ピーター・バーグ監督「マイル22」(★★★)
監督 ピーター・バーグ 出演 マーク・ウォールバーグ
マーク・ウォールバーグはじめ、イコ・ウワイスもアクションが見物かもしれないが、うーん、カメラが演技をしすぎる。いや、こういう言い方はまちがいで、逆かもしれない。カメラが手抜きをしすぎる、という方が正しいかもしれない。
アップが非常に多い。それも、たとえばマーク・ウォールバーグの顔を半分だけとか。ある状況のなかでカメラが移動していってアップになる、感情の高まりに合わせてカメラが顔をクローズアップする、というのではない。最初から一部しか見せない。大半はスクリーンの外側に押し出されている。
で、このカメラワークが、そのままストーリーになる。
登場人物(特にマーク・ウォールバーグ)が知っているのは、「事件」の全体ではない。一部だけである。しかも、その一部というのは自分で確認した一部ではない。他人が提供してくる情報の一部である。全体はマーク・ウォールバーグの知らないところにある。現場にいない人間がマーク・ウォールバーグに情報を与えて、行動をさせている。
こういうことだけなら、「ミッション・インポッシブル」でもそうなんだろうけれどねえ。スパイものだけに限らず、いまや戦争映画も、前線にいる人間よりも司令室にいる人間の方が細部の情報を総合的に把握していて、兵士はコマンドに従ってうごくだけみたいなところもあるが。
この映画の目新しさ(?)は、全体を把握しているのがマーク・ウォールバーグの上司(ジョン・マルコビッチ)だけではない、というところか。ジョン・マルコビッチがマーク・ウォールバーグに提供する情報自体が、別の集団によって提供された一部である。ジョン・マルコビッチらをつきとめるために仕組まれた「罠」というのが本当の「事件の構図」となっている。
こういう面倒なことは、「巨視的」に描こうとすると、どうしても大がかりになる。映画づくりがたいへんだ。だから、「逆手」をとって最初から「細部」だけを見せる。全体は、最後の最後で「どんでん返し」で明らかにする。
その目的に向かって、カメラはひたすら「部分」にこだわる。全体を見せるふりをしながら全体を隠す。とても「あざとい」映画である。
マーク・ウォールバーグが手首のゴムバンドでいらいらを表し、イコ・ウワイスが指をつかって精神統一をする(メディテーションといっていたなあ)、それとおなじ方法をロシアのスパイ(?)がやっているのをちらりと見せる。このカメラの小細工に、ことば(脚本)は一役買う。ローレン・コーハンは一児の母親。「マザー」である。マーク・ウォールバーグがそのことイコ・ウワイスに告げ、ローレン・コーハンと協力する。その一方、イコ・ウワイスは「マザーによろしく」と最後の最後で「事件」の種明かしをする。これも映画としては「あざとい」としかいいようがない。
★2個という感じなのだが、マーク・ウォールバーグが、とっても損な役を(カメラの演技が中心の映画だからね)、「肉体」で懸命に支えているところに「ほだされて」、★1個を追加した。アクション映画なのに、マーク・ウォールバーグは顔(皺)で演技し、アクションはのっぺり顔のイコ・ウワイスに譲っている。こういうことができる役者を、ほんとうは演技派というのかもしれない。
(2019年01月20日、T-JOY博多スクリーン5)
監督 ピーター・バーグ 出演 マーク・ウォールバーグ
マーク・ウォールバーグはじめ、イコ・ウワイスもアクションが見物かもしれないが、うーん、カメラが演技をしすぎる。いや、こういう言い方はまちがいで、逆かもしれない。カメラが手抜きをしすぎる、という方が正しいかもしれない。
アップが非常に多い。それも、たとえばマーク・ウォールバーグの顔を半分だけとか。ある状況のなかでカメラが移動していってアップになる、感情の高まりに合わせてカメラが顔をクローズアップする、というのではない。最初から一部しか見せない。大半はスクリーンの外側に押し出されている。
で、このカメラワークが、そのままストーリーになる。
登場人物(特にマーク・ウォールバーグ)が知っているのは、「事件」の全体ではない。一部だけである。しかも、その一部というのは自分で確認した一部ではない。他人が提供してくる情報の一部である。全体はマーク・ウォールバーグの知らないところにある。現場にいない人間がマーク・ウォールバーグに情報を与えて、行動をさせている。
こういうことだけなら、「ミッション・インポッシブル」でもそうなんだろうけれどねえ。スパイものだけに限らず、いまや戦争映画も、前線にいる人間よりも司令室にいる人間の方が細部の情報を総合的に把握していて、兵士はコマンドに従ってうごくだけみたいなところもあるが。
この映画の目新しさ(?)は、全体を把握しているのがマーク・ウォールバーグの上司(ジョン・マルコビッチ)だけではない、というところか。ジョン・マルコビッチがマーク・ウォールバーグに提供する情報自体が、別の集団によって提供された一部である。ジョン・マルコビッチらをつきとめるために仕組まれた「罠」というのが本当の「事件の構図」となっている。
こういう面倒なことは、「巨視的」に描こうとすると、どうしても大がかりになる。映画づくりがたいへんだ。だから、「逆手」をとって最初から「細部」だけを見せる。全体は、最後の最後で「どんでん返し」で明らかにする。
その目的に向かって、カメラはひたすら「部分」にこだわる。全体を見せるふりをしながら全体を隠す。とても「あざとい」映画である。
マーク・ウォールバーグが手首のゴムバンドでいらいらを表し、イコ・ウワイスが指をつかって精神統一をする(メディテーションといっていたなあ)、それとおなじ方法をロシアのスパイ(?)がやっているのをちらりと見せる。このカメラの小細工に、ことば(脚本)は一役買う。ローレン・コーハンは一児の母親。「マザー」である。マーク・ウォールバーグがそのことイコ・ウワイスに告げ、ローレン・コーハンと協力する。その一方、イコ・ウワイスは「マザーによろしく」と最後の最後で「事件」の種明かしをする。これも映画としては「あざとい」としかいいようがない。
★2個という感じなのだが、マーク・ウォールバーグが、とっても損な役を(カメラの演技が中心の映画だからね)、「肉体」で懸命に支えているところに「ほだされて」、★1個を追加した。アクション映画なのに、マーク・ウォールバーグは顔(皺)で演技し、アクションはのっぺり顔のイコ・ウワイスに譲っている。こういうことができる役者を、ほんとうは演技派というのかもしれない。
(2019年01月20日、T-JOY博多スクリーン5)
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