詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

estoy loco por espana (番外32)Joaquinの作品

2019-01-19 21:58:12 | estoy loco por espana



Joaquin Llorens Santaの作品

炎のなかから
新しい炎が生まれ、
さらにまた
新しい炎を生み出す。
すべての炎は
一つの天を目指す。

それは、
祈りの木。

de una llama
nacio una nueva llama,
ademas
crea una nueva llama.
todas las llamas
apunta al cielo.
las llamas es decir
el arbol de la oracion.
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イオン・コッドレスク、伊藤勲『Ikuya's Haiku with Codrescu's Haiga』

2019-01-19 10:10:30 | 詩集
イオン・コッドレスク、伊藤勲『Ikuya's Haiku with Codrescu's Haiga』(論創社、2015年05月20日発行)

 イオン・コッドレスク、伊藤勲『Ikuya's Haiku with Cordrescu's Haiga』は、加藤郁乎の俳句とイオン・コッドレスクの俳画を組み合わさせた一冊。伊藤勲が編集し、訳している。イオン・コッドレスクは俳画に自註をつけている。
 私はフェイスブックで見かけたイオン・コッドレスクの絵がおもしろくて、本を買ってみた。
 俳画は絵と俳句が組み合わされている。ただし、その俳句は英訳されていて、文字も英語である。これはなかなかむずかしい組み合わせだ。俳句は日本語で書かれている(漢字とひらがなで書かれている)ということを私は知っている。そのことが影響していると思う。横書き、アルファベットが、「視覚」になじまない。たぶん「余白」の感覚が違いすぎて、目が追いついていかないのだ。漢字のもっている「表意」の働きをアルファベットの「手書き」のなかに込めているのかもしれないが、私はアルファベットを「表意」として使ったことがないので、その部分でも何か「分断されたもの」を感じてしまう。
 で。
 イオン・コッドレスクにはたいへん申し訳ないのだが、頭の中で「文字」を消して「画」だけにしてみた。
 とても気に入ったのが4枚ある。(原文は「正字」をつかっているが、引用はふつうに使われている字体に変更した。私のワープロは「正字」をもっていない。)



(1)忍び音のいのちなりけり秋迫る
 画は抽象的である。筆が速くて、隅がかすれている。そのかすれが、余白と拮抗している。「忍び音」というよりも、精神が「声」を追い越して噴出している感じだ。これが余白の「静寂」をぐいとおさえ、「沈黙」に変える。強い緊張感がある。



(2)夜の秋いのちに聴きて鳥辺山
 画は「山」という文字に見える。一筆で書いている。私は「鳥辺山」をみた事がないのだが、山というのは富士山以外はたいてい他の山と連なっている。連なりながら独立している。二画目といっていいのかどうかわからないが、頂上から降りてきた筆がはねあがり、左の山を抱き込むようにして旋回し、右の山に連なる。このとき不思議な遠近感が出てくる。左と右の山が近景で、最初の一角が遠景の頂きになるのかもしれないし、右が近景、左が中景、中央が頂点で遠景かもしれない。しかし、これは「頭」で考え直したときの遠近感で、目の中では、それがない。「余白」が遠近感の中に割り込んできて、それが逆に距離の隔たりを消す働きをしている。
 この感覚はいったい何だろう。



(3)江戸を今に一人のうしろしぐれかな
 橋がシルエットで描かれている。丸く反った橋で、橋脚が長い。欄干の一つが突き出ている。それは欄干にも人間にも見える。この構図の、橋脚と突き出た欄干のバランスがとてもおもしろい。橋脚は左側にだけ描かれ、突き出た欄干(人?)は右側に描かれている。このままだと右に橋が傾いてしまうのだが、橋全体が反って半円を描いているため、左右対称ではないものだけがもつ動きによって、不安定さを乗り越えている。人が橋を天に向かって吊り上げているのかもしれない。人が生きている。橋が生きている。そして橋のいのちと「一人」のいのちが一つになっている。
 そう感じさせる。



(4)桐一葉久遠の君のなほ遠く
 鶴が描かれている。それもデザイン化された、とてもシンプルなものだ。余白が背中にまで侵入してきている。鶴が空にとけ込んでいるとも言える。
 俳句は「久遠」が「なほ遠く」と言っているが、その「遠い」の重なりの中に「方向」がある。見えない方向は、しかし、鶴の肉体には見える。すでに、肉体の中に、その重なりがあって、それを生きている。



*

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Ikuya’s Haiku with Codrescu’s Haiga―加藤郁乎俳句とイオン・コッドレスク俳画
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池澤夏樹のカヴァフィス(31)

2019-01-19 09:55:39 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
31 イタケー

怒れるポセイドーン、などを恐れるな。
彼らがおまえの旅路に立現れることは決してない、
選びぬかれた感情がおまえの
精神と肉体に触れているかぎり。

 これをさらにカヴァフィスは言いなおす。

荒狂うポセイドーン、などに会うことはない、
おまえが魂の中に彼らを宿していないかぎり、
おまえの魂が眼前に彼らを立たしめないかぎり。

 このことばを読むと、私は「おまえ」になった気持ちになる。「気迫」がすべての危険を遠ざける。あらゆる危険は「魂/感情/精神」が招き寄せる。ギリシャの「集中力」がこういうことばを言わせるのだろう。
 詩の最後。

彼女の貧しさにおまえは気付くかもしれないが、イタケーはおまえ
 をあざむいたのではない。
多くの経験によって賢くなったおまえは、
その時知るだろう、イタケーが何を意味するかを。

 ここがとても「弱く」感じる。この部分について、池澤はこう書く。

この「イタケー」は複数で示され、この詩の主題の一般性を示している。

 私は池澤の「一般性」に、またつまずく。何を言いたいのか、わからない。私は自分が「おまえ」になったつもりでこの詩を読んでくる。そして、そこに「複数のイタケー」があらわれるなら、それは「おまえ」が一人ではなく、複数ということではないだろうか。この詩を読んでいる私の以外の誰かも「おまえ」になっている。そのひとはそのひとの「イタケー」を知るということなのかもしれない。
 「一般化」というよりも、「個別化」されるのではないか。あらゆることを個別のこと、自分自身のことと受け止めるのが詩(あるいは文学)なのではないだろうか。あらゆることが自分の問題であるということを池澤は「一般化」と呼んでいるのかもしれないが、私はむしろ「個別化」と読みたい。








カヴァフィス全詩
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