詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高階杞一「歌のアルバム 6月」

2016-08-04 10:29:06 | 詩(雑誌・同人誌)
高階杞一「歌のアルバム 6月」(「ガーネット」79、2016年07月01日発行)

 高階杞一「歌のアルバム 6月」は、流行歌のことばが引用される。


いつものように幕があき
出ていくと
客がひとりもいなかった
それでも始めるべきか
それともひとりでも来るのを待つべきか
はたまたさっさと引っ込むべきか
頭の中を川が流れる

あれは三年前
扉の閉まりかけた汽車に飛び乗って
(怒られた)
そうしてやっと
ここまで来たのに
どうしてこんなふうになったのか

 ちあきなおみの歌った「喝采」をすぐに思い出す。歌の力はすごいものである、と書いてしまうと高階の詩の感想にならない。
 まあ、特に感想にしなくてもいいし、ちあきなおみの歌を思い出させるとしたらそれはそれで、高階の詩の「手柄」かもしれない。「喝采」を下敷きにしながら「喝采」が下敷きかどうかわからなかったという具合だと、それはそれで変だからね。
 一連目の「それでも」「それとも」「はたまた」とつづく三行が、意外と、高階の「本質」かもしれないとも思った。高階の詩は「ライトヴァース」と呼ばれることがある。軽いのである。しかし、それが「軽い」のは、もしかすると「論理的」だからかもしれない。「論理」というのはことばをスムーズに動かす。スムーズに感じさせる。「論理」がないとつまずいてしまって、動けない。
 で、その「論理」の真骨頂というのが、二連目の

扉の閉まりかけた汽車に飛び乗って
(怒られた)

 これだね。危険だから叱られた。書かれていないけれど「だから」が隠れている。「だから」というのは「論理」である。その「論理」の「だから」を隠して飛躍する。そこに軽さがある。
 「飛躍」という点で言えば、一連目の最終行の「頭の中を川が流れる」が大きな飛躍。なぜ、川? わからないけれど、きっと捨ててきたふるさとに川があるのだろう。ここは逆に「論理」がないから「重い」。

 で、また「論理」にもどるのだが。「そうしてやっと/ここまで来たのに/どうしてこんなふうになったのか」の「来たのに」の「のに」が「しつこい論理」でおもしろく、このしつこさが三連目につながっていく。

雨の中
とぼとぼと駅へ向かって歩く
服も
こころも濡れて
まるで古い塩化のようだな と
自分を笑えば
よけいに泣きたくなってきた

 「服も/こころも」の「も」の繰り返しがしつこくて、「川」の「重さ」を引きずっている。
 そして最後。「自分を笑えば/よけいに泣きたくなってきた」が「逆説の論理(?)」とでも呼びたくなる「論理」だね。「笑う」が「泣く」に結びつき、そのことで「泣く」が弱くなるのではなく、「強く」なる。「飛躍」して飛んで行ってしまう、浮いてしまうのではなく、「飛躍」して深みに飛び込む感じ、深みに飛び込むための「飛躍」という感じ。
 目新しい「論理」ではなく、なじみの「論理」なのだけれど、その「なじみ」の感覚が「軽い」抒情ということなのかな?

高階杞一詩集 (ハルキ文庫 た)
高階 杞一
角川春樹事務所
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自民党憲法改正草案を読む/番外編4(情報の読み方)

2016-08-04 09:43:52 | 自民党憲法改正草案を読む
自民党憲法改正草案を読む/番外編4(情報の読み方)

 2016年08月04日読売新聞朝刊(西部版・14版)の2面に、「憲法改正向けた議論/野党に呼びかけ/首相」という短い記事が載っている。内閣人事の記事に隠れて目立たないが、この記事が私には気になった。(稲田の防衛相就任について書きたくて「情報」を探していたのだが……。)

 安倍首相は3日の記者会見で、憲法改正について「自分の任期中に(改正を)果たしていきたいと考えるのは当然だ」と改めて実現に意欲を示した。
 そのうえで、「そう簡単なことではない。(衆参両院の)憲法審査会の静かな環境の中で、所属政党にかかわらず、日本の未来を見据えて議論を深めていってもらいたい。政局のことは考えるべきではない」と述べ、野党に議論への参加を呼びかけた。

