詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

庵野秀明総監督、樋口真嗣監督「シン・ゴジラ」(★★★★)

2016-08-07 22:21:43 | 映画
庵野秀明総監督、樋口真嗣監督「シン・ゴジラ」(★★★★)

総監督 庵野秀明、監督 樋口真嗣 出演 長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ

 庵野秀明は「エヴァンゲリオン」で有名だが、私はあの映画が大嫌い。古くさい。70年代の「現代詩」をそのままやっている。映画なのに、活字をスクリーンに映して抒情ごっこ、活字のマスターベーションという感じ。
 で、見に行く気は全然なかったのだが。
 世の中があまりにも騒いでいるので見に行った。
 総監督、監督、准監督、特技監督と、監督だらけで、だれの「監督」部分がいちばんこの映画を支えているのかわからないが。
 私は、始まってすぐの短いショットの連続に、わくわく、どきどきしてしまんた。傑作の予感だ。
 ゴジラのシーンと、内閣のシーンが交錯するのだが、どれもほんの少ししか見せない。海底トンネルの事故や津波みたいなシーン、住民が逃げ回るシーン、ヘリコプターが飛び回るシーン。どれも撮影には時間をかけているだろうけれど、一日かけてとったものを2-3秒しか見せない。あ、気前がいいねえ。
 そのなかでも私が特に気に入ったのは、対策本部というのだろうか、それを設置するときのシーン。コピー機や何かがいろいろ運ばれてきて設置される。まあ、どうでもいいシーンなのかもしれないが、それを1秒もかけずにぱっと見せている。裏方の仕事をぱっと見せることで、これが虚構ではなく事実になった。あ、虚構なんだけれど、虚構を事実にしてしまっている。受話器の上の、なんとかかんとかと書いた文字なんかも。大がかりなシーンはもちろん丁寧にとっているのだが、小さなシーンを実に丁寧にとっている。
 これに、官僚の「縄張り意識」むきだしの会話が絡む。これが、実に楽しい。声を上げて何度も笑ってしまう。これも、たぶん時間にすればせいぜいが3秒程度。
 こんなに短いと、いったい何が起きているのか、よくわからないのだが、この「よくわからない」が臨場感を出している。字幕でいろいろ説明がつくのは「エヴァンゲリオン」の「活字」みたいだが、こっちの方は「意味」が「無意味」になっているので、とてもいい。
 ちょっと言いなおすと。
 「エヴァンゲリオン」ではスクリーンいっぱいの大きな活字が「無意味」なのに「意味」を強要してくる。抒情をあおる。それにたいして「シン・ゴジラ」の方は、「字幕(?)」の場所の説明、役職の説明(名前)などは、とても大事な情報(意味)なのに、その「意味」を考える余裕がない。肩書も名前も「無意味」になって、実際の行動、そこにいる人間の肉体、そこちあるものの存在そのものが「意味」を持ってくる。
 これが、映画だね。
 セリフなんかぜんぜん聞き取れないのだけれど、それがまたいい。本当に真剣に話している人の会話、専門的な話なんか、早口で、互いに分かり合っていることを語るので、傍からみている人にはわかりっこない。呼ばれた三人の科学者の解説なんて、ばかばかしい笑い話で、無意味。話している三人には「意味」があるが、聞いている他人には、彼らがこだわる「真実」がばかばかしい。つまり、わからない。観客には、当然、わかりっこない。でも、人間が動き、それにあわせて感情が動いているのが「わかる」。それで十分。ことばには「意味」はない。肉体が動いているということだけに「意味」がある。
 最初のゴジラが赤ちゃんみたいにかわいらしく、その後「進化」を見せたあと、ちょっと中だるみをするのだが、最後がまたいいねえ。映画の中で展開される「論理」はあいかわらずわからないのだけれど、巨大なはしご車みたいなものをつかって、ゴジラに薬を飲ませる。ばかばかしいくらい「人間的」。つまり「肉体」としてわかる。薬を飲むにしたがってゴジラの動きが鈍くなるというのは、麻酔銃で打たれた野獣のようだが、麻酔銃ではなく、「飲み薬」というのが傑作。離れたところ(安全なところ)から対処するのではなく、接近して、そこで対処する。そうすると、どうしても「肉体」というのものが「見える」。これが、いい。
 このシーンで、この映画は「大傑作」になった。
 このとき、私なんかは完全にゴジラ気分。あるいは、いま我が家の犬は薬(錠剤)を毎日飲まななければいけないのだけれど、その薬を飲まされる愛犬気分というべきか。なんというか、薬を飲むということがどういうことか、「肉体」で反応してしまう。口を大きく開けて、その口の中に何かが入ってくる感じ。そしてそれが「肉体」のなかにまわっていく感じ。これ、わかるよなあ。
 これがねえ、ミサイルだとかなんとかの場合は、それを受けるゴジラの気分にはなられない。「痛い」かどうか、さっぱりわからない。ミサイルなんて打ち込まれたことはないからねえ。だから「ミサイルも効かないのか」なんて言われても、そんなもんなんじゃない?と思うだけ。

