詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

桂川幾郎『偶然という名の現在なの』

2019-06-06 10:42:00 | 詩集
桂川幾郎『偶然という名の現在なの』(ふらんす堂、2019年04月30日発行)

 桂川幾郎『偶然という名の現在なの』にはルビが振ってある。「たまたまというなのいまなの」と読ませる。私はこういう処理を好まない。「偶然」を「たまたま」と読ませたいのか「たまたま」を偶然と書きたいのか、「現在」を「いま」と読ませたいのか「いま」を「現在」と書きたいのか。いずれの場合にしろ、そういうことは「ルビ」で処理するものではないと思う。
 ことばは「音」(声)である。こう書くと、耳の聞こえないひとや声を発することのできないひとに閉めだしてしまうことになるかもしれないが、私はことばを「音」と切り離して考えることができない。私は「聞いた音」しか理解できない。

 「偶然」と書いて「たまたま」と読ませる詩。

たまたまいまここにいるだけで
いなかったかもしれないわたし

たまたまいまここにいるだけで
やがていなくなるにちがいないわたし

だから
わたしは
あなたにわたしたい
わたしを

 最終連で「わたし(私)」と「わたし(渡し)」が交錯する。そこに不思議なおもしろみがある。もしこれが、

だから
私は
あなたに渡したい
私を

 と書かれていたら理屈っぽくなる。「意味」になりそうなものを、寸前で「音」のなかで交錯させている。「音」の交錯を整理するために「文字/漢字」があるけれど、そういう「整理以前」をときはなつ楽しみがある。
 桂川が、ことばをこんなふうに動かして、「意味以前」に近づこうとしているのなら「偶然」と書いて「たまたま」と読ませるのは逆効果のように思う。
 「まあるいあなをみているかえる」も全行ひらがなで書かれた詩。

いま
ここで
いきている

いどのそこで
そっくりかえる

あながみえる

ぽっかりあいた
あなはまんんまる
まっさおなときもある
はいいろのときもある
まんくろなときもある
ゆめからさめると
あかねいろになるときもあって
いきかえる

あなのかなたへかえる
こともあるかと
かんがえる

 「蛙」が「返る/帰る」を通って、「考える」になる。「考える」は「生き返る」と強く結びついている。「生き返る」というより、「生まれ変わる」といった方がいいかもしれない。
 「考える」とは、意識をことばにすること。意識がどう動いているかを「知る」ことに通じるかもしれない。

 この詩は、中井久夫のことばを引いている。
 「井戸の中のカワズ 天の深さを知る」。





*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(17)

2019-06-06 10:07:08 | 嵯峨信之/動詞
* (夏のあいだ)

矢のようにかすめさつた漕手のない一艘の大型カヌーがあつて
心の襞に大波小波がうちよせた

 「大波小波」はカヌーを奪っていった波なのだろうが、カヌーが走るときに起きる波にも感じられる。
 「心の襞」ということばが、「情景」を繊細にさせる。視界よりも、心の中に残っている映像。それが打ち寄せる。
 カヌーを奪った波なら、心をも奪うか壊してしまうだろう。



*

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