 注目したことばは「任期中」と「静かな環境」である。
 「任期中」はあとで書くことにして、まず、「静かな環境」。この「静かな」ということばで私がすぐに思い出したのは、先の参院選の「静かさ」だった。何度も書いたが、私は投票日の一週間前、07月03日に気づいた。そして、その「静かさ」が報道(特にNHKをはじめとするテレビ)が参院選について報道していないことから生じている、マスコミがつくりだした静かさだと気づいた。
 同じことが憲法改正論議でも起きるのだ。安倍は、起こそうとしているのだ。
 憲法審査会での議論(途中経過)は公開されないだろう。「密室審査会」になってしまう。したがって報道もされない。つまり国民はどういう議論がおこなわれたかを知らない。したがって、国民はそれを語り合うことができない。
 「静かな環境」とは、こういうことである。国民のひとりひとりが「おれに意見を言わせてくれ」と言い始めたら、うるさくてしようがない。
 しかし、「うるささ」こそが民主主義なのではないのか。
 「密室審査会」では、否定された議論のなかに、もしかすると自分と一緒の考え方があるかもしれないのに、それを知ることができない。「その意見に賛成」ということができず、少数意見は「孤立意見」になってしまう。
 それだけではない。少数意見は紹介されないことで、存在しなかったことになる。
 これは参院選のテレビ(籾井NHK)報道の「やり口」そのままである。
 重大な問題は議論を尽くす。少数意見にも耳を傾ける。これが民主主義の基本なのだが、最近の報道は少数意見を紹介しない。多様な意見を紹介しない。「多数」の意見のみを紹介する。その「多数」というのは、つくられたものかもしれないのに。
 国民を締め出し、「憲法審査会」という「密室」で議論がつづけるという、この「意思表示」には、「国民は口をはさむな(国民はどうせ何もわからない)」という安倍の本音、国民は安倍の言うことを聞け、という「独裁」の姿勢が隠れている。
 
 「任期中」ということばで気になるのは。
 同じ読売新聞の2面に「天皇陛下 ビデオで「お気持ち」/8日、生前退位巡り」という見出しの記事がある。そのなかに、

「天皇の退位」について触れることになるお言葉をめぐっては、憲法が禁じた天皇の政治的な発言に当たるという意見もあり、慎重に準備を進めている。

 という一文がある。
 天皇が何かを言うと、それは「憲法違反」になることがある。
 これを「強調」している。というか、「念押し」している。
 天皇の発言には「護憲」的な要素が多い。これは安倍にとっては目障りなのだろう。それを封じたい、という思いがあると思う。
 籾井NHKが「スクープ」した「天皇生前退位」問題は、この安倍の意向を汲んだものだと私は考えている。「天皇が安倍の改憲の動きに対して抵抗した」という見方もあるが、そういう「見方」そのものも安倍サイドから流されたものだろう。「天皇が安倍の改憲の動きに対して抵抗する」となれば、それは「政治的行為」であり、「憲法違反」である。天皇は「憲法違反」のことをしようとしている、と報道を通じて「じわりじわり」と、つまり「静かに」伝えようとしている。
 安倍は安倍の任期中に、まず「政治的発言」をする天皇を除外し、ついで「憲法改正」を押し切ろうとしている。「生前退位」させることで、天皇の発言を封じ、憲法改正への「静かな環境」をつくろうとしている。「生前退位」を押しつけることで、次の天皇にも何かあれば退位させるぞという「圧力」をかける。もちろん、表向きは、天皇の健康に配慮してということになる。
 安倍の総裁の任期、2018年09月を考えると、あと2年ちょっと。急がなければならない。安倍は、とても急いでいるのだと思う。

 天皇のビデオ放映(?)が8日というのは、とても微妙だ。
 6日広島原爆の日、9日長崎原爆の日、15日終戦の日(全国戦没者追悼式)と天皇が出席する重大な行事がある。なぜ、15日以降、つまり重大な「任務」のあとではないのか。なぜ、任務のあいだに、議論を呼びそうなことをあえてするのか。
 これは安倍の「静かな」環境をねらう姿勢と大きく異なる。
 安倍は、「天皇退位」については、「大騒ぎ」にしてしまいたいのだ。大騒ぎし、「天皇の政治的発言は禁じられている」ということを国民の意識に植えつけたいのだ。
 「天皇が言っているから、安倍も天皇の意向に沿って憲法を改正するな」「天皇を尊重しろ」というにうな皇室を尊重しているひとびとの思いを、そうすることで封じようともしている。
 天皇の以降を「静かに」尊重するのではなく、「大騒ぎ」を引き起こして、それを「鎮静化する」(静かにする)という方向で決着させ、そのまま「憲法改正」へ突き進むという「スケジュール」ができているのだろう。
 「大騒ぎ」にするためには、日程が窮屈な方がいい。
 15日以降だと、国民も報道機関も、天皇のことばの意味をじっくりと検討することができる。検討をつづける、議論をつづけるということができる。8日だと、その翌日は長崎原爆の報道をしないといけないので、「天皇退位(天皇のことば)」についてだけ集中して議論/報道ができない。その一週間後には戦没者追悼式があり、まだ、あわただしい。
 安倍が単独でこういう「スケジュール」を考えたのか、だれかが指揮しているのかわからないが、参院選からの「静かさ」と「さわがしさ」の「演出」が、とても不気味である。
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