詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(28)

2019-01-16 08:08:22 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
28 神がアントーニウスのもとを去る

真夜中、突然に、見えない
楽隊が通りすぎるのが聞こえる。

 「見えない」と「聞こえる」の対比がおもしろい。カヴァフィスは「見える」ものよりも「聞こえる」ものを信じている。人間で言えば「声」を重視している。ことばで言えば「音」を重視している、と私は感じている。
 だから、こういうことばがある。

なによりもまずおのれをあざむくな、夢だったとは、
耳にだまされたとは、言うな。
そんなうつなろ希望でおのれをおとしめるな。

 「耳にだまされた」とは「ことばにだまされた」である。ことばにだまされるとき、ひとは「意味 (内容) 」にだまされることもあるだろうが、むしろ「声(の調子)」にだまされることがあるだろう。「意味」よりも「声」の方が強い。肉体に直接入ってくる。
「楽隊」 (音楽) なら、さらにそう言えるだろう。まず響きが耳に入ってくる。かきたてられた感情が「意味」を探り始める。

真情を込めて聞くがいい。
卑怯者のように哀願などせず、
ただ聞け、耳に渡る最後の楽しみを、その声を、

 いつでも「音/声」というのは愉悦である。

 池澤は「アレクサンドリア」という名前が女性形であることに注目し、カヴァフィスは都市と女神を結びつけ、「女神が去っていった」を「街が去っていった」と書き直したと注で指摘している。
 私はギリシャ語を知らないので、よくわからないが、たぶん「ア」で終わることばは女性なのだろう。男性の名前は「ソクラテス」とか「アリストテレス」とか「ス」で終わることが多いと思うが。
 その場合も、女性/男性を判断しているのは「音(声)」だと思う。
 ひとはことばを選ぶとき「意味」と同時に「音」を選ぶ。カヴァフィスも、そういう詩人の一人だと私は感じる。







カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


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