2000万円トリック
自民党憲法改正草案を読む/番外274(情報の読み方)
年金だけでは、老後2000万円不足する(年金以外に、老後資産2000万円必要)という問題の「続報」が読売新聞2019年06月15日朝刊(西部版・14版)に載っている。
その記事のなかに、こういう部分がある。
麻生のこのことばをそのまま読めば、「政府のスタンス」としては「公的年金が老後の基本中の基本」であり、「月々5万円足りない」という報告は「参考」にならない、ということになる。
では、月々いくらの不足(赤字)なら「政府のスタンス」と合致するのか。それが不明確である。
金融庁の局長は、
という記述もある。
もちろんライフスタイルは人それぞれである。家に引きこもり、電気、ガス、水道の使用も控え、食事も質素なものにするという生活なら年金だけで暮らして行ける、あるいは黒字になるという人もいるかもしれない。
どういうライフスタイルか想定せずに「数字を単純に比較」するひとはいるだろうか。たぶん、見聞きしているふつうの生活、あるいは自分の生活を基準にして、数字を比較したのではないのか。それは「単純」な比較ではないはずだ。
私は、この問題がねじまがったのは(変な具合に展開したのは)、麻生の最初の「とっかかり」が、麻生の狙いと、国民の反応との違いが原因だったと思う。
年金だけでは老後の生活はむり、ということは以前から言われている。そしてそのとき、よく見聞きしたのが3000万円の資産が必要だというものだった。2000万円よりもはるかに多い。麻生もその数字を知っていたと思う。
報告書は、麻生の意図を酌んで、赤字額を3000万円ではなく2000万円におさえた。そのために「投資」の勧めも盛り込んだ。2000万円をうまく運用すれば3000万円としてつかえる、ということだ。麻生は、これに飛びついた。3000万円不足するという「定説」よりも1000万円も少ない。少なくてすむのは、安倍政権のおかげだ、とアピールできると思ったのだろう。
だからこそ、「退職金がいくらになるか、計算してみたことがあるか」というような軽口も飛び出したのだと思う。(私は、ちょっと事情があって、新聞を正確に読む時間がなかった。新聞の取り置きもしていないので、引用できないのだが)「年金受給までに2000万円くらい貯めろよ」といいたかったのだ。それくらいは「簡単」というのが麻生の認識なのだろう。何かに、麻生の懇意にしているバーでの飲み代が年間2000万円と書いてあった。麻生にしてみれば、一軒のバーの飲み代が足りないだけ、という感覚なのだ。それくらいすぐに用意できるというのが麻生の感覚なのだ。それが、そのまま出てしまった。
ところが、麻生が喜び勇んで「2000万円赤字(にすぎない)」と言ったのに、国民の反応は「2000万円も赤字なのか」だった。このため、あわてたのだ。
金融庁も、苦労して数字を2000万円におさえたのに、麻生の発表の仕方がまずかったので、とんだとばっちりを受けたということだろう。
ほんとうに2000万円あれば安心できるのか、世間では3000万円という声が聞かれるが、というところから、この問題を追及しないといけない。このままでは、2000万円必要なのかという「不安」を引き起こすと同時に、2000万円確保すればなんとかなるという「間違った安心感」を定着させることにもなりかねない。
多くの野党の追及は、この点を外していた。彼らにも年金生活の「実感」がないのだろう。
国会の審議を全部見ているわけではないのだが、共産党の小池の追及が唯一的を射ていたと、私は思う。「2000万円では足りない、3600万円必要だ」というようなことを言った。予算配分の仕方を根本から帰る必要があると指摘していた。私の実感に近い。
私は年金生活者だが、何もなくても月々5万円は赤字になる。冠婚葬祭があったり(実際にあったのだが)、病気をしたり(これも実際にあったのだが、そして治療はつづいているのだが)、5万円ではとても足りない。さらに、マンションの修繕積立費が来月から1・5倍に上がる(5年後は2倍になる)というようなこともあり、退職金や預金はあっというまになくなりそうである。
これは年金支給額が減らない、物価が上昇しないということを前提にした上での感想である。物価が、安倍の目論見のように年に2パーセントもあがっていくなら、どこをどうきりつめていいか見当もつかない。
2000万円不足というのは、嘘に決まっている。嘘に決まっているけれど、その最低限の嘘を手がかりに、どうすれば2000万円を1000万円に、さらにはゼロにまで近づけることができるか。そういうことを考えないといけないのに、2000万円も確保できるはずがないという声にあわてふためいて、「表現の仕方を反省したい」というのは、その場しのぎのごまかしである。
さらに問題は、多くの人がすでに指摘しているが、月々5万円の赤字、トータルで2000万円資産が必要と言われた人は厚生年金を受給している人である。国民年金だけで暮らしている人を含んでいない。国民年金だけの人は、もっともっとたいへんである。国民年金に加入している人は「定年」のない人が多いかもしれないが、「定年」がないかといって働き続けられるとはかぎらない。健康の問題がある。
麻生は「表現反省」(表現の問題)というのだが、年金と老後に必要な資産は「表現(トリック)」ではなく「現実の金」である。「事実」である。表現なんかどうでもいい。「事実」から出発しなおす必要がある。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
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自民党憲法改正草案を読む/番外274(情報の読み方)
年金だけでは、老後2000万円不足する(年金以外に、老後資産2000万円必要)という問題の「続報」が読売新聞2019年06月15日朝刊(西部版・14版)に載っている。
その記事のなかに、こういう部分がある。
