詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

清岳こう『つらつら椿』

2017-08-08 11:36:52 | 詩集
清岳こう『つらつら椿』(土曜美術社出版販売、2017年07月06日発行)

 清岳こう『つらつら椿』の詩篇は「椿の名前」をタイトルにしている。私は椿のことは知らない。名前をきいても花を思い出せないし、花を見比べても違いがわかるかどうか見当もつかない。
 あ、困った、と思いながら読むのだが。
 詩は、椿の花について書いているわけではない。たとえば「紅神楽」という作品は、こんな感じ。

日曜・祭日は産土神社の神主
平日は桑畑のなかの高校教師
けれど 山田先生の日本史は
ながれゆく「時間」でも
さかのぼる「時代」でもなかった
菊池川にうずまく「現在」だった
有明の海によせてはかえす「今日」だった

 「山田先生」のことを書いている。「ながれゆく」から後の部分は、三連目でこう書き直されている。

山田先生の楽しみは
机に並べた古代を聴くこと
甕のかけらは死者を抱きしめ ぶつくさつぶやき
にぶく光る矢じりは少年と鹿を追い落ち葉をふみしめ
職員会議中でも
まどかな石包丁は稲田をわたる乙女たちの歌を歌い
そのあとにつづく
乱世 爛熟 飢饉 富国強兵などとも無縁だった

 なぜそれが「現在」であり「今日」なのか。人間は変わらないものだからである。どんなふうに変わらないかというと、「いま」を楽しむ、「いま」を生きるのが人間である。「未来(計画)」などを生きるのではない、ということ。
 それを、どう、現実にはつたえるかというと。
 あるときの体育祭。まあ、高校生ははめをはずすものである。

まして 今回の借り物競走
あきれたことには 校長の手を取りゴールを駆けぬけ
あろうことか プールに投げ込み英雄きどり

あれもこれも 百害あって一利なし
伝統も何もあったものじゃない
今後 体育祭中止! 永久に 体育祭中止!
が職員会議で通過しそうになった時
トンカラリン遺跡の暗がりをぬくりあげ
山田先生がすっくと立ちあがり
巨体をふるわせ バカヤロウと叫び

 「現在」「今日」までつづく体育祭を守った。若者は(高校生は)反抗するもの。権威を否定するもの。そうやって生きている。その力を奪っては、教育を放棄すること。とは、書いてはいないのだけれど、まあ、そうなんだろう。そう思う。

 清岳は、そういう山田先生のような人間をていねいに描いている。椿とそこに描かれた人とのあいだにどういう関係があるのか、よくわからない。花がわかるひとは、関係がわかるかもしれないけれど、よっぽど花に詳しくない限り、いや、それはこの椿ではなく、あの椿ではないか、とは言えないだろう。
 で、思うのだが。
 そのほんとうにわかる人にもわかるかどうかわからないことを、きちんと書いているのがとてもおもしろい。
 いろいろな人が出てくる。その人たちは、書かれていることばを読めば確かにひとりひとり違う。けれど、思い出すと、えーっと、どの人だったかなあ、と私なんかは思ってしまう。
 詩を書いた清岳に申し訳ないという気持ちもあるが、心底申し訳ないわけでもない。だって、私には関係ない人なんだから。区別がつきようがない。区別がつかないけれど。
 ほら、椿が30種類以上も並んでいるのを見たとして、そのあと、その30種類を思い出せる? 思い出せないよね。あ、きれいな椿が並んでいた。あの椿、それぞれにひとつひとつ名前がついているんだよな。というようなことをぼんやり考える。あの白い椿よりも、赤い椿の方が強い感じがしたな、とかなんとかテキトウに振り返ったりする。
 それでいいんだと私は思う。
 それ以上のことを思うと、嘘になる。

 椿にはひとつひとつ名前がある。人間にもひとりひとり名前がある。それは、思い出したり、思い出さなかったり。あるいは忘れてしまったり。きょうはあの人を思い出し、あすは別な人を思い出す。そういう具合に、この詩集は読めばいいんじゃないだろうか、と思う。
 清岳はもっと思い出してよ、というかもしれないけれどね。


つらつら椿
クリエーター情報なし
土曜美術社出版販売
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天皇制の行方

2017-08-08 10:32:08 | 自民党憲法改正草案を読む
天皇制の行方
            自民党憲法改正草案を読む/番外111(情報の読み方)

 2017年08月08日読売新聞(西部版・14版)の3面。

陛下「お言葉」1年/新たな皇室像 模索中

 という見出しで、ビデオメッセージから1年を振り返っている。
 そのなかに、おもしろい記述が3か所あった。

(1)改元時期や新元号をめぐる準備も、政権の支持率低下を受けて不透明な状況だ。
(2)天皇陛下が4月24日、皇居・宮殿で臨まれた衆参両院議長らとの茶会の冒頭。「今回はカメラが会場に入ります」と説明があった。お言葉の後、私的な外出も含めて宮内庁が委嘱したテレビカメラが随行しており、関係者は、「天皇としての最後の日々を記録している」と明かす。
(3)政府は新元号の公表時期について、早ければ18年夏を想定していた。だが、ここにきて、政府内には「次の自民党総裁・首相が決まってからでよい」(内閣官房関係者)として、18年9月の党総裁選後にすべきとの声も出ている。

