詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ピーター・バーグ監督「マイル22」(★★★)

2019-01-21 09:46:53 | 映画
ピーター・バーグ監督「マイル22」(★★★)

監督 ピーター・バーグ 出演 マーク・ウォールバーグ

 マーク・ウォールバーグはじめ、イコ・ウワイスもアクションが見物かもしれないが、うーん、カメラが演技をしすぎる。いや、こういう言い方はまちがいで、逆かもしれない。カメラが手抜きをしすぎる、という方が正しいかもしれない。
 アップが非常に多い。それも、たとえばマーク・ウォールバーグの顔を半分だけとか。ある状況のなかでカメラが移動していってアップになる、感情の高まりに合わせてカメラが顔をクローズアップする、というのではない。最初から一部しか見せない。大半はスクリーンの外側に押し出されている。
 で、このカメラワークが、そのままストーリーになる。
 登場人物(特にマーク・ウォールバーグ)が知っているのは、「事件」の全体ではない。一部だけである。しかも、その一部というのは自分で確認した一部ではない。他人が提供してくる情報の一部である。全体はマーク・ウォールバーグの知らないところにある。現場にいない人間がマーク・ウォールバーグに情報を与えて、行動をさせている。
 こういうことだけなら、「ミッション・インポッシブル」でもそうなんだろうけれどねえ。スパイものだけに限らず、いまや戦争映画も、前線にいる人間よりも司令室にいる人間の方が細部の情報を総合的に把握していて、兵士はコマンドに従ってうごくだけみたいなところもあるが。
 この映画の目新しさ(?)は、全体を把握しているのがマーク・ウォールバーグの上司(ジョン・マルコビッチ)だけではない、というところか。ジョン・マルコビッチがマーク・ウォールバーグに提供する情報自体が、別の集団によって提供された一部である。ジョン・マルコビッチらをつきとめるために仕組まれた「罠」というのが本当の「事件の構図」となっている。
 こういう面倒なことは、「巨視的」に描こうとすると、どうしても大がかりになる。映画づくりがたいへんだ。だから、「逆手」をとって最初から「細部」だけを見せる。全体は、最後の最後で「どんでん返し」で明らかにする。
 その目的に向かって、カメラはひたすら「部分」にこだわる。全体を見せるふりをしながら全体を隠す。とても「あざとい」映画である。
 マーク・ウォールバーグが手首のゴムバンドでいらいらを表し、イコ・ウワイスが指をつかって精神統一をする(メディテーションといっていたなあ)、それとおなじ方法をロシアのスパイ(?)がやっているのをちらりと見せる。このカメラの小細工に、ことば(脚本)は一役買う。ローレン・コーハンは一児の母親。「マザー」である。マーク・ウォールバーグがそのことイコ・ウワイスに告げ、ローレン・コーハンと協力する。その一方、イコ・ウワイスは「マザーによろしく」と最後の最後で「事件」の種明かしをする。これも映画としては「あざとい」としかいいようがない。
 ★2個という感じなのだが、マーク・ウォールバーグが、とっても損な役を(カメラの演技が中心の映画だからね)、「肉体」で懸命に支えているところに「ほだされて」、★1個を追加した。アクション映画なのに、マーク・ウォールバーグは顔(皺)で演技し、アクションはのっぺり顔のイコ・ウワイスに譲っている。こういうことができる役者を、ほんとうは演技派というのかもしれない。
 (2019年01月20日、T-JOY博多スクリーン5)


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池澤夏樹のカヴァフィス(33)

2019-01-21 08:14:25 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
33 ヘレネスの友

刻銘は例の如くギリシャ語で、
表現は誇張や尊大を避けるよう--
穿鑿とローマへの報告に汲々としている
地方総督に疑いを抱かせぬことが肝要--
とはいえ我が名誉は表してもらいたい。

 王冠に何を刻むか、悩む王。誇りたい、でもにらまれたくない。「とはいえ」がとても効果的だ。感情が、論理の中に凝縮している。

裏側にはなにか特別なものが欲しいところだが、
若くて綺麗な円盤投げの選手などはどうだろうか。

 ここはカヴァフィスの思いが代弁されているのだろう。「若くて綺麗な」の「綺麗な」があいまいかもしれない。「綺麗」というとき、目は何をみているのか。「円盤投げの選手」だから、しなやかな肉体の動きを指しているのだと創造するが、「綺麗」と呼ぶものかどうかわからない。王は何を欲望しているか。
 この王は王冠に「ヘレネスの友」と刻むことを欲している。その根拠として、

それにまた、我々のもとにはしばしば
シリアのソフィストたちやら詩を作る者、
その他いろいろな役立たず共がやってきおる、
すなわち、我々とてヘレネス的なものと無縁ではないのだ。

 と言う。これに対し、池澤は

その根拠は最後の四行に見るとおり相当に薄弱である。

 と書く。さて、この「根拠薄弱」をどう読むべきなのか。私は「薄弱」だからこそ、おもしろいと思う。王の欲望の強さが出ている。「すなわち」ということばは「とはいえ」と同じように、非常に速い論理だ。
 カヴァフィスは歴史を題材に詩を書くが、その登場人物は書かれた瞬間、遠い過去に存在するのではなく、私のすぐそばにやってくる。とても速いスピードで。「速い論理」がそれを可能にする。カヴァフィスの「知性」の力が、遠くのものを瞬間的にそばに引きつけるのだ。
 「根拠」に詩人を入れているのは、「ヘレネス」の人、カヴァフィスの自負だ。



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