麻生氏(金融相)は報告書の内容について「あたかも公的年金だけでは月々5万円足りないと述べている。我々は公的年金が老後の基本中の基本だと思っており、政府のスタンスとかなり違う」と語り、政府としては参考にしない考えを強調した。
麻生のこのことばをそのまま読めば、「政府のスタンス」としては「公的年金が老後の基本中の基本」であり、「月々5万円足りない」という報告は「参考」にならない、ということになる。
では、月々いくらの不足(赤字)なら「政府のスタンス」と合致するのか。それが不明確である。
金融庁の局長は、
「高齢者のライフスタイルはさまざまで、数字を単純に比較して議論したことはミスリードだったと反省している」と謝罪した。
という記述もある。
もちろんライフスタイルは人それぞれである。家に引きこもり、電気、ガス、水道の使用も控え、食事も質素なものにするという生活なら年金だけで暮らして行ける、あるいは黒字になるという人もいるかもしれない。
どういうライフスタイルか想定せずに「数字を単純に比較」するひとはいるだろうか。たぶん、見聞きしているふつうの生活、あるいは自分の生活を基準にして、数字を比較したのではないのか。それは「単純」な比較ではないはずだ。
私は、この問題がねじまがったのは(変な具合に展開したのは)、麻生の最初の「とっかかり」が、麻生の狙いと、国民の反応との違いが原因だったと思う。
年金だけでは老後の生活はむり、ということは以前から言われている。そしてそのとき、よく見聞きしたのが3000万円の資産が必要だというものだった。2000万円よりもはるかに多い。麻生もその数字を知っていたと思う。
報告書は、麻生の意図を酌んで、赤字額を3000万円ではなく2000万円におさえた。そのために「投資」の勧めも盛り込んだ。2000万円をうまく運用すれば3000万円としてつかえる、ということだ。麻生は、これに飛びついた。3000万円不足するという「定説」よりも1000万円も少ない。少なくてすむのは、安倍政権のおかげだ、とアピールできると思ったのだろう。
だからこそ、「退職金がいくらになるか、計算してみたことがあるか」というような軽口も飛び出したのだと思う。(私は、ちょっと事情があって、新聞を正確に読む時間がなかった。新聞の取り置きもしていないので、引用できないのだが)「年金受給までに2000万円くらい貯めろよ」といいたかったのだ。それくらいは「簡単」というのが麻生の認識なのだろう。何かに、麻生の懇意にしているバーでの飲み代が年間2000万円と書いてあった。麻生にしてみれば、一軒のバーの飲み代が足りないだけ、という感覚なのだ。それくらいすぐに用意できるというのが麻生の感覚なのだ。それが、そのまま出てしまった。
ところが、麻生が喜び勇んで「2000万円赤字(にすぎない)」と言ったのに、国民の反応は「2000万円も赤字なのか」だった。このため、あわてたのだ。
金融庁も、苦労して数字を2000万円におさえたのに、麻生の発表の仕方がまずかったので、とんだとばっちりを受けたということだろう。
ほんとうに2000万円あれば安心できるのか、世間では3000万円という声が聞かれるが、というところから、この問題を追及しないといけない。このままでは、2000万円必要なのかという「不安」を引き起こすと同時に、2000万円確保すればなんとかなるという「間違った安心感」を定着させることにもなりかねない。
多くの野党の追及は、この点を外していた。彼らにも年金生活の「実感」がないのだろう。
国会の審議を全部見ているわけではないのだが、共産党の小池の追及が唯一的を射ていたと、私は思う。「2000万円では足りない、3600万円必要だ」というようなことを言った。予算配分の仕方を根本から帰る必要があると指摘していた。私の実感に近い。
私は年金生活者だが、何もなくても月々5万円は赤字になる。冠婚葬祭があったり(実際にあったのだが)、病気をしたり(これも実際にあったのだが、そして治療はつづいているのだが)、5万円ではとても足りない。さらに、マンションの修繕積立費が来月から1・5倍に上がる(5年後は2倍になる)というようなこともあり、退職金や預金はあっというまになくなりそうである。
これは年金支給額が減らない、物価が上昇しないということを前提にした上での感想である。物価が、安倍の目論見のように年に2パーセントもあがっていくなら、どこをどうきりつめていいか見当もつかない。
2000万円不足というのは、嘘に決まっている。嘘に決まっているけれど、その最低限の嘘を手がかりに、どうすれば2000万円を1000万円に、さらにはゼロにまで近づけることができるか。そういうことを考えないといけないのに、2000万円も確保できるはずがないという声にあわてふためいて、「表現の仕方を反省したい」というのは、その場しのぎのごまかしである。
さらに問題は、多くの人がすでに指摘しているが、月々5万円の赤字、トータルで2000万円資産が必要と言われた人は厚生年金を受給している人である。国民年金だけで暮らしている人を含んでいない。国民年金だけの人は、もっともっとたいへんである。国民年金に加入している人は「定年」のない人が多いかもしれないが、「定年」がないかといって働き続けられるとはかぎらない。健康の問題がある。
麻生は「表現反省」(表現の問題)というのだが、年金と老後に必要な資産は「表現(トリック)」ではなく「現実の金」である。「事実」である。表現なんかどうでもいい。「事実」から出発しなおす必要がある。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
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「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
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