桂川幾郎『偶然という名の現在なの』(ふらんす堂、2019年04月30日発行)
桂川幾郎『偶然という名の現在なの』にはルビが振ってある。「たまたまというなのいまなの」と読ませる。私はこういう処理を好まない。「偶然」を「たまたま」と読ませたいのか「たまたま」を偶然と書きたいのか、「現在」を「いま」と読ませたいのか「いま」を「現在」と書きたいのか。いずれの場合にしろ、そういうことは「ルビ」で処理するものではないと思う。
ことばは「音」(声)である。こう書くと、耳の聞こえないひとや声を発することのできないひとに閉めだしてしまうことになるかもしれないが、私はことばを「音」と切り離して考えることができない。私は「聞いた音」しか理解できない。
「偶然」と書いて「たまたま」と読ませる詩。
最終連で「わたし(私)」と「わたし(渡し)」が交錯する。そこに不思議なおもしろみがある。もしこれが、
だから
私は
あなたに渡したい
私を
と書かれていたら理屈っぽくなる。「意味」になりそうなものを、寸前で「音」のなかで交錯させている。「音」の交錯を整理するために「文字/漢字」があるけれど、そういう「整理以前」をときはなつ楽しみがある。
桂川が、ことばをこんなふうに動かして、「意味以前」に近づこうとしているのなら「偶然」と書いて「たまたま」と読ませるのは逆効果のように思う。
「まあるいあなをみているかえる」も全行ひらがなで書かれた詩。
「蛙」が「返る/帰る」を通って、「考える」になる。「考える」は「生き返る」と強く結びついている。「生き返る」というより、「生まれ変わる」といった方がいいかもしれない。
「考える」とは、意識をことばにすること。意識がどう動いているかを「知る」ことに通じるかもしれない。
この詩は、中井久夫のことばを引いている。
「井戸の中のカワズ 天の深さを知る」。
*
評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076093
「詩はどこにあるか」2019年4-5月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076118
オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
桂川幾郎『偶然という名の現在なの』にはルビが振ってある。「たまたまというなのいまなの」と読ませる。私はこういう処理を好まない。「偶然」を「たまたま」と読ませたいのか「たまたま」を偶然と書きたいのか、「現在」を「いま」と読ませたいのか「いま」を「現在」と書きたいのか。いずれの場合にしろ、そういうことは「ルビ」で処理するものではないと思う。
ことばは「音」(声)である。こう書くと、耳の聞こえないひとや声を発することのできないひとに閉めだしてしまうことになるかもしれないが、私はことばを「音」と切り離して考えることができない。私は「聞いた音」しか理解できない。
「偶然」と書いて「たまたま」と読ませる詩。
たまたまいまここにいるだけで
いなかったかもしれないわたし
たまたまいまここにいるだけで
やがていなくなるにちがいないわたし
だから
わたしは
あなたにわたしたい
わたしを
最終連で「わたし(私)」と「わたし(渡し)」が交錯する。そこに不思議なおもしろみがある。もしこれが、
だから
私は
あなたに渡したい
私を
と書かれていたら理屈っぽくなる。「意味」になりそうなものを、寸前で「音」のなかで交錯させている。「音」の交錯を整理するために「文字/漢字」があるけれど、そういう「整理以前」をときはなつ楽しみがある。
桂川が、ことばをこんなふうに動かして、「意味以前」に近づこうとしているのなら「偶然」と書いて「たまたま」と読ませるのは逆効果のように思う。
「まあるいあなをみているかえる」も全行ひらがなで書かれた詩。
いま
ここで
いきている
いどのそこで
そっくりかえる
と
あながみえる
ぽっかりあいた
あなはまんんまる
まっさおなときもある
はいいろのときもある
まんくろなときもある
ゆめからさめると
あかねいろになるときもあって
いきかえる
あなのかなたへかえる
こともあるかと
かんがえる
「蛙」が「返る/帰る」を通って、「考える」になる。「考える」は「生き返る」と強く結びついている。「生き返る」というより、「生まれ変わる」といった方がいいかもしれない。
「考える」とは、意識をことばにすること。意識がどう動いているかを「知る」ことに通じるかもしれない。
この詩は、中井久夫のことばを引いている。
「井戸の中のカワズ 天の深さを知る」。
*
評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076093
「詩はどこにあるか」2019年4-5月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076118
オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
偶然という名の現在なの | |
桂川幾郎 | |
ふらんす堂 |