 ★5個にしようかどうしようか、迷ったのだが。大傑作と書きながら★ 4個にしてしまったが。
 4個にしたのは、長谷川博己、石原さとみの「からみ」がつまらない。ふたりのキャラクターそのものが「漫画/紙芝居/書き割り」になってしまっている。これは演技力の問題かもしれない。薬を飲まされるゴジラなんて架空の存在なのに「肉体」を感じるのに対して、ふたりには「肉体」がない。妙な政治家の野心と正義感が「ことば」としてあるだけで、「肉体」になっていない。おまえら、政治を実感したことがないな。参院選にも、当然のことながら、投票に行かなかったな、と石でもぶつけてやりたいくらい。
 まあ、二人が下手くそなぶんだけゴジラがリアルになるから、それはそれでいいという意見もあるだろうけれど。
 ふたりがもっとうまければ、「緊急事態」云々というような「政治」を盛り込んだ部分がリアルになるのだけれど、あのふたり、せっかく盛り込まれている「日本の政治状況」というものが、まったくわかっていなくて、浮き上がっている。ていねいにとられたシーンをぶち壊しにしている。(だれが監督した部分かわからないけれど、せっかくの「政治批判」が、単なるストーリー展開の「道具」になってしまっている。防衛大臣が女というのも、稲田がそうなるのを知っていたかのようでおもしろいのに。)
 それが、とてもとてもとても残念。
                   (天神東宝スクリーン3、2016年08月07日)







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自民党憲法改正草案を読む/番外6(情報の読み方)

2016-08-07 11:42:52 | 自民党憲法改正草案を読む
自民党憲法改正草案を読む/番外6(情報の読み方)

 2016年08月06日読売新聞(西部版・14版)の記事が気になった。天皇の「生前退位」問題についての続報。天皇は08日ビデオで「お気持ち」を語るのだが、その内容について、三面の「スキャナー」で次のように書いている。


 誕生日の会見で述べられるようなお言葉は、同庁の責任で発表されるが、関係者によると、8日のお気持ちは慎重を期して、水面下で連絡を取りながら、官邸サイドにもチェックを求めたという。

 「慎重を期して」というのは、その発言が「政治的発言」にならないように、憲法違反にならないようにという意味だが、「官邸サイドにもチェックを求めた」というのは、どういうことだろう。
 もし、そこに「政治的発言」が含まれているなら、それを除外するように官邸が指示し、ことばを修正するということだろうか。
 それならば、それはどうしたって「官邸サイド」の「言わせたい」ことばになってしまうのではないだろうか。
 こういうことを「検閲」というのではないのか。
 さらに、

 「生前退位」など皇室制度に関する言及は、政治的な発言と受け取られないよう、避けるとみられる。天皇としての制約があるなかで、陛下のお気持ちを伝えるため、ことばを尽くした構成になり、発表されるビデオメッセージの長さは10分にも及ぶ。

 とある。「避けるとみられる」の「みられる」は推測だが、どうしてそのような推測ができたのか。どうして、それがわかったのか。
 「官邸サイド」で「避けるように」指導した、検閲した、ということではないのか。その「情報」が洩れてきたのではないのか。
 先に引用した部分の「水面下で連絡を取りながら」ということばが気になる。「水面下」なので、「事実」はわからない。「水面下」で主導権をとっているのはどちらなのかは、さらにわからない。

