詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

天沢退二郎「四月の雨」

2018-08-14 22:31:58 | 詩(雑誌・同人誌)
天沢退二郎「四月の雨」(「文藝春秋」2018年09月号)

 天沢退二郎「四月の雨」は短い。

アクアアクアアクア
雨だ 雨が降っている
四角い雨だ
安心だ、雨が
四角い雨だ
まだ暗い、まだ
四角い雨、安心だ、
四月の雨、これが!!

アクア アクア アクア!

 何を感じる?
 「四月の雨」は「四角い雨」? わからない。「四月」と「四角」は「四」の文字が共通する、ということしかわからない。だから「四角い雨」なのか。
 アクアは「水」を指しているのだと思うが(何語を引用しているのか、わからない)、「アクア」と「雨」には、「四月」と「四角」のように頭韻がある。
 「雨」と「安心」も「あ」の頭韻。
 一方、「安心だ」「まだ」「雨だ」は「だ」の脚韻。
 「雨が」と「これが」も「が」の脚韻。
 ふーん。
 音を楽しんでいるのか。
 ても、楽しい?
 
 私は最近の若い人のことばが苦手だ。どうも「音」が聞こえてこない。だから、こんなふうに「音」が聞こえる詩はそれはそれでいいのだが、でも、よくわからない。
 この短さ(長さ?)では、「音楽」として響いてこない。
 「読みやすい」というだけで、それが詩なのか、と言われれば、そうではないと言いたい気持ちになる。

 この詩を読んで、感動して人っているのだろうか。
 感動が詩にとって重要なのかどうかわからないが。





*

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高橋睦郎『つい昨日のこと』(37)

2018-08-14 08:58:54 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
37 タコ

泳ぐタコ 匿れるタコ 墨噴いて遁走するタコ
月の夜に海から上がり 八本足でスイカを抱くタコ

 高橋が書いているタコは、どこで見たのだろうか。よくわからない。けれど「八本足でスイカを抱くタコ」はとても印象に残る。スイカとの組み合わせよりも、「抱く」という動詞のためだろう。人間は「手」で抱く。けれどタコは「足」で抱く。しかも八本ある。そこに「抱く」ことへの強い欲望を感じる。エロチックなのだ。
 この「抱く」は、他の部分にも出てくる。

ミノス王の大壺を抱いているのも 紀元前千五百年の大ダコ

 この「抱く」は実際にタコが壺を抱いているのではなく、壺にタコが描かれているということだろう。絵を描くのは、タコがそれだけ生活に密着しているからだが、高橋はなぜ「描かれている」ではなく「抱く」と言い切ったのか。
 ここに詩の謎がある。
 「抱く」と書きたかったのだ。
 先に書いたが「抱く」という動詞はエロチックな連想を誘う。そこから書き出しにもどってみると、おもしろい。「泳ぐ」はふつうのことだが「匿れる」はエロチックな駆け引きを連想させる。「墨噴いて遁走する」もあやしげな感じがする。
 高橋は、さらりと
 
ギリシア人の先祖代代お得意の航海術は 誰あろう
クレタ人から受け継いだもの タコ好きといっしょに

 と詩を閉じているが、人と人が出会うとき、そこにセックスが入り込むのは自然なことである。食べ物としての「タコ好き」のことを詩は描いているが、タコの「抱く力」への感心も、その「好き」には含まれるように思える。


つい昨日のこと 私のギリシア
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