詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(13)

2019-06-02 11:11:48 | 嵯峨信之/動詞
* (死者は冷たい灰の中で)

死者は冷たい灰の中で
だれの前にも素裸である

 この「ある」は何だろうか。
 生きている人は裸ではない。服を着ている。裸になるためには服を脱ぐ。裸に「なった」、そして裸で「ある」。「ある」の前には「なる」がある。
 この「なる」は次のように展開していく。

死者はすべての人の他人となる
--いつかは自分に対しても

 そうすると「服」とは、人との関係のことだろうか。自分と関係のない人を「他人」と呼ぶ。

















*

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大橋政人『まど・みちおという詩人の正体』

2019-06-02 11:01:33 | 詩集
大橋政人『まど・みちおという詩人の正体』(未来社、2019年04月25日発行)

 大橋政人『まど・みちおという詩人の正体』の帯に、こう書いてある。

日本の近・現代詩のなかに「神秘主義詩」という一筋の流れをつけ加えようとする

 私は困ってしまう。「神秘主義」というものが、私にはわからない。それが「ある」と言われていることは知っている。でも「神秘」というものが実感できない。たぶん「神秘」の「神」がわからない。「秘」のほうは「秘」ということばがあり、それは「隠す」という動詞につながるから、どういうことか、自分なりにわかるのだけれど。
 「肉体」がある。「ことば」もある。けれど「ことば」になっているものがすべて「ある」のかどうか、私にはわからない。「神」とか「魂」とかは、私は自分自身から何かを指し示すためにはつかわない。「こころ」や「気持ち」も微妙なものだが、こころが「ゆれる」とか、気持ちが「たかぶる」というような「動詞」と結びつけてつかうと、動詞の主語として何かが「ある」んだなあ、と思う。「神」や「魂」には、どういう動詞がつづくのか、わからない。だから「ある」とは思えない。
 「ない」のに「ことば」になっているものは、「嘘」である。
 そして、私は、実は「ほんとう」よりも「嘘」が好きなのだ。なぜ、嘘をつくのかな? 嘘の向こう側に何が「ある」のかな? それを考えるのが好きだ。
 矛盾しているのである。

 だから、どこから書き始めていいか、どう書いていいかわからない。

 このエッセイのなかで、私がいちばん「親近感」を憶えたのは、引用されている吉本隆明の「ことば」である。大橋は吉本を批判するために吉本を引用しているのだが。

心と読んでいるものは何なのか(中略)たぶん内臓の動きが表現されたものが心、と呼べるんだろうと考えられます。

 「考えられます」という「婉曲的」な言い回しなので、これは吉本自身のことばではないのかもしれないが、私は肉体(内臓には限定しない)の何かの動きが「こころ」だと思う。
 確実に「ある」と言えるのは「肉体」(自分)だけであり、それは「肉体の内部(の動き)」と「肉体の外部(の動き)」としてとらえることができ、それをあらわす「ことば」が「ある」。「肉体の内部」は「おわり」はわかるが「はじまり」はわからない。「肉体の外部」は「はじまり」はわかる「おわり」がわからない。わからないから、とりあえず「ことば」で言えるところまでは「ある」ということになる。「ことば」でいわなかったことは、その「言う」という「動詞」にとっては「ない」。
 めんどうくさいのは。
 「ことば」は私だけのものではない。だから、私が言わなくても誰かが言うということが「ある」。その「ことば」のなかには、私の動詞ではたどりつけないもの、つまり「ない」がしょっちゅう出てくる。いつでも「ない」に出会ってしまう。たとえば「神秘」とか。これとの「折り合い」のつけ方が、私の場合、決着がついていない。そのときそのときで、いいかげんにしてしまう。考えることを保留するというようなカッコイイことではなく、めんどうくさいから、知らん顔をする。別なことばで言えば「言わせておけ」になるかもしれない。
 私は、あらゆることが「違っていていい」と思っている。あるいは「違う」だけが「ある」のであって、「正しい」は「ない」と思っている。

 飛躍しすぎたか。そうかもしれない。めんどうくさいことは、端折ってしまうのが私の生き方だ。どうせ「正しい」は「ない」のだから。

 そう思っていると、また大橋が引用している「ことば」に出会う。今度は川崎洋。三好達治の「雪」について触れた部分。

川崎洋氏によると、この詩の解釈は今もって定まっていないのだと言う。

 「解釈」が「定まる」必要があるのか。私は、「違う」ということが好きだから、「正しい」がいつまでたっても定まらない方が楽しい。「正しくない」の「ない」がいっぱい溢れている方が、その場その場でテキトウにやれるから楽しいと思ってしまう。

 というようなことはいくら書いてもきりがないか。
 視点を変えよう。

 帯には「神秘主義詩」ということばがあったが、大橋は「形而上詩」ということばもつかっている。こちらの方が「神秘主義」よりは、私には親しみやすい。
 大橋は「リンゴ」という作品を例に引いている。

リンゴを ひとつ
ここに おくと

リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ

リンゴが ひとつ
ここに ある
ほかには
なんにもない

ああ ここで
あることと
ないことが
まぶしいように
ぴったりだ

 「ある」と「ない」の問題が出てくる。この詩のことがあって、私は、かなり長い「書き出し」を書き続けたのかもしれない。
 私も、この詩が好きだ。
 どこが好きかというと、「ある」と「ない」にふれた後半ではなく、実は二連目である。「この リンゴだけで/いっぱいだ」の「だけ」と「いっぱい」がとても気持ちがいい。ひとつのもので「いっぱい」になる。そこに充実感がある。
 それから、この「いっぱい」を言いなおした最終行の「ぴったり」もいい。
 「いっぱい」と「ぴったり」が「一つ」になる。別々のことばなのに、同じ。同じなのに別々。それを「まぶしい」と呼んでいるのもいいなあ。
 「まぶしい」というのは用言。動きがある。「まぶしい」とき「まぶしさ」に反応して動く「肉体」がある。「形而上」だけではなく「形而下」も動くのだ。だから、それを信じることができる。
 大橋は、「ぼくが ここに」という詩と重ね合わせて

「個」というものの発見であったのだろうが、それは取りも直さず「超個」の発見であったのだと思われる。

 と書いているが。
 この「超個」ということばが大橋の言う「形而上」の問題なのかなと思うが、これは私にとっては、「言わせておけ」の類になる。まどは「超個」というような「意味」だけをあらわす「造語(たぶん)」はつかわないだろうと思う。

 最後に、大橋の詩を引いておく。「ある日のまどさん」。

答えを
期待していない問いが
朝の空に
プカプカ浮いている

問いの力は
かなり強く
だんだん激しくなっていくのに
答えを期待していないから
気楽なもんだ

 この「気楽なもんだ」が好きだなあ。「ない」が突然「ある」に変わって、そこに生まれてきた。
 たぶん、まどの「リンゴ」の、「いっぱい」「ぴったり」「まぶしい」も、「ない」がある」に変わって、生まれてきたものだ。大橋は、まどの肉体を引き継いでいる。





*

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