詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

粕谷栄市「上弦」

2019-01-02 18:05:34 | 詩(雑誌・同人誌)
粕谷栄市「上弦」(「現代詩手帖」2019年01月号)

 粕谷栄市「上弦」は、ある意味では何も書いていない。

 純金の櫛は、純金のしずかな怒りを持つ。純金のしず
かな怒りと純金の櫛の歯の繊細な輝きを持つ。
 純金の櫛は、純金のしずかな悲しみを持つ。純金のし
ずかな悲しみと純金の櫛の歯の繊細な輝きを持つ。
 純金の櫛は、そして、純金のそのほかの何も持たない。
純金の櫛であることの、その怒りと悲しみゆえに、ただ、
純金の櫛のかたちの虚無であるばかりだ。
 それゆえに、いよいよ遠い西の天で、純金の櫛は、既
に、純金の櫛であることも忘れた虚無であるばかりだ。

 「怒り」は「悲しみ」と言い換えられる。そして、言い換えられることによって「怒り」でも「悲しみ」でもなくなる。「虚無」になる。
 でも、そうなのだろうか。
 「怒り」と「悲しみ」が言い換えられる、言い換えられることで「おなじもの」になる。その結果、「怒り」と「悲しみ」が消え「虚無」になるのだと仮定して、「持つ」と「持たない」はどうなるのだろうか。
 「純金のそのほかの何も持たない」は「純金の櫛であることも忘れた虚無」と言いなおされたとき、それ以前の「持つ」の「主語」は何になるのか。「純金の櫛」でいいのか。あるいは「怒り」「悲しみ」が「主語」であり、「純金の櫛」を「持つ」のかもしれない。どちらが「主語」であり、どちらが「述語」なのかわからない。
 わからなくていいのだと思う。
 と書いてしまうといい加減だが。

 詩の最後は、こう書かれる。

 いかなる怒りと悲しみも持たない、ただ、純金の上弦
の月であるばかりだ。

 ここへたどりつくために、そう言うしかなかったのである。
 この詩の中では「ただ」ということばが何度もつかわれる。引用した部分だけでも二度つかわれている。「ただ」はなくても「意味」はおなじ。「ただ」は強調である。そして、強調のことばなのだが、何かを強調しているわけではない。もし強調しているのものがあるとすれば、ことばは強調するためにあるということだろう。

 強調も、もしかすると、「虚無」かもしれない。
 それでも強調せずにはいられないのだ。
 きのう読んだ谷川俊太郎の「イル」の「のである」もおなじだ。強調へ向かって動くことばがある。ここではない、どこかへ向かっていく、ということが詩なのだろう。







*

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池澤夏樹のカヴァフィス(14)

2019-01-02 09:11:30 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
14 蛮族を待ちながら

なぜ道と広場にはまったく人影がなくなり
人々はそれぞれの家の中をうろついて考えこんでいるのか?

 なぜなら夜になったのに蛮族は来なかったから。
 何人かの者が国境から戻ってきて、
 蛮族など一人もいないと伝えたから。


さて、蛮族が来ないとなると我々はどうすればいいのか。
彼らとて一種の解決には違いなかったのに。

 「蛮族」とは何だろうか。具体的には書かれていない。「蛮族」の「蛮」は「野蛮」の「蛮」である。野生である。文明は野蛮を破壊するが、野蛮が文明を破壊することもある。新しいいのちを吹き込む、活性化すると言い換えてもいいかもしれない。
 池澤は、こんなふうに書いている。

彼等は蛮族の支配を恐れ、懐柔を画策する一方で、身をあずけてしまいたい、すべてをまかせてしまいたいと望んでもいる。

 これは「恋」の気分に似ている。
 だから、私はこれもまた「恋」の詩なのだと思う。「11 窓」には「外の光はまた別の圧制者かもしれない」という一行があった。「圧制者(蛮族)」はいつでも「光」なのである。いまの「闇」を切り開いてくれる。
 池澤は、こうも書いている。

没落した豪商の子だったカヴァフィスにはこのような実力をともなわぬ意識、力の喪失と文化という美しいぬけがらに対する強い関心があった。

 「倦怠」はいつでも文学のテーマである。「倦怠」を破っていくのは、いつでも「野蛮/野生」である。










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