詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

福岡県警への疑問

2018-08-18 15:30:45 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
 2018年08月17日(金曜日)、地検に呼び出された。05月28日、福岡市天神の歩車分離交差点(岩田屋、ビオレの対抗二車線の交差点)を自転車に乗って渡ったことについての確認である。
 福岡中央署のことがあったので、事前にやりとりを録音していいか尋ねた。不許可だった。理由はネットなどに公表されると困るから、ということだった。なぜ困るのか、録音を公表しなければいいのか、ということは面倒だったので問わなかった。
 口頭で身分の確認(氏名、年齢住など)のあと、身分証の提示を求められたので、パスポートを見せた。コピーをとられた。事実の確認のあと、
 「次回から同じような違反を犯すと罰金になる」
 という注意を受けて、印鑑を押しておしまいなのだが、疑問点があったので、聞いてみた。
 福岡中央署の調書に、7月中旬に警察に呼び出されて提出したパスポートのコピーがあるのではないか。そのコピーで身分確認をすることはできないのか。
 「担当者が実際に会った、という記録として必要」
 ということだった。
 なるほど、警察は警察、検察は検察という別組織なので、そういうものかもしれないと思った。

 で、そのとき福岡中央署の作成した調書が「見えた」。(福岡中央署で「調書を再確認したい。保険証のことがどう記載されているか知りたい」と言ったら、担当者のほかに上司があらわれ、結局、話が違った方向に進み、見せてもらえなかった。)
 そこには保険証の写真があった。表と裏が写されている。
 「保険証」については、私は福岡中央署から出頭を求められた(身分証明書と、住所確認用の公的機関が発行した郵便物=宛て名が私の名前であるものが必要といわれた)とき質問した。電話でも質問したし、実際の面会のときも質問した。
 疑問はいつくかある。
(1)保険証に書いてある住所で住所確認ができるのではないか。(これは出頭前)
 これに対しては、保険証の住所は「手書き」であるから証明にはならない。パスポートも住所は「手書き」だから不十分ということらしい。だから公的機関の発行した郵便物が必要ということらしい。
(2)保険証が身分確認に使えないのなら、なぜ、現場で調書をつくるときに、保険証の控えをメモしたのか(具体的にはわからないが、何か書いていた)、写真も撮ったがなぜなのか。
 これに対しては、調書には保険証のことは記載していない。写真も撮っていない、という答えだった。ところが、写真は、あった。検察にまわされた調書には、保険証の裏表の写真が2枚添付されていた。つまり、前回、福岡中央署の担当者は嘘をついたことになる。
(3)保険証の手書きの住所が信用できないということだが、保険証の発行機関に問い合わせた結果、そう判断したのか。
 これに対しては、問い合わせしていないということだった。
 さらに、本人がほんとうにその住所に住んでいるかどうかは、顔写真つきの証明書でないと確認できないと言われた。
(4)自宅で電話を受け、その結果警察に来ているのだから、本人以外の誰でもないでしょう。疑問があるなら、自宅までやってくればいいのでは?と問うと、
 疑うわけではないが、一般論としては、保険証は盗まれたものである可能性もある。だから保険証では、身分証明にならないという。
 「疑うわけではない」と事前に言っているが、これは「口先」であり、疑っているということだろう。
 さらに、だから「顔写真つきの証明書がいる。常識だ」ともいう。
 「顔写真つきの身分証明書」が必要ということが「常識」なら、現場で調書をとったときにその旨伝え、後日、そういうものを警察に出頭するように言うのが「常識」ではないのか。1か月半も過ぎてから、顔写真つきの証明書、公的機関の発行した郵便物が必要と言うのは、なんとも理解できない。担当者の不手際なら不手際で、ちゃんと説明すべきだろう。なぜすぐに運転免許証の提示を求められるのか。運転免許証を持たないことで、なぜ非難されなければならないのだろう。
 「免許証もパスポートも持たない人は、写真つきのマイナンバーカードを発行してもらって、それから警察に来なければならないのか」と、私は試しに問いかけてみた。すると、「そうだ」という答えだった。(録音はしていないので、証拠はない。)

 そして、知らなかったのだが。
 検察で口頭で名前などを尋ねられたとき、「本籍は?」という質問が出た。「東京です」とだけ答えると、「東京都千代田区……」と、担当者が調書を見ながら後の部分を読み上げる。
 「本籍地」については、福岡中央署では何も聞かれていない。福岡中央署で調べたということだろう。
 そういう個人情報を警察がどうやって入手するのか、それは法律で認められているか、入手するには何らかの手続きが必要なのか、そういうことはまったく知らないが。
 驚くのは、「本籍地」がどこであるかまで自前で調べるくらいなら、私がどこに住んでいるか、保険証の裏に書いてある住所がほんものかどうかくらいすぐに調べられるだろう。私の住所まで足を運べばいい。



