長嶋南子『家があった』(空とぶキリン社、2018年08月15日発行)
長嶋南子にかぎらないが、おばさん(だと思う、会ったことがないので知らないが)の詩は、ことばが「テキトウ」である。「論理」を無視して「肉体」で動いていく。
巻頭の「芹摘み」。
「ごま汚し」は「汚す」ということばはつかっているが、汚れているわけではない。汚れたものは洗ってきれいにする。汚れるといっても、食べ終わった後の食器は汚れているとは言えないのだけれどね。ほら、最後の「汚れ」を舐めるように食べることもある。実際に舐めるひともいる。汚れているなら食べられない。
というようなことは、あまり意味がない。いや、あるかもしれない。
その「汚れ」は、反対のことば「きれい」を呼び出し、「履歴書はきれいに書く必要はなくなった/戸籍は汚れていません」と変化していく。
このとき「汚れ」「きれい」「汚れていない」は、ことばは同じだけれど、まわりに引き連れている「世界(ことば)」は違っている。違う次元のことばを引き連れている。
「それとこれとは違う、話をごちゃまぜにするな」
男はときどきそういう具合にして、おばさん論理に立ち向かおうとするが、男の悪い癖だ。
男は抽象的に「論理」を考え、「論理」そのもののなかで整合性をとろうとする。でもおばさんは違う。おばさんにとってはおばさんそのものが「論理」であって、ことばなんかどうでもいい。そんなものの整合性(一貫性)を問題にしなくたって、おばさんはおばさんとして一貫して生きている。いのちがつづいている。生きている以上の「一貫した論理」なんて、考えたって意味がない。
私は最近、高橋睦郎の『つい昨日のこと』を読んでいるが、その高橋のことばと比較してみるとわかりやすい。高橋のことばはあくまでことばそのものの論理(整合性)を生きている。人間のそのときの都合で、意味を変えたりしない。だから高橋は英雄は芸術的に描けても庶民を描くことが苦手である。
「履歴書はきれいに書く必要はなくなった」は、もう就職活動はしなくなった、ということだろう。「戸籍は汚れていません」は、「離婚はしていない」ということなのだろう。離婚を「戸籍を汚す」と言い換えるのは、「男の論理」なのだろうけれどね。で、その詩のつづき。
うーん。
瞬間的に違う情景が見える。晴れた日に布団を干して、埃を追い出すように叩いているのではない。男に叩かれて、叩き返すのではなく「たたいてよ もっと ほら」と反論している女が見える。
「たたく」ということばが、突然、違う次元にずれていく。
ずれていくのだけれど、論理ではなく「現実(そこにある肉体)」の方が前に出てきて、「現実」の方を作り替えてしまう。
「履歴書はきれいに書く必要はなくなった」は、かつては「履歴書はもっときれいに書かないとだめだよ」と注意されたというような現実を瞬間的にひっぱりだすのに似ている。ことばは、いま言いたいこととは別のことを瞬間的に動かしてしまうときがある。そういうものが「肉体」のなかに「時間」として残っているからだ。「ことば」そのものの論理よりも「肉体」のもっている「一貫性」の方が強いのだ。その強さをその瞬間瞬間、目の前にさらけだし、それで平気というのが、おばさんだね。男にはできない。
芹のごま汚しは、母が教えてくれた料理なのだろう。母が教えてくれたことは、料理として、あるい「女の子は汚れてはいけない」ということばとして残っているのではない。長嶋の「肉体(いのち)」そのものとして引き継がれ、いま、ここにある。
女にとって「断絶」とか「飛躍」というものは、ない。ただどこまでもどこまでもつづいていくいのち(肉体)があり、それがことばの「論理(整合性)」をねじまげる。ことばをねじまげることで、いのちを真っ直ぐにする。
これは、男には、とってもむずかしい。
谷川俊太郎でさえ「おばさん詩」を書いていない。女を主役にしていろいろな作品を書いているが「おばさん」はいない。高橋睦郎も「おばさん詩」は書けない。男のことばは、「論理」に縛られて、どこか貧弱だ。弱いものを抱えている。
「家があった」はとても好きな詩だが、同人誌で読んだとき感想を書いたと思うので、違う作品に触れてみることにする。
「感傷旅行」。笑ってはいけないのだろうけれど、私は笑ってしまった。百一歳になる母と旅行したときのことを書いている。
この旅行が最後、温かくなれば(春になれば)母は死ぬかもしれない。みんなそう思っているが、現実はそうはならなかった。母の死を望んでいるというわけではないが、ちょっと「予定」が狂ってしまった。「それがね 母はどこへ行くのか忘れてしまって」という一行が「認知症」を感じさせるところも、妙におかしい。おかしい、というのは「現実的」ということだね。
長嶋の書く詩はどれもこれも「おかしい」が、それは「現実」だからだ。ことばと現実がわたりあっているのだ。ことばの論理(整合性)ではとらえられないはみ出したものをそのまま含んでいる。整理整頓できないものを、そのまままるごとほうり出している。
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長嶋南子にかぎらないが、おばさん(だと思う、会ったことがないので知らないが)の詩は、ことばが「テキトウ」である。「論理」を無視して「肉体」で動いていく。
巻頭の「芹摘み」。
芹摘みをしていた
いつのまにか日暮れ
おばあさんになって
芹のごま汚しを食べている
汚してばかりいる
洗たくして食器を洗って
履歴書はきれいに書く必要はなくなった
戸籍は汚れていません
「ごま汚し」は「汚す」ということばはつかっているが、汚れているわけではない。汚れたものは洗ってきれいにする。汚れるといっても、食べ終わった後の食器は汚れているとは言えないのだけれどね。ほら、最後の「汚れ」を舐めるように食べることもある。実際に舐めるひともいる。汚れているなら食べられない。
