詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

『詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント』の入手方法

2016-08-17 22:50:49 | 自民党憲法改正草案を読む
『詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント』をアマゾンで購入される方へ。
下のURLをクリックしてください。
アマゾン本店(?)とポエムピースと、ふたつの購入先が表示されます。
アマゾン本店の方は、なぜか、ずーっと「入荷待ち」の状態です。
(予約を受け付けていたのに、発売になったとたんに「在庫なし」。
もちろん発送もされていません。--という情報があります。)


https://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4908827044/ref=sr_1_1_olp?s=books&ie=UTF8&qid=1471441278&sr=1-1&keywords=%E8%B0%B7%E5%86%85%E4%BF%AE%E4%B8%89

アマゾンは、どうも中小の出版社には冷たいようです。
2年前に『谷川俊太郎の「こころ」を読む』を出版したときも、発売後1か月くらいは「在庫ゼロ」という状況がつづきました。

なお、サイン入りをご希望の方は
yachisyuso@gmail.com
までお知らせください。
1200円(税なし、送料込み)で販売します。
版元から取り寄せての配送になるので時間は多少かかりますが、アマゾンよりは早くお届けできると思います。

書店での販売は、地方では遅れます。
福岡のジュンク堂の話では「東京先行販売なので、入荷はいつになるかわからない」ということでした。
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中井ひさ子「甕」

2016-08-17 22:26:49 | 詩(雑誌・同人誌)
中井ひさ子「甕」(「GANYMEDE」67、2016年08月01日発行)

 中井ひさ子「甕」の前半。

台所の片隅から
蓋つきの甕が出てきた
うすく積もったほこりを払う

蓋を開けると
甲高い声が飛び出した

入れるものがないのなら
考えなしに買うんじゃない
空っぽの寂しさは
骨身にしみているくせに

 さて、この「甲高い声」というのは何だろう。「甕」の叫びである。しかし、甕はものをいったりしない。でも、中井は、その声を聞いた。それは中井にだけ聞こえる声。ということは、それは中井の声かもしれない。
 で、

骨身にしみているくせに

 この一行について、私は考えるのである。「骨身にしみている」とは別のことばでいうとどうなるか。「知っている」である。「骨身にしみて知っている」という具合に重複してつかうこともある。「骨身」は「肉体」、「肉体」にしみている。「しみる」は中まではいっている。あるいは「中身」そのものになっている。切り離せない。
 こういうときの「知っている」は「おぼえている」でもあるなあ。
 「おぼえている/知っている」、でも、ふつうは口に出しては言わない。そういうことが、ふいに「肉体」の奥からあふれてきた。
 「甕」が中井の「肉体」と重なった。
 ことばが先に重なったのか、「肉体」の方が先に重なったのか。区別がつかない。けれど、その「甲高い声」は「甕の声」であり、その「甕という肉体」は「中井の肉体」でもある。
 このあとも、「知っている」声が聞こえる。声に出さなかったけれど、「肉体」のなかで叫びつづけた声「おぼえている」。それを思い出してしまう。

何とかせんと
こんなことしていたらあかん
あんたの
流し台での独り言
いやというほど聞かされた

 これは「甕」が話していることになっているけれど、中井が言いつづけたことばなのだ。「何とかせんと/こんなことしていたらあかん」と台所で、自分だけに、声に出さずに何度も言い聞かせた。そんなことを思い出している。こういうことはだれにでもあることだから、こんなふうに中井の姿を想像するのは、実は私自身を思い出すことでもある。

なのに
どうして
あんたは甕の気持ちに
知らんぷり

その上
台所の隅っこは
けっこう冷たい風が吹く

 ここが、とてもおもしろいなあ。
 「空っぽの寂しさ」とか「こんなことしていたらあかん」というのは「気持ち」になりすぎていて、それが「意味」の押し売りのようにも聞こえる。つまり「同情」を誘う。「同情」を強要する、強要されたという感じにもなる。
 そして、その「同情」というか、「同情の対象」(寂しい/こんなことしていたらあかん)というのは、中井だけの「気持ち/意味」ではなく、私なんかも「わかる」、つまり「自分の中におぼえている気持ち/意味」なので、ちょっと「べたっ」とした感じにもなる。この「べたっ」が「よくわかる」と思うときもあるが、「うるさくていやだなあ」と感じることもある。「感情」というのは、知っている(わかっている)だけに、面倒である。
 それを、ぱっと吹き払う。