 二面の「首相、コメントへ」という解説記事には、次の下りがある。

 政府高官の一人は4日、陛下のお気持ち表明は8日と宮内庁発表に先立ち伝えた報道を受け、「宮内庁はマスコミを使って既成事実化しているのではないか」と語った。

 私はどうしても逆に読んでしまう。最初の報道が安倍の意向に沿ったことしか伝えないと明言している籾井NHKの夜7時のニュースであることを考えると、「陛下のお気持ち表明は8日と宮内庁発表に先立ち伝えた報道」は宮内庁以外のところからリークされたものであり、その宮内庁以外のところが「マスコミを使って既成事実化しているのではないか」と感じるのである。
 そしてこのときの「既成事実」とは「天皇が生前退位の意向を持っているが、そういう発言をすることは憲法違反である」「天皇は憲法違反をしようとしている」ということである。
 力点は「天皇の生前退位」が可能かどうか、その意向をどう判断するかではなく、「天皇は政治的発言を禁じられている、天皇は憲法違反をしようとしている」ということである。
 なぜ、「憲法違反」にこだわるのか。
 いまの憲法ではそれが憲法違反になっるのなら、憲法を変えてしまえ、という「本音」が、奥に隠れている。憲法改正に利用してしまえ、という宮内庁以外のところ、つまり官邸サイド、つまり安倍の意向を私は感じてしまう。
 二面の記事には、また次のことが書かれている。

 政府は今秋にも有識者会議設置を検討しているが、今後は世論の動向がカギを握ると見ている。憲法1条は「天皇の地位は日本国民の総意に基く」と規定しており、「国民の大半が『生前退位』を求めるムードが醸成されれば、法改正に動いても憲法違反にならない」(首相周辺)というわけだ。

 国民のあいだに「『生前退位』を求めるムード」をつくりだし(記事は「醸成されれば」と受け身で書いているのだが)、それを利用して皇室範典などを改正し、それを契機に(突破口に)憲法改正まで進もうとしているとしか思えない。
 「国民の総意」ということばを巧みに利用し、憲法改正を進めようとしている。
 どうすれば憲法改正を「国民総意」のものであると印象づけることができるか、必死になって演出しようとしているとしか思えない。「首相周辺」というのがだれのことかわからないが、そこに「首相」ということばがある。「安倍周辺」とは「安倍」そのものではないのか、と私は疑っている。

 読売新聞社の最新の世論調査では、生前退位できるよう制度を「改正すべきだ」との回答は84%に上っている。

 とあるが、このときの「生前退位できる」は、どういう意味だろう。「天皇が望めば」ということか。そのとき「天皇の望み」は「政治的行為」にしない、「退位」問題に関しては「政治問題」にはしないということなのだろうけれど……。
 もし、天皇ではなく、官邸サイド(首相周辺)が「天皇の生前退位」を望んだときはどうなるのか。官邸サイド(首相周辺)が、どんな「望み」をもち、それを発表しても、それが「政治的行為」であることを理由に「憲法違反」という問題は起きない。「政治的行為」をするのが内閣だからである。
 天皇が生前退位の意向を持っている。それを表明することは政治的行為であり、憲法違反であるというのだが、逆に、安倍が天皇を生前退位させたいという意向を持っている場合はどうなのか。天皇の政治的行為にはならないが、天皇の政治的利用にはなる。それもやはり憲法違反になるだろうと思う。憲法違反にならないようにするために、安倍は画策しているのではないか、と私は疑っている。

 「事前検閲」を受けている天皇のビデオ以上に、私は「予告された首相のコメント」の内容が気になる。その発言は宮内庁の「事前検閲」を受けているのだろうか。「そういう発言では天皇の気持ちをくみ取ったものではない、天皇の意向はそういうことではない」というようなやりとりをして、文言(表現)を調整しているのだろうか。
 読売新聞は、宮内庁側が「官邸サイドにもチェックを求めたという」とは書いているが、安倍側が安倍のコメントに対して「宮内庁サイドにもチェックを求めた」とは書いていない。「水面下」で交渉するのなら、両方が互いの表現をチェックするのが普通だと思うのだが。両者に上下関係がないのだとしたら。

 安倍+籾井NHKは参院選では「報道しない」という戦法で世論をリードした。そして作戦どおりに少数意見を封じ込め、選挙に勝利した。今度は「積極的に報道する」という戦法で、世論をつくりだそうとしているように私には感じられる。

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