 私はNHKの「天皇生前退位」スクープからの動き(それ以前の動きを含め)は、すべて安倍が仕組んだものと見ている。憲法を改正するために、「護憲派」の天皇を除外するための動きと見ている。
 そのことと関連づけて、ここから読み取ったことを書いておく。

(1)は記事全体の前文。
 ここに「支持率の低下」ということばが出てくる。天皇制(天皇の生前退位)と内閣の支持率は無関係なものだろう。すでに「生前退位強制法」(と、私は呼んでいる)が成立しているのだから、その法律に則してさまざまなことを処理すればいいだけなのに、それができない。
 これは天皇の生前退位が安倍の主導によって行われている(行われてきた)ということを証明する。安倍が天皇よりも先に「内閣総理大臣を辞める」ということが起きれば、何も安倍の考えていることに従って処理する必要はない。
 そういう「意見」が自民党内部からも出始めているということだろう。
 それを「国民の」内閣支持率にかこつけている。

(2)は「最後の日々の記録」というよりも、逆の見方をしたい。
 天皇の生前退位は安倍によって仕組まれた。それに対抗する形で天皇は昨年8月8日に「象徴の務め」という形でメッセージを出した。
 「日々の記録」は天皇の「務め」の記録である。もし、安倍が次の天皇に対して「こうこうしろ」と命令してきたとき、「天皇はこういうときはこういう行動をしてきた」という「証拠」を見せ、安倍の命令を拒否するための準備をしている。
 安倍(内閣)が人事権を握る官庁職員は、先の国会で安倍の不都合な「記録」はすべて「ない」でとおしてきた。「記憶にない」という発言も繰り返された。
 これの逆のことを宮内庁はしようとしている。こういう「記録」がある。だから、その「記録」にのっとって天皇の行為は引き継がれる。天皇の側からの、安倍への抵抗はつづいている。

(3)は、アベノミクス(経済政策)に対する批判が、自民党内部からも始まったものと読むことができる。安倍の支配力が弱まっているために、規定方針通りことが進まなくなっていることを語っている。
 新元号については2019年1月1日から、という説が早々と打ち出された。なぜ1月1日か。「国民生活に影響が少ない(カレンダーなど混乱がない)」というようなばかげた説がまかりととおっていた。企業の事務処理にも影響が少ない。
 安倍の経済政策は、たかだか西暦と元号のスタートを揃える程度のものでしかないのだが、そういうことが「真剣」に報道された。
 「元号」は首相が移植する学識経験者の「考案」のなかから選ぶというが、実際は首相が決める、ということだろう。安倍にはすでに「新元号」の「案」があるはずである。それを「学識経験者」が「忖度」しながら提案する。
 首相が安倍でなくなれば、とうぜん好み(?)の「元号」も変わる。だから、いまから「元号」の準備をしても始まらない。

 この三つのことは、ひっくり返して言えば、安倍(内閣)、自民党は「天皇」については「政治利用する」ということ以外は何も考えていない(考えていなかった)ということを意味する。
 天皇の高齢化に配慮する、という「名目」で天皇を都合のいいように利用している。
 ほんとうに天皇の高齢化、高齢化する天皇のことを考えているのなら、安倍内閣の支持率とは関係なく、今後しなければならない手続きを進めるべきだろう。いや、安倍の支持率が落ちている、政局が変動するかもしれないというのなら、なおさら「粛々と」すべきことをしないといけない。政局の変動とは切り離して「天皇制」をどうするかを考えないといけない。
 そういう動きが出て来ないのは、天皇の生前退位というものが、安倍が強制したものであることを間接的に証明するものである。

 こういうことも考えてみるべきである。
 「天皇生前退位強制法」が成立する前後に、二つの「教育関係」をめぐる疑惑が国会で取り上げられた。森友学園と加計学園。まず森友学園を、籠池を「悪人」にすることで乗り切った。そのあと「天皇生前退位強制法」が成立した。あとは念願の「憲法改正」を推し進めるだけだ。
 安倍が読売新聞で、憲法改正への自説を展開したのは、森友学園の籠池を国会参考人招致で乗り切った後である。
 たぶん森友学園問題が予想以上にうまく処理できたので、安倍の気が緩んだのだろう。つづく加計学園問題も「記録がない」という主張で処理できると思い込んだ。前川の「文書」は「怪文書」、前川は「いかがわしい人物」という主張で解決できると思い込んだ。
 「天皇生前退位強制法」が野党の反対にもあわずに、すんなり通ったことも、安倍の気をゆるませることになった。これでもう「憲法改正」は思いのまま、と思い込んでしまった。
 ところが加計学園でつまずいた。「憲法改正の日程」もおかしくなってきた。それが「天皇生前退位強制法」に付随するいろいろなことにまで影響し始めている。なんのために「天皇生前退位強制法」を急いだのか、それもわからなくなったということだろう。
 「生前退位」のスクープ(リークしたのはどこか、誰か)から「天皇生前退位強制法」が成立するまでの経緯を検証するべきだと思う。

#安倍を許さない #憲法改正 #天皇生前退位
 
憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー
クリエーター情報なし
ポエムピース
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