台所の隅っこは
けっこう冷たい風が吹く

 というのは「感情」ではなく、「事実」。すきま風が吹くからねえ。こういうことも「肉体」がおぼえていること、知っていること。
 「感情」のあとに、こういう「事実」が書かれると、「感情」のしつこさがぱっと消える。思わず、笑い出してしまう。
 で、そのとき。
 ちょっと前にもどるのだが、「知らんぷり」と、そこに「知る」ということばがある。「知る」という動詞があるところがおもしろい。「知っている」をつきはなしている。「知っている」のに「知らない」ことにする。そこに、ちょっと、生きていく「力」のようなものがある。

甲高い声は止まらない

次の日
この甕しゃべります と
三千円で売りにだした

 ここでは、もう「感情」は完全に吹っ切れている。「寂しさ」あるいは「かなしさ」のようなものが、「笑い」になっている。
 「えっ、しゃべるんですか? でも、なんてしゃべるの?」「買ってみれば、わかります。買わないと、わかりません」
 そんなやりとりがあるわけではない。
 ただし、この詩を読んだひとには、「この甕しゃべります」は、とてもよくわかる。なぜわかるかというと、どんなふうにしゃべったか「知っている」からだ。

 この詩には「知っている/わかっている」ということばが省略されている。「知らんぷり」という複雑な否定の形が隠されている。そのために、逆に、こういうこと「知っている/おぼえている」という感じる。「わかる」「わかったこと」が「骨身にしみる」。

 あ、私の感想は「しゃべりすぎた」かもしれない。


詩集 思い出してはいけない
中井 ひさ子
土曜美術社出版販売
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自民党憲法改正草案を読む/番外9(核兵器先制不使用政策)

2016-08-17 10:25:56 | 自民党憲法改正草案を読む
自民党憲法改正草案を読む/番外9(核兵器先制不使用政策)

 毎日新聞(2016年08月16日、デジタル版)が、次のニュースを報道している。

<安倍首相>核先制不使用、米司令官に反対伝える 米紙報道
 【ワシントン会川晴之】米ワシントン・ポスト紙は15日、オバマ政権が導入の是非を検討している核兵器の先制不使用政策について、安倍晋三首相がハリス米太平洋軍司令官に「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」として、反対の意向を伝えたと報じた。

 このニュースへの疑問点はふたつ。
 (1)なぜ、アメリカの「核兵器の先制不使用政策」が「抑止力を弱体化する」ということになるのだろう。
 核兵器を持っている国が、他国から核攻撃を受ける前に核兵器をつかわないこと、というのが「核兵器の先制不使用政策」ということだろう。
 具体的には、アメリカは核兵器を持っている。しかし、たとえば北朝鮮がアメリカに対して核攻撃を仕掛けてこない限りは、アメリカは北朝鮮に核攻撃をしないというのが、「核兵器の先制不使用政策」。
 では、「核兵器の先制不使用政策」をアメリカがとったとして、実際に核兵器をつかうのはどういうときか。
 北朝鮮がアメリカに対して核攻撃をしてきた。それに対抗するためにアメリカが核攻撃をする。これは一種の「防衛」か。北朝鮮が戦争を仕掛けてきた。それに対して「防衛」するために北朝鮮に核攻撃をする。
 こういう政策では「抑止力が弱体化する」というのは、どうしてだろう。
 北朝鮮の核兵器がどれくらい持っているか私は知らないが、アメリカが持っている数よりは少ないだろう。その規模も小さいだろう。ということは、アメリカは北朝鮮が使用した核兵器より多くの核兵器、しかも強力な核兵器で北朝鮮に反撃できる。アメリカが受けた被害よりも大きな打撃を北朝鮮に与えることができる。被害の大小を言うことは核兵器の場合問題があるが、核兵器戦争の場合、どうみたってアメリカが北朝鮮に勝つ。
 そうわかっていれば、それは「抑制力」として十分に機能するのではないか。
 だいたい、アメリカや北朝鮮は、何のために核武装するのか。自国を守るため(他国に核兵器を使用させないため)ではないのか。
 先に核兵器を使用する権利を放棄すると自国の平和が守れないというのは、戦争を仕掛けてくると予想できる国に対して先に攻撃を仕掛けないと自国の安全を守れないというのに等しい。

 安倍の論理は、核兵器だけでなく、他の兵器についても同じように適用されるだろう。安倍は「核兵器」だけではなく、他の武力しようについても、同じように考えているのではないだろうか。
 つまり、自分の国に対して攻撃を仕掛けてくるかもしれない国に対しては、先に攻撃する権利を残しておく必要がある。攻撃されたから反撃するという方法では安全は守れない。「武力の先制不使用」では「戦争の抑止力が弱体化する」という主張につながる。
 こういう「論理」では、どうしても先に攻撃しなければいけない、という「結論」になってしまうだろう。
 日本にこれをあてはめると「自衛隊(専守防衛)」では「戦争の抑止力が弱体化する」という「論理展開」にならないか。

