詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

カニエ・ナハ『なりたての寡婦』

2019-01-15 13:41:14 | 詩集
カニエ・ナハ『なりたての寡婦』(カニエ・ナハ、2018年11月30日発行)

 カニエ・ナハ『なりたての寡婦』は、本のつくりにとまどう。「第一部 フランス式の窓」「第二部 なりたての寡婦」から構成されていることになっているが、「第二部 なりたての寡婦」はタイトルしか見当たらない。落丁本かな?
 でも、まあ、こんなことは関係ないか。
 好きな部分を好きなように読んで、自分の好きな風に感想を書くだけだから。

 最初に短歌のようなものが書いてある。

二羽の蝶々が同じひとつの花だったこと あとに影法師だけを残して

二匹の蝶々がおなじ一つの花だったこと まぶかにかぶる帽子が眠る

 「二羽の蝶々」「二匹の蝶々」「同じひとつ」「おなじ一つ」。似ているけれど違う。違っているけれど、気にしないな。このときの「気にしない」は「意味」はどっちにしろおなじ、と私が思っているからだ。ほんとうは違うのかもしれないのに。私はいい加減な読者なので、めんどうなことは考えない。そうか、蝶々と花は入れ代わってもおなじか、とちょっと頭の中に「記憶」のようなものが残る。
 これとどういう関係があるのかわからないが、短歌(?)と見開きの、左のページには、こんなことばが書いてある。

「みなさん、いいですか。」と先生が話している。「このあと、かけっこのとき、ゴールの、テープのところに着いても、そこで立ち止まらないでください。そのまま、走りつづけてくださいね。わかりましたか。」昨夜みた映画の中で不意打ちのように、数日前になくなった女優K・Kの声が聴こえてきて、しかしその姿はなく、声だけが聴こえてくるのだった。

 これは何かなあ。日記みたいな文体である。
 次のページ、また短歌が二首。

ぶかぶかの帽子に蝶々がとまってそのままずっととまったままの時間

とまったままの砂時計のなかでこぼれない砂が静止したままの蝶々が

 これにも違いが含まれているが、同じものも含まれている。微妙だなあ。「ぶかぶかの帽子」は、前に読んだ「まぶかにかぶる帽子」に似ている。こうやって引用してみると(転写してみると)違いがわかるが、さーっと読んだ感じでは「帽子」の印象が強いので、違うというよりも「似ている」というか、共通のものがある、という印象の方が強い。
 左ページの日記風のことばを読むと、さらにそんなことを思う。

「みなさん、このあと、かけっこをしますが、」と先生が話している。「ゴールの、テープのところに着いても、そこで立ち止まらないでくださいね。そのまま、走りつづけてください。わかりましたか。」自転車に乗っているとき、光に完全に覆われていた。

 「かけっこ」「ゴールのテープ」。似ているなあ。同じことを言っている。でも、よく見ると微妙に違う。「自転車」の部分は完全に違うので、「かけっこ」の部分の微妙な違いは吹っ飛んでしまう。同じだと思い込んでしまうなあ。
 で。
 問題は、それでは「かけっこ」の先生のことばは、どっちが正しい? 映画なのだから、「声」は変らないはず。あるいは、どちらも間違っていて、それを再現しているカニエのことばが正しくないという場合もあるな。
 正しくなくても、そこから何かを感じる。そのとき、私の感じは、どう定義できる? 正しい感想? 間違った感想?
 正しいとか間違っているというのは、どうでもいいことなんだと思う。
 何かを思う、ということが大切なのだ。

 カニエもことばを動かすとき、何かを思っているはずだ。蝶々の短歌の場合、その変化は「推敲」のあとを残していると言えるか。何を明確にするために、書き換えたのか。そういうことは、書いたカニエにもわからないかもしれない。読んでいる私の方はもっとわからない。「同じひとつ」と「おなじ一つ」というのは、単なる書き間違えかどうかもわからない。
 それでも何かがわかったつもりになってしまう。共通することばをたぐりよせ、意味をでっちあげ、わかったつもりになるのだ。ここにはこういうことが書いてあったと「要約」してしまうのだ。

 この「わかったつもりになってしまう」ということが詩を読むことかというと、そうではない。カニエは逆のことを指し示そうとしている。微妙に違うものがある。それは何か。ほんとうに違うのか。そういうことを疑問に思う、考える、つまりことばを動かすことが詩である、と。
 と、書いてしまうが。
 いい加減な感想である。
 違うと気づく、疑問に思うというのもすぐに共通項(意味)になってしまうからね。
 変なものを読んだ、ということだけが、はっきり言える。どこが変か、これ以上はめんどうくさくて書けない。私が変なのか、こういう作品を書くカニエが変なのかも含めて、書いてもしようのないことだと思う。







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「詩はどこにあるか」12月号

2019-01-15 11:51:51 | その他(音楽、小説etc)
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池澤夏樹のカヴァフィス(27)

2019-01-15 10:02:36 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
27 ティアナの彫刻家

 ローマ彫刻の瑣末主義に従っている。「忠実に似せ」ること、馬が水の上を走る感じを出すことが彼の技術的誇りとなる。その彼がほんの一瞬だけギリシャ的理想への接近を口にする(略)のが最後の聯。これがローマとギリシャの文化的関係をうまく表している。

 と池澤の注を書いている。その最終連。

しかし、わたしが最も愛するのは
最も心を尽くし、情を移して制作したのは、
この像。ある夏の暑い日、
わが心が理想の境に遊んだ折に
夢の中に現れたこの姿、若いヘルメスだ。

 「最も」が繰り返され、「愛する」が「心を尽くし」「情を移し」と言いなおされる。ここに「熱中」がある。ギリシャの「集中力」がある。
 形を似せるのではなく、形を「理想」にする。
 それは確かに池澤の指摘する通りだと思う。
 でも、私がおもしろいと思ったのは、前半にある

こちらはパトロクロス(まだ少々手直しするつもり)。

 この一行。その括弧の入った部分。(まだ少々手直しするつもり)は実際にことばにされたのか、それとも彫刻家がこころの中で思っただけなのか。
 判断は分かれると思うが、こころの中で思えば、それは口に出したのと同じである。特に、この詩を読む人間にとっては差異はない。
 あるいは口に出したけれど、本人はこころの中で思っただけということもある。声になっていることに気づいていない。それくらい、「肉体」にしみついてしまっている思い。
 この「集中力」が、最後の連とつながっていると思う。
 「思い」が無意識に理想を引きつける、理想に向かって動いていく。





カヴァフィス全詩
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