、虚構を事実にしてしまっている。受話器の上の、なんとかかんとかと書いた文字なんかも。大がかりなシーンはもちろん丁寧にとっているのだが、小さなシーンを実に丁寧にとっている。
これに、官僚の「縄張り意識」むきだしの会話が絡む。これが、実に楽しい。声を上げて何度も笑ってしまう。これも、たぶん時間にすればせいぜいが3秒程度。
こんなに短いと、いったい何が起きているのか、よくわからないのだが、この「よくわからない」が臨場感を出している。字幕でいろいろ説明がつくのは「エヴァンゲリオン」の「活字」みたいだが、こっちの方は「意味」が「無意味」になっているので、とてもいい。
ちょっと言いなおすと。
「エヴァンゲリオン」ではスクリーンいっぱいの大きな活字が「無意味」なのに「意味」を強要してくる。抒情をあおる。それにたいして「シン・ゴジラ」の方は、「字幕(?)」の場所の説明、役職の説明(名前)などは、とても大事な情報(意味)なのに、その「意味」を考える余裕がない。肩書も名前も「無意味」になって、実際の行動、そこにいる人間の肉体、そこちあるものの存在そのものが「意味」を持ってくる。
これが、映画だね。
セリフなんかぜんぜん聞き取れないのだけれど、それがまたいい。本当に真剣に話している人の会話、専門的な話なんか、早口で、互いに分かり合っていることを語るので、傍からみている人にはわかりっこない。呼ばれた三人の科学者の解説なんて、ばかばかしい笑い話で、無意味。話している三人には「意味」があるが、聞いている他人には、彼らがこだわる「真実」がばかばかしい。つまり、わからない。観客には、当然、わかりっこない。でも、人間が動き、それにあわせて感情が動いているのが「わかる」。それで十分。ことばには「意味」はない。肉体が動いているということだけに「意味」がある。
最初のゴジラが赤ちゃんみたいにかわいらしく、その後「進化」を見せたあと、ちょっと中だるみをするのだが、最後がまたいいねえ。映画の中で展開される「論理」はあいかわらずわからないのだけれど、巨大なはしご車みたいなものをつかって、ゴジラに薬を飲ませる。ばかばかしいくらい「人間的」。つまり「肉体」としてわかる。薬を飲むにしたがってゴジラの動きが鈍くなるというのは、麻酔銃で打たれた野獣のようだが、麻酔銃ではなく、「飲み薬」というのが傑作。離れたところ(安全なところ)から対処するのではなく、接近して、そこで対処する。そうすると、どうしても「肉体」というのものが「見える」。これが、いい。
このシーンで、この映画は「大傑作」になった。
このとき、私なんかは完全にゴジラ気分。あるいは、いま我が家の犬は薬(錠剤)を毎日飲まななければいけないのだけれど、その薬を飲まされる愛犬気分というべきか。なんというか、薬を飲むということがどういうことか、「肉体」で反応してしまう。口を大きく開けて、その口の中に何かが入ってくる感じ。そしてそれが「肉体」のなかにまわっていく感じ。これ、わかるよなあ。
これがねえ、ミサイルだとかなんとかの場合は、それを受けるゴジラの気分にはなられない。「痛い」かどうか、さっぱりわからない。ミサイルなんて打ち込まれたことはないからねえ。だから「ミサイルも効かないのか」なんて言われても、そんなもんなんじゃない?と思うだけ。
★5個にしようかどうしようか、迷ったのだが。大傑作と書きながら★ 4個にしてしまったが。
4個にしたのは、長谷川博己、石原さとみの「からみ」がつまらない。ふたりのキャラクターそのものが「漫画/紙芝居/書き割り」になってしまっている。これは演技力の問題かもしれない。薬を飲まされるゴジラなんて架空の存在なのに「肉体」を感じるのに対して、ふたりには「肉体」がない。妙な政治家の野心と正義感が「ことば」としてあるだけで、「肉体」になっていない。おまえら、政治を実感したことがないな。参院選にも、当然のことながら、投票に行かなかったな、と石でもぶつけてやりたいくらい。
まあ、二人が下手くそなぶんだけゴジラがリアルになるから、それはそれでいいという意見もあるだろうけれど。
ふたりがもっとうまければ、「緊急事態」云々というような「政治」を盛り込んだ部分がリアルになるのだけれど、あのふたり、せっかく盛り込まれている「日本の政治状況」というものが、まったくわかっていなくて、浮き上がっている。ていねいにとられたシーンをぶち壊しにしている。(だれが監督した部分かわからないけれど、せっかくの「政治批判」が、単なるストーリー展開の「道具」になってしまっている。防衛大臣が女というのも、稲田がそうなるのを知っていたかのようでおもしろいのに。)
それが、とてもとてもとても残念。
(天神東宝スクリーン3、2016年08月07日)
*
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総監督 庵野秀明、監督 樋口真嗣 出演 長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ
庵野秀明は「エヴァンゲリオン」で有名だが、私はあの映画が大嫌い。古くさい。70年代の「現代詩」をそのままやっている。映画なのに、活字をスクリーンに映して抒情ごっこ、活字のマスターベーションという感じ。
で、見に行く気は全然なかったのだが。
世の中があまりにも騒いでいるので見に行った。
総監督、監督、准監督、特技監督と、監督だらけで、だれの「監督」部分がいちばんこの映画を支えているのかわからないが。
私は、始まってすぐの短いショットの連続に、わくわく、どきどきしてしまんた。傑作の予感だ。
