坂多瑩子「幼年」(「すぷん」創刊号、2018年夏発行)
坂多瑩子「幼年」は書き出しがおもしろい。
「賑やかになり」の「賑やか」がいいなあ。「にぎやか」と「あわただしい」は違うのだけれど、その違いはなかなかむずかしい。「あわただしく」よりも「にぎやか」の方が、その場の雰囲気がわかる。子どもの「実感」が動いているからだ。
突然あらわれる「実感」は、その場を破る。「実感」は他人にとっては「違和感」でもある。「違和感」をもたらすものの方が意識を深くゆさぶるということなのか。
これは「死んだふり」にも通じる。
おじいちゃんは、何かあると「寝ているふり」をしていたのかもしれない。それを何度も坂多は体験している。でも、「寝ているふり」とは何かが違う。だいたい、朝、寝ているふりなんかしない。そういう「違和感」があって、「死んだふり」と言ってしまったということだろう。そして家族も「死んだふり」に違和感を、つまりふつうではない生々しい感じを感じ取り、その違和感を確かめるために、あたふたと動き始める。
このときの「実感」とは「事実」のことだね。「感覚」が先取りしてしまう「事実」。
少しずつ、過去を振り返るのだが、「賑やかになり」のような「事実」がなかなか出てこない。
「冷たくなかったから」は、妙に理屈っぽい。「死んだら冷たくなる」ということを、坂多は、そのときほんとうに知っていたのか。たぶん、あとから聞いて知ったんだろうなあ。後で遺体に触れて「ほら、こんなに冷たくなって」というような大人の声を聞いて、「死んだふり」と「寝ているふり」の違いをはっきり区別できるようになったということだろうなあ。あとで知った「事実」が「知識」として世界をととのえる。「実感」が消える。
「……から」というような、「論理」のことばが入ってくると、「現実」は「現実」ではなく「整理された記憶」になってしまう。
詩は、むずかしい。
そのせいなのか、どうか。つまり、作品を立て直そうとしてことばを動かすのか、この詩は、途中から「転調」する。
「体験」と「知る」が交錯する。そのあと、こんなことばが出てくる。
さて、「母だけが泣いていなかった」は嘘なのか。ほんとうなのか。これはむずかしいなあ。嘘なら、なぜ、その嘘を覚えているのか、ということになる。坂多が実際に見た母の姿を、ただの「ことば(嘘)」が壊していく。嘘の方が残る。
「うそつき」と伯母を否定することで、坂多が実際に見た母の姿が甦るのかそれは正確には甦らないが、伯母に感じたいやな感じ(実感)はくっきりと浮かび上がる。。
ことばにならないもの、坂多が「残したい」と思っているものが、残る。
*
評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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坂多瑩子「幼年」は書き出しがおもしろい。
起こしてきてくれといわれ
おじいちゃん死んだふりしているよ
そうこたえてあとは家の中が急に賑やかになり
「賑やかになり」の「賑やか」がいいなあ。「にぎやか」と「あわただしい」は違うのだけれど、その違いはなかなかむずかしい。「あわただしく」よりも「にぎやか」の方が、その場の雰囲気がわかる。子どもの「実感」が動いているからだ。
突然あらわれる「実感」は、その場を破る。「実感」は他人にとっては「違和感」でもある。「違和感」をもたらすものの方が意識を深くゆさぶるということなのか。
これは「死んだふり」にも通じる。
おじいちゃんは、何かあると「寝ているふり」をしていたのかもしれない。それを何度も坂多は体験している。でも、「寝ているふり」とは何かが違う。だいたい、朝、寝ているふりなんかしない。そういう「違和感」があって、「死んだふり」と言ってしまったということだろう。そして家族も「死んだふり」に違和感を、つまりふつうではない生々しい感じを感じ取り、その違和感を確かめるために、あたふたと動き始める。
このときの「実感」とは「事実」のことだね。「感覚」が先取りしてしまう「事実」。
次の朝はやく
階段をおりる途中で
死んだはずの祖父によびとめられ
そんな一連のできごとがあって
寝てるふりと死んだふりの違いはどこにあったのか
ゆりうごかしたなんども
起きない祖父がいて
でも冷たくはなかったから寝てるふりでもよかったのに
少しずつ、過去を振り返るのだが、「賑やかになり」のような「事実」がなかなか出てこない。
「冷たくなかったから」は、妙に理屈っぽい。「死んだら冷たくなる」ということを、坂多は、そのときほんとうに知っていたのか。たぶん、あとから聞いて知ったんだろうなあ。後で遺体に触れて「ほら、こんなに冷たくなって」というような大人の声を聞いて、「死んだふり」と「寝ているふり」の違いをはっきり区別できるようになったということだろうなあ。あとで知った「事実」が「知識」として世界をととのえる。「実感」が消える。
「……から」というような、「論理」のことばが入ってくると、「現実」は「現実」ではなく「整理された記憶」になってしまう。
詩は、むずかしい。
そのせいなのか、どうか。つまり、作品を立て直そうとしてことばを動かすのか、この詩は、途中から「転調」する。
母だけが泣いていなかったと
伯母たちのおしゃべりで知った
「体験」と「知る」が交錯する。そのあと、こんなことばが出てくる。
うそつきのまま死んだ
あたしの伯母さん
さて、「母だけが泣いていなかった」は嘘なのか。ほんとうなのか。これはむずかしいなあ。嘘なら、なぜ、その嘘を覚えているのか、ということになる。坂多が実際に見た母の姿を、ただの「ことば(嘘)」が壊していく。嘘の方が残る。
「うそつき」と伯母を否定することで、坂多が実際に見た母の姿が甦るのかそれは正確には甦らないが、伯母に感じたいやな感じ(実感)はくっきりと浮かび上がる。。
ことばにならないもの、坂多が「残したい」と思っているものが、残る。
*
評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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「詩はどこにあるか」5、6月の詩の批評を一冊にまとめました。
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注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
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