詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(18)

2019-01-06 09:44:04 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
18 デーメートリオス王

 この詩には、プルタルコスのデーメートリオス伝が前置きとして掲げられている。「王ではなく役者のやうに、あの芝居じみた衣裳を灰色の上衣に着換へてひそかに逃げ去つた」(河野與一訳)。それは、いわばカヴァフィスのつけた「自注」である。だから池澤の注釈はいらないと思うが、池澤はわざわざプルタルコスのピュルロス伝も引いている(デーメートリオスについての言及がある)。カヴァフィスはピュルロス伝には従わず、デーメートリオス伝にある「役者のやうに」「芝居じみた衣裳」にインスピレーションを得ていると。この注釈が、何を言おうとしているのか、私にはさっぱりわからない。
 そのカヴァフィスの詩の部分は、こう訳されている。

黄金の衣裳をすて、
紫色の半長靴もその場に
ほうり出して、目立たない衣服に速やかに
着こんで、そのまま行ってしまった。
そのさまはまるで俳優が
公演を終えた後、舞台衣裳を
脱いで帰ってゆくようだった。

 「速やかに」ということばがあるのだが、急いでいる感じがしない。
 衣装を「すてる」、反長靴を「ほうり出す」という動詞と、「着込む」という動詞のスピード感が違うからだと思う。原文を知らないのだからいい加減な批評になってしまうが、「着こむ」がもったりしている。「着る+こむ」では、「念入り」な感じがしてしまう。
 で、池澤の引いているピュルロス伝を読むと「密かにマケドニア兵の被る縁の広いフェルトの帽子を被り、粗末な外套を著て逃げた」とある。デーメートリオス伝に比べると、何を着たか丁寧に時間をかけて書いてある。この丁寧さに引っ張られたんだろうなあ、と思う。
 言い換えると。
 池澤は、カヴァフィスがつけた「自注」には従わず、池澤が見つけてきた資料をもとにカヴァフィスの詩を訳したということになる。
 もしピュルロス伝にあたらず、デーメートリオス伝だけを手がかりにことばを動かせば、違った訳になったのでは、と思ってしまう。
 「まるで……ようだった」という念入りな直喩表現も、「急いでいない」感じに輪をかけている。
 池澤の訳は、たぶん「念が入りすぎている」。正確なのだろうが、正確さが詩を壊している部分があるのではないか。



カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
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