 そこでふたつめの疑問。
 (2)この「専守防衛(自衛隊)」では「戦争の抑止力が弱体化する」という「論理展開」を「自民党憲法改正草案」にあてはめるとどうなるだろうか。

第九章緊急事態
第九十八条
内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

 ここに書かれている「我が国に対する外部からの武力攻撃」とは基本的には「我が国に対する外部からの武力攻撃を受けたとき」と読むのだと思う。「内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害」というのも、そういうことが「起きたとき」と読むのだろう。
 しかし、明確に「受けたとき/起きたとき/発生したとき」とは書いていない。
 読み方によっては「受けると予想できたとき/起きると予想できたとき/発生すると予想できたとき」と読むことができる。
 そして、あらゆる「対処」というのは、それが発生したあとで進めるよりも、発生する前に「対処」する方が効果的である。
 たとえば「津波」が発生する。津波が陸地に押し寄せ、被害をもたらすまえに、津波の発生を迅速に伝え、住民の避難を促し、人的被害を最小限におさえることが大事だ。津波の発生が予想された段階で「緊急事態」を宣言し、強制的に住民を避難させる方が効果的である。
 同じように、「戦争」も、攻撃を受けてから対処するよりも、受ける前に対処する方が効果的ということになるだろう。安倍は、そう読みたい願望を持っていると、私は思う。
 「核兵器の先制不使用政策」に反対というのは、「核兵器の先制使用」に賛成ということであり、核兵器の攻撃を受けるかもしれないと予想できるなら、先に核攻撃をし、相手に核攻撃をさせないという「対処」方法をとるべきだということであり、それは通常の兵器(武力)についても同じ。
 「自衛隊」(専守防衛)では、安全を守れない。「戦争の抑止力にならない」と考える人間なら、当然、そう考えるだろう。
 こういう場合、「予測」がとても重要だ。
 何によって、たとえば北朝鮮が日本に攻撃を仕掛けてくると予測、判断するか。
 そのとき「根拠」とされたものが「嘘」だったら、どうなるのだろう。(アメリカのイラクへの武力攻撃は、イラクが大量破壊兵器を持っているという間違った情報=嘘によって引き起こされた。)どこかの国が日本に攻撃を仕掛けてくる、という嘘をでっちあげて、その国へ戦争を仕掛ける危険がここにある。戦争が内閣総理大臣の判断次第で引き起こされる危険がここにある。

 「危険事態」については、内閣総理大臣の権限の強化や、運用次第で選挙がなくなるという問題が指摘されている。そういう「見えやすい」部分を指摘するだけではなく、「我が国に対する外部からの武力攻撃」というのが「受けたとき」なのか、「受けると予想されるとき」なのか、明確にしていない。つまり、その「適用」が内閣総理大臣の「恣意」次第になってしまっているということも、問題にしないといけない。
 いや、こちらの方が重要かもしれない。
 ほんとうに戦争が起きたあとでは、だれだって殺されたくない、死にたくないという気持ちが優先して、命を守ってくれるひとの方にすりよってしまう。
 現行憲法では、前文に、こう書いてある。

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 戦争は「政府の行為によつて」「起る」ものなのである。政府が「「我が国に対する外部からの武力攻撃」を受けると判断し、それに対して「専守防衛(武力の先制不使用)」ではなく、「先制攻撃(武力の先制使用)」をするとき、戦争は引き起こされる。
 「核兵器(武力)先制不使用政策」に反対をとなえるということは、「先制使用」することについての「歯止め」の放棄である。
 
 安倍は、戦争がしたくてしたくてしようがない人間のように、私には思える。

 安倍は広島原爆の日に「核兵器のない世界に向け努力する」というようなことを言ったはずである。それはただ言っただけである。「TPP絶対反対」と同じように、「そんなことは一度も言ったことない」という一言で片づけてしまうだろう。
 いま起きていることを、現行憲法の視点、あるいはいままでつづいてきた自民党の政策との整合性から批判するだけではなく、安倍のやっていることは「自民党憲法改正草案」の先取り実施なのだという点から見つめ、「改憲草案」の問題点を指摘し続けることが必要なのだと思う。そうしないと、すべてが「既成事実」になってしまう。「既成事実」にあわせて「憲法を改正する」、つまり「現状追認の憲法」を誕生させてしまうことになる。
 そんな危険性を今回のアブの発言から感じた。


*

『詩人が読み解く自民憲法案の大事なポイント』(ポエムピース)発売中。
このブログで連載した「自民党憲法改正草案を読む」をまとめたものです。
アマゾンでも発売中。(アマゾンサイト内の出品者「ポエムピース」の方が早く入手できます。)
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