ゴジラのシーンと、内閣のシーンが交錯するのだが、どれもほんの少ししか見せない。海底トンネルの事故や津波みたいなシーン、住民が逃げ回るシーン、ヘリコプターが飛び回るシーン。どれも撮影には時間をかけているだろうけれど、一日かけてとったものを2-3秒しか見せない。あ、気前がいいねえ。
そのなかでも私が特に気に入ったのは、対策本部というのだろうか、それを設置するときのシーン。コピー機や何かがいろいろ運ばれてきて設置される。まあ、どうでもいいシーンなのかもしれないが、それを1秒もかけずにぱっと見せている。裏方の仕事をぱっと見せることで、これが虚構ではなく事実になった。あ、虚構なんだけれど、虚構を事実にしてしまっている。受話器の上の、なんとかかんとかと書いた文字なんかも。大がかりなシーンはもちろん丁寧にとっているのだが、小さなシーンを実に丁寧にとっている。
これに、官僚の「縄張り意識」むきだしの会話が絡む。これが、実に楽しい。声を上げて何度も笑ってしまう。これも、たぶん時間にすればせいぜいが3秒程度。
こんなに短いと、いったい何が起きているのか、よくわからないのだが、この「よくわからない」が臨場感を出している。字幕でいろいろ説明がつくのは「エヴァンゲリオン」の「活字」みたいだが、こっちの方は「意味」が「無意味」になっているので、とてもいい。
ちょっと言いなおすと。
「エヴァンゲリオン」ではスクリーンいっぱいの大きな活字が「無意味」なのに「意味」を強要してくる。抒情をあおる。それにたいして「シン・ゴジラ」の方は、「字幕(?)」の場所の説明、役職の説明(名前)などは、とても大事な情報(意味)なのに、その「意味」を考える余裕がない。肩書も名前も「無意味」になって、実際の行動、そこにいる人間の肉体、そこちあるものの存在そのものが「意味」を持ってくる。
これが、映画だね。
セリフなんかぜんぜん聞き取れないのだけれど、それがまたいい。本当に真剣に話している人の会話、専門的な話なんか、早口で、互いに分かり合っていることを語るので、傍からみている人にはわかりっこない。呼ばれた三人の科学者の解説なんて、ばかばかしい笑い話で、無意味。話している三人には「意味」があるが、聞いている他人には、彼らがこだわる「真実」がばかばかしい。つまり、わからない。観客には、当然、わかりっこない。でも、人間が動き、それにあわせて感情が動いているのが「わかる」。それで十分。ことばには「意味」はない。肉体が動いているということだけに「意味」がある。
最初のゴジラが赤ちゃんみたいにかわいらしく、その後「進化」を見せたあと、ちょっと中だるみをするのだが、最後がまたいいねえ。映画の中で展開される「論理」はあいかわらずわからないのだけれど、巨大なはしご車みたいなものをつかって、ゴジラに薬を飲ませる。ばかばかしいくらい「人間的」。つまり「肉体」としてわかる。薬を飲むにしたがってゴジラの動きが鈍くなるというのは、麻酔銃で打たれた野獣のようだが、麻酔銃ではなく、「飲み薬」というのが傑作。離れたところ(安全なところ)から対処するのではなく、接近して、そこで対処する。そうすると、どうしても「肉体」というのものが「見える」。これが、いい。
このシーンで、この映画は「大傑作」になった。
このとき、私なんかは完全にゴジラ気分。あるいは、いま我が家の犬は薬(錠剤)を毎日飲まななければいけないのだけれど、その薬を飲まされる愛犬気分というべきか。なんというか、薬を飲むということがどういうことか、「肉体」で反応してしまう。口を大きく開けて、その口の中に何かが入ってくる感じ。そしてそれが「肉体」のなかにまわっていく感じ。これ、わかるよなあ。
これがねえ、ミサイルだとかなんとかの場合は、それを受けるゴジラの気分にはなられない。「痛い」かどうか、さっぱりわからない。ミサイルなんて打ち込まれたことはないからねえ。だから「ミサイルも効かないのか」なんて言われても、そんなもんなんじゃない?と思うだけ。
★5個にしようかどうしようか、迷ったのだが。大傑作と書きながら★ 4個にしてしまったが。
4個にしたのは、長谷川博己、石原さとみの「からみ」がつまらない。ふたりのキャラクターそのものが「漫画/紙芝居/書き割り」になってしまっている。これは演技力の問題かもしれない。薬を飲まされるゴジラなんて架空の存在なのに「肉体」を感じるのに対して、ふたりには「肉体」がない。妙な政治家の野心と正義感が「ことば」としてあるだけで、「肉体」になっていない。おまえら、政治を実感したことがないな。参院選にも、当然のことながら、投票に行かなかったな、と石でもぶつけてやりたいくらい。
まあ、二人が下手くそなぶんだけゴジラがリアルになるから、それはそれでいいという意見もあるだろうけれど。
ふたりがもっとうまければ、「緊急事態」云々というような「政治」を盛り込んだ部分がリアルになるのだけれど、あのふたり、せっかく盛り込まれている「日本の政治状況」というものが、まったくわかっていなくて、浮き上がっている。ていねいにとられたシーンをぶち壊しにしている。(だれが監督した部分かわからないけれど、せっかくの「政治批判」が、単なるストーリー展開の「道具」になってしまっている。防衛大臣が女というのも、稲田がそうなるのを知っていたかのようでおもしろいのに。)
それが、とてもとてもとても残念。
(天神東宝スクリーン3、2016年08月07日)
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「映画館に行こう」にご参加下さい。
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