三角みづ紀「一端を担うものたち」(「現代詩手帖」2019年01月号)
三角みづ紀「一端を担うものたち」を読んだ。私は苦手である。
宇宙感覚というのか、時間感覚というのか、どう呼んでいいのかわからないのだが。三角はたしかに「いま」を超えて何かをつかみとっている。大きな食卓と大きな一本の木を結びつけ、そこに「いま」ではない「永遠」をつかみとる。
でも、それを自分が「感知」したこととしてではなく、「赤子」に託してしまう。「赤子」は「無垢」の象徴なのかもしれないが、「赤子」を登場させることで、「大きな樹」が生まれてから大きな樹になるまでの「時間」を暗示させてしまう。「枠/論理」が出来上がってしまう。「世界」が論理によって広がる。「真理」になる。
そういう「世界観(思想)」を三角が生きている。それがおのずと出ている、といえばそうなんだけれど。
なんとなく「安定している」と感じる。「思想」が。
そこが、私にとっては「苦手」。このまま三角について行っていいのかどうか、ためらう。その先にある感動の予感。それを受け入れてしまったら、私は存在するのか、という疑問が頭をかすめる。
「草原に たったひとりで」と擬人化される木。なぜ、草原なのかなあ。草原の方が「目立つ」からだね。
これは先に引用した「赤子」もおなじ。その場に「赤子」はひとりしかいない。特別な存在。
ここから「地球もひとつ」ということが暗示され、「宇宙」との対比で「孤独」というものが美しい形で浮かび上がるのだけれど。
「苦手」なのは、そういう「美しさ」が私とは無縁のものだからかもしれない。
一方、こういうことも思う。
というとき、その「眺めている」という動詞は誰のものなのだろうか。主語は「宇宙」だが、宇宙が「眺める」ということはありうるのか。宇宙が「眺めている」と、三角が「眺めている」のか。
三角は「宇宙」になっているのか。
こういうことは厳密に考えず、ここに「宇宙感覚」がある、「宇宙との一体感」があると感じ、読者の方も「宇宙」になってしまえばいいのかもしれないけれどね。
たぶん「赤子」になって、「草原に立つ大きな樹」になった、「地球」になって、それから「宇宙」になる、という運動と一体化してしまえば、この詩はとても親密なものになるのだと思うけれど。
なんとなく、これでは仏教の言う「法」を説かれているみたいだな、と感じる。
それが「苦手」なのかも。
「法=空」(法即是空/空即是法」を持ち出されては、あらゆる感想は書く意味がなくなる。
もっと人間臭いというか、「欲望」が動く詩を読みたい。
*
(補記)
の部分の「化粧をほどこす」を「批判」と読めば、違った世界が広がるかもしれないけれど。
「地球にて」の「にて」に、私は、つまずいている。九州のひとはときどきこういう言い回しをするけれど、私には「外国語」に聞こえてしまう。私はもう五十年も九州で生活しているが、どうしてもなれることができない。
私は何か、ここにある「固有のもの」を見落としているのかもしれない。その「音」が聞き取れないのかもしれない、とも思う。
*
「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
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三角みづ紀「一端を担うものたち」を読んだ。私は苦手である。
おおきな木製の食卓に集う
やがて婚姻を約束した
誰かと誰かが祝福されている
そのおおきな食卓が
かつて巨大な一本の樹であったことを
感知した赤子が泣きはじめる
宇宙感覚というのか、時間感覚というのか、どう呼んでいいのかわからないのだが。三角はたしかに「いま」を超えて何かをつかみとっている。大きな食卓と大きな一本の木を結びつけ、そこに「いま」ではない「永遠」をつかみとる。
でも、それを自分が「感知」したこととしてではなく、「赤子」に託してしまう。「赤子」は「無垢」の象徴なのかもしれないが、「赤子」を登場させることで、「大きな樹」が生まれてから大きな樹になるまでの「時間」を暗示させてしまう。「枠/論理」が出来上がってしまう。「世界」が論理によって広がる。「真理」になる。
そういう「世界観(思想)」を三角が生きている。それがおのずと出ている、といえばそうなんだけれど。
なんとなく「安定している」と感じる。「思想」が。
そこが、私にとっては「苦手」。このまま三角について行っていいのかどうか、ためらう。その先にある感動の予感。それを受け入れてしまったら、私は存在するのか、という疑問が頭をかすめる。
年輪をかぞえて。
いつまでも立ち続けた樹
草原に たったひとりで
その草原をつくりあげた無垢な地球は
いまもなお青く輝いている
化粧をほどこさない地球にて
やがて婚姻を約束した誰かと誰かが
化粧をほどこして祝福されている
宇宙はそれを
おしだまったまま眺めている
「草原に たったひとりで」と擬人化される木。なぜ、草原なのかなあ。草原の方が「目立つ」からだね。
これは先に引用した「赤子」もおなじ。その場に「赤子」はひとりしかいない。特別な存在。
ここから「地球もひとつ」ということが暗示され、「宇宙」との対比で「孤独」というものが美しい形で浮かび上がるのだけれど。
「苦手」なのは、そういう「美しさ」が私とは無縁のものだからかもしれない。
一方、こういうことも思う。
宇宙はそれを
おしだまったまま眺めている
というとき、その「眺めている」という動詞は誰のものなのだろうか。主語は「宇宙」だが、宇宙が「眺める」ということはありうるのか。宇宙が「眺めている」と、三角が「眺めている」のか。
三角は「宇宙」になっているのか。
こういうことは厳密に考えず、ここに「宇宙感覚」がある、「宇宙との一体感」があると感じ、読者の方も「宇宙」になってしまえばいいのかもしれないけれどね。
たぶん「赤子」になって、「草原に立つ大きな樹」になった、「地球」になって、それから「宇宙」になる、という運動と一体化してしまえば、この詩はとても親密なものになるのだと思うけれど。
なんとなく、これでは仏教の言う「法」を説かれているみたいだな、と感じる。
それが「苦手」なのかも。
「法=空」(法即是空/空即是法」を持ち出されては、あらゆる感想は書く意味がなくなる。
もっと人間臭いというか、「欲望」が動く詩を読みたい。
*
(補記)
化粧をほどこさない地球にて
やがて婚姻を約束した誰かと誰かが
化粧をほどこして祝福されている
の部分の「化粧をほどこす」を「批判」と読めば、違った世界が広がるかもしれないけれど。
「地球にて」の「にて」に、私は、つまずいている。九州のひとはときどきこういう言い回しをするけれど、私には「外国語」に聞こえてしまう。私はもう五十年も九州で生活しているが、どうしてもなれることができない。
私は何か、ここにある「固有のもの」を見落としているのかもしれない。その「音」が聞き取れないのかもしれない、とも思う。
*
「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
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なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。
「詩はどこにあるか」10・11月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(3)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
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(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
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