というようなことは、あまり意味がない。いや、あるかもしれない。
その「汚れ」は、反対のことば「きれい」を呼び出し、「履歴書はきれいに書く必要はなくなった/戸籍は汚れていません」と変化していく。
このとき「汚れ」「きれい」「汚れていない」は、ことばは同じだけれど、まわりに引き連れている「世界(ことば)」は違っている。違う次元のことばを引き連れている。
「それとこれとは違う、話をごちゃまぜにするな」
男はときどきそういう具合にして、おばさん論理に立ち向かおうとするが、男の悪い癖だ。
男は抽象的に「論理」を考え、「論理」そのもののなかで整合性をとろうとする。でもおばさんは違う。おばさんにとってはおばさんそのものが「論理」であって、ことばなんかどうでもいい。そんなものの整合性(一貫性)を問題にしなくたって、おばさんはおばさんとして一貫して生きている。いのちがつづいている。生きている以上の「一貫した論理」なんて、考えたって意味がない。
私は最近、高橋睦郎の『つい昨日のこと』を読んでいるが、その高橋のことばと比較してみるとわかりやすい。高橋のことばはあくまでことばそのものの論理(整合性)を生きている。人間のそのときの都合で、意味を変えたりしない。だから高橋は英雄は芸術的に描けても庶民を描くことが苦手である。
「履歴書はきれいに書く必要はなくなった」は、もう就職活動はしなくなった、ということだろう。「戸籍は汚れていません」は、「離婚はしていない」ということなのだろう。離婚を「戸籍を汚す」と言い換えるのは、「男の論理」なのだろうけれどね。で、その詩のつづき。
汚れは身体からいくらでも浮き出るので
陽にさらさす
布団たたきで
たたいてよ もっと ほら
うーん。
瞬間的に違う情景が見える。晴れた日に布団を干して、埃を追い出すように叩いているのではない。男に叩かれて、叩き返すのではなく「たたいてよ もっと ほら」と反論している女が見える。
「たたく」ということばが、突然、違う次元にずれていく。
ずれていくのだけれど、論理ではなく「現実(そこにある肉体)」の方が前に出てきて、「現実」の方を作り替えてしまう。
「履歴書はきれいに書く必要はなくなった」は、かつては「履歴書はもっときれいに書かないとだめだよ」と注意されたというような現実を瞬間的にひっぱりだすのに似ている。ことばは、いま言いたいこととは別のことを瞬間的に動かしてしまうときがある。そういうものが「肉体」のなかに「時間」として残っているからだ。「ことば」そのものの論理よりも「肉体」のもっている「一貫性」の方が強いのだ。その強さをその瞬間瞬間、目の前にさらけだし、それで平気というのが、おばさんだね。男にはできない。
汚れ役はいぶし銀でなくっちゃ
好きだったなあ
いぶし銀だったあの男
つないでいた手を
途中で離してしまったけれど
芹のごま汚しはおいしいですか
女の子は汚れてはいけない
と母は言った
芹のごま汚しは、母が教えてくれた料理なのだろう。母が教えてくれたことは、料理として、あるい「女の子は汚れてはいけない」ということばとして残っているのではない。長嶋の「肉体(いのち)」そのものとして引き継がれ、いま、ここにある。
女にとって「断絶」とか「飛躍」というものは、ない。ただどこまでもどこまでもつづいていくいのち(肉体)があり、それがことばの「論理(整合性)」をねじまげる。ことばをねじまげることで、いのちを真っ直ぐにする。
これは、男には、とってもむずかしい。
谷川俊太郎でさえ「おばさん詩」を書いていない。女を主役にしていろいろな作品を書いているが「おばさん」はいない。高橋睦郎も「おばさん詩」は書けない。男のことばは、「論理」に縛られて、どこか貧弱だ。弱いものを抱えている。
「家があった」はとても好きな詩だが、同人誌で読んだとき感想を書いたと思うので、違う作品に触れてみることにする。
「感傷旅行」。笑ってはいけないのだろうけれど、私は笑ってしまった。百一歳になる母と旅行したときのことを書いている。
一族郎党二九人
金持ちは誰もいません
あたたかくなったら母は
帰らぬ旅に出るでしょう
縦縞もようの着物きせられて
一族郎党ゾロゾロ引き連れて
めでたし めでたし
それがね 母はどこへ行くのか忘れてしまって
「君恋し」をうたっています
誰が恋しいのでしょう
生きていればいいってことではありません
死ねばいいってことでもありません
一族がもっともっとつづけばいいということでもありません
この旅行が最後、温かくなれば(春になれば)母は死ぬかもしれない。みんなそう思っているが、現実はそうはならなかった。母の死を望んでいるというわけではないが、ちょっと「予定」が狂ってしまった。「それがね 母はどこへ行くのか忘れてしまって」という一行が「認知症」を感じさせるところも、妙におかしい。おかしい、というのは「現実的」ということだね。
長嶋の書く詩はどれもこれも「おかしい」が、それは「現実」だからだ。ことばと現実がわたりあっているのだ。ことばの論理(整合性)ではとらえられないはみ出したものをそのまま含んでいる。整理整頓できないものを、そのまままるごとほうり出している。
*
評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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「詩はどこにあるか」5、6月の詩の批評を一冊にまとめました。
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嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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