 福岡中央署の対応に対して、私が疑問を持つのには理由がある。
 数年前、自転車で転倒し、けがをした。女性が自転車で交差点を斜めに(対角線に)走ってきた。私は歩道から横断歩道へ入るところで急ブレーキをかけ、転倒した。そのときの「事故調書」。私はありのままに伝えた。ところが、現場検証で、女性は交差点を斜めに進んだとは言わずに、いったん直進し、それから右折した。交差点ではなく、横断歩道のなかを斜めに進んだと証言している。つまり、私が横断歩道の前方を見ていなかった、と主張している。そして、私と女性の「証言」が違うにもかかわらず、女性の証言を「正しい」と判断し、前方を確認していない私に非があるように言う。
 このことについては、私は、執拗に抗議した。その結果、近くの防犯カメラに映像が残っていて、私の証言が正しいことが証明された。私のけがに対する治療費は、したがって女性が支払っている。(病院までの交通費は自費で支払ったが、考えてみればこの負担も女性がしなければならないものだろう。)
 これにはまだ後日のことがある。「事故処理したので、調書は検察に送る。その後の結果はどうするか」と問い合わせがあった。こういう事故で「起訴」ということはないだろう。だから「結果」も何もないのだが、私はどう処理されたか(ほんとうにきちんと手続きを踏んだのかどうか)を知りたくて、「最後まで教えてください」と言った。しばらくして「検察に書類を送った」という連絡は受けた。しかし、その後は、何も聞いていない。



 私は横断歩道を自転車で走ったということは認めている。それが道路交通法に違反することも認めている。ただし、私が歩行者の歩行を妨害したとは思っていない。歩行者から抗議も受けていない。私は、後ろから走ってきた警官に呼び止められた。つまり、警官が走るよりもゆっりくしたスピードで走っていた。
 ただし、その後の警察の対応には、疑問が残る。写真つきの身分証明書が必要なら必要と、なぜすぐに言わないのか。なぜ、「保険証は盗まれた可能性もある」というようなことを言うのか。
 検察では「録音」はだめと言われたが、どんなときでも「録音」できるようにならないといけないと思う。どんな取り調べでも(事故の調書づくり)でも、弁護士の同席が必要かもしれないとも思う。客観的な「助言」がないと、取り調べは誘導される可能性がある。また、言い忘れなども起きてしまう.
 取り調べる側の方でも「録音」はした方がいいだろう。双方で「録音」し、それを「証拠」にできるようにしないと、何が起きるかわからない。



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高橋睦郎『つい昨日のこと』(41)

2018-08-18 10:08:10 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
41 薊の木 アナトリアで

この乾燥した土地では アザミも木になる

 その木になったアザミを高橋は見たのか。うわさを聞いて書いているのか。「薊」と「アザミ」は意識的に書き換えたものだとするなら、この表記の背後には現実と夢が交錯している。

掘り起こしたその根は とろとろに柔かく
老人の衰えた精を養う という
お化けアザミの精のついた老人は?
美しい花は咲かせず 棘だらけ
近づく人をやたら刺しに刺す

 原文は「堀り起こした」だが、誤植だろう。
 「とろとろに柔かく」ということばは、「とろとろ」に重点があるのか、「柔かく」に重点があるのか。区別して考える必要はないかもしれないが、「とろとろ」という「意味」になりきれない音(翻訳不可能な音)の方が、たぶん高橋にとっては重要だったと思う。詩にとっても、重要だ。意味になれないなにかが、音そのものとして動き始める。その衝動のようなものが高橋を動かしている。
 「老人」は高橋の「自画像」だ。
 棘に刺された人の、その小さな鮮血が、高橋にとっての「花」である。「花」を獲得するために、高橋は棘になる。二つのものが交錯し、その交錯のなかに世界が動く。
 「薊」と「アザミ」、「とろとろ」と「柔かい」、「花」と「棘」と「刺す」。
 「棘」と「刺す」は文字がとても似ている。「棘」になることが「刺す」なのか、「刺す」という動詞が「棘」なのか。これも、「文字(ことば)」では区別できても、「肉体(実感)」では区別がむずかしい。
 違うけれど同じ、同じだけれど違う。そういうものが動いている。「堀り起こした」の誤植も、そういうものの影響を受けているのか。
つい昨日のこと 私のギリシア
クリエーター情報なし
思潮社
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