詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(38)

2019-01-26 09:54:14 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
38 稀有のこと

 二連から構成され、前半は「老詩人」の姿が描かれる。老いて醜くなった体。でも、家に帰り、

ぶざまな老躯を隠すやいなや、彼はまだ
おのれのものである若さに心をむける。

 池澤はここに注目し、こう書いている。

詩人であることによって若さを内部に維持し、外部の老醜をいわば中和しうる幸運が扱われる。しかしそれが「稀有なこと」に属するのを詩人が知らないわけではない。

 そうなんだろうか。「おのれのものである若さ」とは何だろうか。
 二連目。

若い人々は彼の詩を朗唱する。
彼らの明るい眼に老人の見るものが映る。
彼らの健康で官能的な精神と、
ひきしまった形のよい肉体は、
彼の美を感じとっておののく。

 池澤の訳を、私は思いっきり「誤読」する。
 「老人の見るもの」と訳されているが、これは「老詩人が若いときに書いた詩」ではないだろうか。いま老詩人が書いている詩ではないだろう。
 かつて老詩人が書いた詩を若者が読むと、若者の肉体は、そこに書かれているとおりのものになる。「老詩人が見たもの」が若者には見える、その「美しさ」に若者の肉体はおののき、それに近づく。
 これは言い換えると、老詩人が書いたことばが今も若者の美の基準となっている、若者は老詩人が書いた若者の美しさを目指している、ということ。
 そんなふうに、過去の人間のことばが、いまも若者の理想として生きているということ。それが「稀有のこと」というのではないだろうか。
 老詩人は、それが自慢なのだ。どんな若者も、彼のことばがつかみとった美しさを超えられない、ということが。その美しさは詩人のもの(おのれのもの)なのだ。
 私は、そう読みたい。
 「若い人々は彼の詩を朗唱する。」という一行は、誇りだ。でも、それは「老い(醜さ)」を中和するというよりも、さらに老人の肉体に醜さを刻印するように思える。













カヴァフィス全詩
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