監督 ノア・バームバック 出演 ベン・スティラー、ナオミ・ワッツ、アダム・ドライバー、アマンダ・セイフライド
うまい映画だなあ。
40代のベン・スティラー、ナオミ・ワッツ、20代のアダム・ドライバー、アマンダ・セイフライドの交流(?)を描いている。情報量が非常に多いのにうるさくない。ひとつひとつのシーンが短くてぱっと切り替わる。しかも、切り取られたそのひとつひとつのシーンが、その背後にきちんと時間をかかえているということがわかる。映像の質がとても充実している。
映画は、「ドキュメンタリー」をキーワードにしているのだが、まるでドキュメンタリーそのものを見ている感じ。そうか、いま、ニューヨークの40代と20代はこんなふうに生きているのか。
こんなふうに、というのは40代は、大人になろうと必死にあがいている。40代だからもちろん大人なのだが、安定した「地位」がなく、大人という実感が持てない。アメリカン・ドリームの国なので、ドリームを実現しないことには大人ではない、成功しなければ大人ではない、ということなのか。子供を産み、父親・母親になるにも、もうそろそろ限界が近い。で、妙にいらいらしている。
一方20代はアメリカン・ドリームなど知らない、という感じ。レトロな趣味を生きている。CDは聞かずにレコードを聴く、という感じ。インドの瞑想(?)に身を任せたりもしている。
本当は、野望をもっていて、その野望の実現のためには40代の二人よりも、もっともっと「現実的」な方法をとる。「根回し」というか、「下工作」だね。40代のふたり(特にベン・スティラー)が「自尊心」のために「下工作」できないのと対照的だ。20代のふたりは(とくにアダム・ドライバー)は40代の男が「自尊心」を捨てられないということを熟知していて、それを利用する。そういう「ずるさ」を身につけている。
でね。
これからが、感想を書くにもちょっとむずかしい。
この20代の「ずるさ」が、妙に生々しいというか、人間的なのだ。成功するためにコツコツ努力する。「信念」をつらぬくなんていうことは、しないのだ。「信念」にこだわっていては40代の男のように、結局、つまずく。そうわかっているので、最初から「信念」を放棄する。
この、なんというか、若者ではなくなった年代から見ると「いやな男」をアダム・ドライバーが「ぬめっ」とした感じで演じている。自分の「信念」ではなく、自分が「他人にどう見られているか」ということを生き方の基本にしている。それで「世間」をわたってしまう。
60代の男(40代の男が「手本」にした男)は、40代の男(信念の継承者)の生き方を無視して、20代の男の生き方を支持するのである。そういう「支持」を取り込むことを20代の男は、できるのである。
この部分(ナオミ・ワッツの父親の受賞パーティー?)が、かなり、ぞくっとする。
最後の、こんどは0代の赤ん坊が、スマホで遊んでいるのを見て、「養子」を引き取ることにした40代のふたりが見て、そこにまた「新しい年代」を発見し、わっ、どうなるのだろうという表情を見せるところも、ぞくっとするねえ。
そうか、「時代」というのは、こんな風に動いていくのか。
(KBCシネマ2、2016年08月14日)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
うまい映画だなあ。
40代のベン・スティラー、ナオミ・ワッツ、20代のアダム・ドライバー、アマンダ・セイフライドの交流(?)を描いている。情報量が非常に多いのにうるさくない。ひとつひとつのシーンが短くてぱっと切り替わる。しかも、切り取られたそのひとつひとつのシーンが、その背後にきちんと時間をかかえているということがわかる。映像の質がとても充実している。
映画は、「ドキュメンタリー」をキーワードにしているのだが、まるでドキュメンタリーそのものを見ている感じ。そうか、いま、ニューヨークの40代と20代はこんなふうに生きているのか。
こんなふうに、というのは40代は、大人になろうと必死にあがいている。40代だからもちろん大人なのだが、安定した「地位」がなく、大人という実感が持てない。アメリカン・ドリームの国なので、ドリームを実現しないことには大人ではない、成功しなければ大人ではない、ということなのか。子供を産み、父親・母親になるにも、もうそろそろ限界が近い。で、妙にいらいらしている。
一方20代はアメリカン・ドリームなど知らない、という感じ。レトロな趣味を生きている。CDは聞かずにレコードを聴く、という感じ。インドの瞑想(?)に身を任せたりもしている。
本当は、野望をもっていて、その野望の実現のためには40代の二人よりも、もっともっと「現実的」な方法をとる。「根回し」というか、「下工作」だね。40代のふたり(特にベン・スティラー)が「自尊心」のために「下工作」できないのと対照的だ。20代のふたりは(とくにアダム・ドライバー)は40代の男が「自尊心」を捨てられないということを熟知していて、それを利用する。そういう「ずるさ」を身につけている。
でね。
これからが、感想を書くにもちょっとむずかしい。
この20代の「ずるさ」が、妙に生々しいというか、人間的なのだ。成功するためにコツコツ努力する。「信念」をつらぬくなんていうことは、しないのだ。「信念」にこだわっていては40代の男のように、結局、つまずく。そうわかっているので、最初から「信念」を放棄する。
この、なんというか、若者ではなくなった年代から見ると「いやな男」をアダム・ドライバーが「ぬめっ」とした感じで演じている。自分の「信念」ではなく、自分が「他人にどう見られているか」ということを生き方の基本にしている。それで「世間」をわたってしまう。
60代の男(40代の男が「手本」にした男)は、40代の男(信念の継承者)の生き方を無視して、20代の男の生き方を支持するのである。そういう「支持」を取り込むことを20代の男は、できるのである。
この部分(ナオミ・ワッツの父親の受賞パーティー?)が、かなり、ぞくっとする。
最後の、こんどは0代の赤ん坊が、スマホで遊んでいるのを見て、「養子」を引き取ることにした40代のふたりが見て、そこにまた「新しい年代」を発見し、わっ、どうなるのだろうという表情を見せるところも、ぞくっとするねえ。
そうか、「時代」というのは、こんな風に動いていくのか。
(KBCシネマ2、2016年08月14日)
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