詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

北川透「なんとかと」ほか

2019-01-22 08:21:22 | 詩(雑誌・同人誌)
北川透「なんとかと」ほか (「KYO峡」最終号、2018年12月31日発行)

 北川透「なんとかと」は「ひらがな」だけで書かれている。一行が「五七五」になっている。もちろん俳句ではないが。

なんぱせん ふるびたひゆに あきれはて
なんかんに やぶれたわれの しずむふね
なんきつに しにものぐるい こえもでず
なんぱせず ゆっくりねむり ふはいする
なんぎする なにほどのこと なんななん

 五行目まで引用してみた。何が書いてあるか。何も書いていない。書き出しを「なん」という音でそろえ、そのあと「五七五」のリズムでことばを動かしていく。
 しかし。

なんとかと かんとかとかが かんかかん
なんとなく このままいきが たえるはず

 「かんかかん」は単なる音か。それとも「意味」をもっているか。漢字まじりでどう書き直すことができる。「斯く書かん」(こう書くとしよう)と読むこともできる。「斯く書かん」の「く」は、私の発音では「無声音」になる。だから、どこかで「っ」とか「ん」とかの不完全な音とつながる。そういうこともあって「斯く書かん」という文字が思い浮かぶのだが、これは「音(発音)」が先か「表記(漢字まじりのことば)」が先か、よくわからない。どこかで交錯し、一緒になって立ち現われてくる。「肉体」がことばを勝手につかみとり、あとからこじつけしているとも言える。
 こんなことは、もちろん北川の意図したことではないだろう。北川が書いているとき、想像したことでもないだろう。私が勝手にそう読むだけなのである。
 ことばというのは、実際、困ったものだと思う。読むと、どうしても「意味」をでっちあげてしまうものだ。このことばのあり方を「パロール」というのか「ラング」というのか知らないが、私は、そこから逃れることができない。書いている北川はどうか。そういうものを突き破りたいのだろうと思う。いや、私は、北川のことばの運動に、そういう暴力を期待したいのだが、これはなかなかむずかしい。「現代詩」は、どこまでことばの拘束力を解体できるか。

 というような、ちょっと面倒くさいことを書いてしまうのは。「脱走四六韻プラス一」という詩がある。

あさぎりに 行く手阻まれ 敗けいくさ いずくへか われのゆく
道 われ知らず うしろには ピンク・フロイド アニマルズ 遠
近法 通るべからず この道は 尾をたれて へつらっている ひ
とやいぬ

 と始まる。「五七五」が繰り返され、その最初の「五」のあたまを拾っていくと「あいうえお」と五十音図になる。それがわかるように、最初の「五」のはじまりの部分だけをゴシック文字にしている。
 ところが。
 「な行」がおかしい。

                              な
なかまど 色づくおまえに 犯される ニヒリズム 鉤十字の旗 う
ち振られ ぬばたまの 夜神楽に酔い けつまずく ねんねこや ね
ずみ落としに ねこいらず 野山超え 国境超える テロリズム

 どこがおかしいかというと、「な」なかまど、「ニ」ヒリズム、「ぬ」ばたまの、「ね」んねこや、「野」山超えとゴシックにならないといけないのに「色」づくおまえの「色」がゴシックになっている。
 これは誤植? それとも、わざと? わざとだとしたら、どうして?
 読者がほんとうに読んでいるかどうかを確かめるための罠?
 この詩の最後「わ行」からあとは、こうである。

     われに似て ごつごつしている 鰐よりも 疑問符の と
どかぬ空を 脱走する

 「ん」のかわりに「疑問符」の「疑」がゴシックになっている。これは、軽い疑問をもったとき「ん(?)」と首を傾げるところを利用したのだろう。「肉体」の反応を「音」として借りてきているのだろう。
 こういう凝ったことをやっているのに、なぜ「色」がゴシックなのか。

*

「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。



「詩はどこにあるか」12月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168075066


オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977


北川透現代詩論集成3 六〇年代詩論 危機と転生
クリエーター情報なし
思潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹のカヴァフィス(34)

2019-01-22 08:14:24 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
34 ヘロデス・アッティクス

 ソフィストのアレクサンドロスがアテネに着いてみると、誰もいない。みんなヘロデスについて田舎へ行ったという。

そこでソフィストたるアレクサンドロスは
ヘロデスに一通の手紙を認めて、どうか、
ギリシャ人を送り返していただきたいと頼んだ。
分別に富むヘロデスはこう返書したものだ、
「ギリシャ人と共にわたしも戻りましょう。」--

 笑い話みたいだなあ。
 で、こういうとき「分別」というのかな? 私はなんとなく「一休さん」の「とんち」を思った。
 池澤は、ソフィストについて、こう書いている。

教授する内容は道徳から記憶術に至るまでさまざまあったが、すべて一種の哲学に違いない。と言うよりは、当時哲学は何等かの形で実生活において機能するものであった。あるいは、知を愛する精神的姿勢が人間の生活を律する、と言おうか。

 そうなんだろうけれど、大げさな感じがするなあ。
 カヴァフィスは、もう少し、突き放してみてはいないか。
 根拠があって書いているわけではないが。




カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする