53 墓碑の註釈 ケラメイコス
人は老いたら死ぬ。しかし、その死を自分のことばで語ることはできない。つまり「体験する」ということはできない。
そしてさらに奇妙なことに、老いて死んで行くときに、もうひとつ「体験する/経験する」ことのできないものがあることに気がつく。
「若くして死ぬ」ということだ。
死は人間にとって必然だが、年老いてしまったら「若くして死ぬ」ということは絶対に不可能になる。
この詩は、そういう矛盾、あるいは眩暈を思い起こさせる。
若い死者が神々に愛されたかどうかはわからないが、少なくとも生き残った年老いた人からは愛された。ひとは死者を悼む。つまり、愛していたと告げる。そのとき、そう告げる人はたいてい若い人ではなく、年取った人である。
だが、「悼む」とは、どういうことだろう。どういう「動詞」なのだろうか。
「遺志を引き継ぐこと」以上の悼みはないと思うが、若い死者の遺志を引き継ぐことは、年老いた人間には不可能だ。若い人の「遺志」は完結していない。どう変化していくかわからないまま終わってしまったのだから。
悲しむことしかできない。「愛していた」と過去形で告げることしかできない。それは残されたものの自己愛--自分へのあわれみでしかない。
「引き継ぐ」としたら、やはり「古典」という死、古典の中で動いているいのち(ことば)しかない。
ギリシアの死は、高橋を攪乱する。真夏の強い光が、隠しておきたいものをあばいてしまう。
人は老いたら死ぬ。しかし、その死を自分のことばで語ることはできない。つまり「体験する」ということはできない。
そしてさらに奇妙なことに、老いて死んで行くときに、もうひとつ「体験する/経験する」ことのできないものがあることに気がつく。
「若くして死ぬ」ということだ。
死は人間にとって必然だが、年老いてしまったら「若くして死ぬ」ということは絶対に不可能になる。
この詩は、そういう矛盾、あるいは眩暈を思い起こさせる。
夏には生よりも死が似合う それも老いた死より若い死
神神に深く愛された者とは いみじくも言い得たものよ
若い死者が神々に愛されたかどうかはわからないが、少なくとも生き残った年老いた人からは愛された。ひとは死者を悼む。つまり、愛していたと告げる。そのとき、そう告げる人はたいてい若い人ではなく、年取った人である。
若く死に損ねたからには 悼まれる側でなく悼む側に回ろう
だが、「悼む」とは、どういうことだろう。どういう「動詞」なのだろうか。
「遺志を引き継ぐこと」以上の悼みはないと思うが、若い死者の遺志を引き継ぐことは、年老いた人間には不可能だ。若い人の「遺志」は完結していない。どう変化していくかわからないまま終わってしまったのだから。
悲しむことしかできない。「愛していた」と過去形で告げることしかできない。それは残されたものの自己愛--自分へのあわれみでしかない。
「引き継ぐ」としたら、やはり「古典」という死、古典の中で動いているいのち(ことば)しかない。
ギリシアの死は、高橋を攪乱する。真夏の強い光が、隠しておきたいものをあばいてしまう。
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