嶋岡晨「空きカン・ブルース」( 「みらいらん」3、2019年01月15日発行)
嶋岡晨「空きカン・ブルース」は前半が楽しい。
缶蹴りはいまでも子供の遊びだろうか。ぜんぜん見かけない。いつごろまで缶蹴り遊びはできたのだろうか。
さて。
そういう子供のときの「人生」ってなんだろう。
缶詰というのは、私の子供の頃は手頃ではなかった。特に私は田舎の貧乏農家だから、めったに缶詰は買わない。だから缶詰が「大和煮」か「パイナップル」かわからなくなっても、空き缶を持ってきた友達の顔は忘れない。旨かったんだろうなあ。
でも、こういうことも蹴飛ばして、まさにあっけらかーん。いや、あっけらかーんのなかに、それが缶詰の底にこびりついた汁のように残ってはいるのだが。
そういうことが、「肉体」の感覚として思い出されてくる。
でも、このあとから、少しずつ微妙に変化する。
「カン切り」か。いまは、プルアップ方式に変わってしまった。カン切りをつかって缶詰を開けたのは、いつが最後かな。思い出せない。でも、コキコキコキと動かすときのあの音、たしかに「いらただしい」ものがあるね。切り口のぎざぎざにも。
これも、はっきり思い出すことができる。
おもしろくなくなってくる。「意味」はわかるんだけれどね。
「手術皿のなかの 鉗子のきらめき」が「生まれそこねた」につながるのも、ある種の「論理的」な動きとしてはわかるんだけれどね。
嫌いなのは、でも、そういう「論理的」な動き。
その直前の「おれを満たすものは何か」の答えが、こういう形をとることが、私の「肉体」には納得ができない。「肉体」がいやがる。
あれ、「旨そうに食ったやつの顔」が嶋岡を満たしたのではなかったのか、という疑問が生まれてくる。大和煮もパイナップルも関係ない。もちろん食べたいが、それよりも「食ったんだぜ」とことばに出さずに自慢するやつの顔に対する嫉妬でいっぱいになる。それは恥ずかしいけれど、なつかしい思い出であり、忘れてはいけない感覚なのだ。私の「肉体」は、そう抗議している。
忘れてはいけないけれど、こだわってもいけない。思い出すたびに、振り切って、笑い飛ばす。
そういうことが「すっからかーん」じゃないかなあ。
*
「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
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ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。
「詩はどこにあるか」12月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
嶋岡晨「空きカン・ブルース」は前半が楽しい。
かんからかーん どんな授業もずらかって
蹴っ飛ばせ カンカラカーン
人生しょせんあっけらかーん
ラベルは剥がれ
大和煮だったかパイナップルだったか
旨そうに食ったやつの顔だけが
残って
缶蹴りはいまでも子供の遊びだろうか。ぜんぜん見かけない。いつごろまで缶蹴り遊びはできたのだろうか。
さて。
そういう子供のときの「人生」ってなんだろう。
缶詰というのは、私の子供の頃は手頃ではなかった。特に私は田舎の貧乏農家だから、めったに缶詰は買わない。だから缶詰が「大和煮」か「パイナップル」かわからなくなっても、空き缶を持ってきた友達の顔は忘れない。旨かったんだろうなあ。
でも、こういうことも蹴飛ばして、まさにあっけらかーん。いや、あっけらかーんのなかに、それが缶詰の底にこびりついた汁のように残ってはいるのだが。
そういうことが、「肉体」の感覚として思い出されてくる。
でも、このあとから、少しずつ微妙に変化する。
からころ転がる存在にたまる雨水
流れる雲 流れる星がうつる
あのいらただしいカン切りの音だけ
よみがえり
「カン切り」か。いまは、プルアップ方式に変わってしまった。カン切りをつかって缶詰を開けたのは、いつが最後かな。思い出せない。でも、コキコキコキと動かすときのあの音、たしかに「いらただしい」ものがあるね。切り口のぎざぎざにも。
これも、はっきり思い出すことができる。
どぶ川で泥水すすり
蹴飛ばしたやつの靴音を反芻し
おれを満たすものは何か
手術皿のなかの 鉗子のきらめき?
生まれそこねた食欲を 遠く
遠く蹴飛ばして
カンカラカーン
すっからかーん……。
おもしろくなくなってくる。「意味」はわかるんだけれどね。
「手術皿のなかの 鉗子のきらめき」が「生まれそこねた」につながるのも、ある種の「論理的」な動きとしてはわかるんだけれどね。
嫌いなのは、でも、そういう「論理的」な動き。
その直前の「おれを満たすものは何か」の答えが、こういう形をとることが、私の「肉体」には納得ができない。「肉体」がいやがる。
あれ、「旨そうに食ったやつの顔」が嶋岡を満たしたのではなかったのか、という疑問が生まれてくる。大和煮もパイナップルも関係ない。もちろん食べたいが、それよりも「食ったんだぜ」とことばに出さずに自慢するやつの顔に対する嫉妬でいっぱいになる。それは恥ずかしいけれど、なつかしい思い出であり、忘れてはいけない感覚なのだ。私の「肉体」は、そう抗議している。
忘れてはいけないけれど、こだわってもいけない。思い出すたびに、振り切って、笑い飛ばす。
そういうことが「すっからかーん」じゃないかなあ。
*
「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
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なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。
「詩はどこにあるか」12月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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