小笠原真『父の配慮』(ふらんす堂、2017年04月07日発行)
小笠原真『父の配慮』。
たんたんと書かれている。エッセイのようにも読むことができる。こういう詩について感想を書くのはむずかしい。
「哀しい眸」はガン患者を手術したときのことが書かれている。
それから一週間後、患者は亡くなる。
こういう話はときどき聞く。特に新しいことが書いてあるわけではない。と、感想は簡単に書くことができる。
でも、書いた小笠原にとってはどうだったのだろう。
たんたんと思い出すように書いているが、たんたんとは思い出せないだろう。何かを抑えるようにして書く。
おさえても、おさえても、あふれだすものもある。
ここに三回「ぼくは」が出てくる。繰り返される「ぼくは」に「意味」がある。真剣に、向き合っている。患者に。医師という仕事に。いや、「ぼくに」だろうなあ。医師は「ぼく」を捨てて、患者に、仕事に(手術に)向き合わないといけない。でも、そこに「ぼく」が出てきてしまう。
この「ぼく」は最後にも出てくる。
だれも、「答え」など持っていない。その時にならないと、どう動くかはわからない。それを正直に書いている。どこかに「答え」はあるかもしれない。けれど「ぼくは」持っていない。
小笠原は「ぼく」から出て行かない。「ぼく」を出ていって、「客観的」になることはない。そこに小笠原の正直がある。
それは「答え」に頼らない、と言いなおしてみると、小笠原の美しさがわかる。
「答え」に頼ると、「ぼく」がいなくなる。何かあったとしても、責任を「答え」に押しつけることができる。小笠原は、そういうことはしない人間である。
その瞬間、その瞬間、探し求めるしかないのか「答え」なのである。それを貫いて生きている。
小笠原真『父の配慮』。
たんたんと書かれている。エッセイのようにも読むことができる。こういう詩について感想を書くのはむずかしい。
「哀しい眸」はガン患者を手術したときのことが書かれている。
何度目かの大出血の時
流石にもう助からないと直感したのか
いつもシャイで無口なAさんが
にっこりとほほ笑んで両手を拝むように合わせ
今生の別れを告げられたのであった
しかしぼくは
死は敗北だと思っていたぼくは
一分一秒でも命を長らえるのが仕事だと思っていたぼくは
無情にも苦しい処置を施しながら止血し助けてしまったのだ
その時のAさんの哀しい眸が忘れられない
それから一週間後、患者は亡くなる。
こういう話はときどき聞く。特に新しいことが書いてあるわけではない。と、感想は簡単に書くことができる。
でも、書いた小笠原にとってはどうだったのだろう。
たんたんと思い出すように書いているが、たんたんとは思い出せないだろう。何かを抑えるようにして書く。
おさえても、おさえても、あふれだすものもある。
しかしぼくは
死は敗北だと思っていたぼくは
一分一秒でも命を長らえるのが仕事だと思っていたぼくは
ここに三回「ぼくは」が出てくる。繰り返される「ぼくは」に「意味」がある。真剣に、向き合っている。患者に。医師という仕事に。いや、「ぼくに」だろうなあ。医師は「ぼく」を捨てて、患者に、仕事に(手術に)向き合わないといけない。でも、そこに「ぼく」が出てきてしまう。
この「ぼく」は最後にも出てくる。
あれから三十年たった今
もう同じ状況にあったならば
ぼくは一体どんな行動をとっただろうか
鬼手仏心の心持ちで
同じように必死に闇雲に
救命しただろうか
恥ずかしいことに
ぼくは未だに
その回答を持っていない
だれも、「答え」など持っていない。その時にならないと、どう動くかはわからない。それを正直に書いている。どこかに「答え」はあるかもしれない。けれど「ぼくは」持っていない。
小笠原は「ぼく」から出て行かない。「ぼく」を出ていって、「客観的」になることはない。そこに小笠原の正直がある。
それは「答え」に頼らない、と言いなおしてみると、小笠原の美しさがわかる。
「答え」に頼ると、「ぼく」がいなくなる。何かあったとしても、責任を「答え」に押しつけることができる。小笠原は、そういうことはしない人間である。
その瞬間、その瞬間、探し求めるしかないのか「答え」なのである。それを貫いて生きている。
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