詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

アスガー・ファルハディ監督「誰もがそれを知っている」(★★+★)

2019-06-03 22:43:52 | 映画

アスガー・ファルハディ監督「誰もがそれを知っている」(★★+★)

監督 アスガー・ファルハディ 出演 ペネロペ・クルス、ハビエル・バルデム、リカルド・ダリン、エドゥアルド・フェルナンデス、バルバラ・レニー

 謎解き映画というのは私は好きではない。途中で「答え」がわかってしまい、退屈になる。「良質(と言われる)」な映画ほど、「わかりやすい」。カメラが演技するからだ。「伏線」をカメラの「演技」で描き出すからだ。
 この映画では、リカルド・ダリンがアルゼンチンからやってきて、警官上がりの私立探偵(?)と会ったあとのシーン。ペネロペ・クルスと二人で車で村へ帰っていくのだが、このときの二人の乗った車のシーンが、他の映像と完全に違っている。走る車をただ映しているのではなく、誰かが後ろから追いかけている(尾行している)ときの、その視点でフレームができている。ほんとうに追跡しているかどうかは問題ではなく、誰かが「後ろ」から二人を追っている。それは「意識」だけかもしれないけれど。ということは、リカルド・ダリンと私立探偵を引き合わせた者(その会合のとき、そこにいたひと)の誰かが「犯人」ということになる。
 で、そのあとの展開は、ただただ「犯人隠し」のためのストーリーになる。こうなると、私の感覚では「映画」ではなく、「紙芝居」になってしまう。
 ただ、この映画には「推理」を越える隠し味があって、それが気に入って★をひとつ追加した。
 どういう「隠し味」かと言うと。「こどもは親の秘密を知る」「親はこどもの秘密を知る」ということ。これが二重に組み合わさっている。
 誘拐される娘の父親が、実は母親(ペネロペ・クルス)の昔の恋人(ハビエル・バルデム)だったというのは、安っぽいメロドラマみたいで「秘密」どころか、誰もが想像する通り。しかし、誘拐犯はペネロペ・クルスの兄と妹だったと、母親(ペネロペの母、つまり誘拐されたのは母親から見れば孫)が知ってしまうというのはなかなか「味」がある。その「真実」を母親はペネロペ・クルスには言うことができない。
 ペネロペ・クルスが娘に対して「あなたの父親はハビエル・バルデムだ」と言えないように、母親は「おまえの娘(つまり、孫)を誘拐したのは、おまえの兄と妹だ」と言えない。なぜ言えないか。娘を傷つけてしまうからだ。母親が気にかけているのは、いつも娘が傷つかないように、ということだけだ。
 だから。
 ほら、ペネロペ・クルスの妹が「誘拐犯」の一人であると気づいたとき(何か変だと気づいたとき)、母親は彼女を最後まで詰問することはない。わかっているけれど、どこかで追い詰めない。最後の最後のシーン。母親は息子を呼び止める。そして何か言おうとする。ここで「結論」を映さずに映画は終わるのだけれど、これはなかなかおもしろいなあ。母親にとって、娘というのは「分身」なのか。息子は「分身」とまでは言えないのか。そういうことを思ったりする。
 この映画には、また、もうひとつとても不思議な「味」がある。リカルド・ダリンがしきりに「神」を口にするのだが、この神が私にはスペイン人の言う神とはちょっと違うと感じた。妙に「個人的」というか、「直接的」に聞こえる。神と自分は直接、契約を結んでいる。それは「キリスト教」というより、「イスラム教」の信じ方に似ていると感じた。イスラム教と言っても、いろいろあるだろうから簡単にこんなことを書いてしまってはいけないのだろうが、ここにアスガー・ファルハディ監督の「イラン人」性のようなものが出ていると感じた。
 (KBCシネマ1、2019年06月03日)
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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(14)

2019-06-03 10:47:11 | 嵯峨信之/動詞
* (わたしの右)

(わたしの右)という詩を書いた女が
どんなに大きな世界を左に持つているかぼくは知らない

 しかし、「どんなに大きな世界を右に持つているか」も知っているとは言えないだろう。詩のことばが「右の世界」のすべてではない。むしろ「右」について書かれたことばに触れることで、「左」が「知らない」まま目の前にあらわれてきた。
 ただ「ない」ままなので、それは「無」、あるいは「死」と親和する形になる。

もし氷河が厚くそこまで迫つていたら
男たちはひとり残らず凍死して果てるだろう

 この展開は、とても自然だ。
 嵯峨はこのあと、連を変えて、ことばを独立させる。

それでも一つの唄は残る
あかあかと燃え落ちる一つの宝珠橋が

 「一つ」が繰り返される。それは「残る」、ただし「燃え落ちる(喪失する)」という形で。
 この「唄」と「宝珠橋」は、「右」と「左」を言いなおしたものであり、「右」と「左」は「ふたつ」ではなく「一つ」なのだ。「無」あるいは「死」の前では。
 この詩には書かれてはいないが「ある」という動詞が、この詩を支えている。



*

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すとうやすお「ひるげのあと」

2019-06-03 10:36:49 | 詩(雑誌・同人誌)
すとうやすお「ひるげのあと」(「践草詩舎」6、2019年04月15日発行)

 すとうやすお「ひるげのあと」はひらがなで書かれた詩。

すりへったたたみのうえに
たおれて
あおむけになる
どこまでも どこまでも
せなかはのびて
ちきゅうをひとまわりする

てんじょうのふしあなが
ぼくをにらむ
にらみかえすと
めだまはやねを わたぐもを
つきぬけて
そらのただなかをはしる はしる

 一連目が楽しい。
 「ちきゅうをひとまわりする」がとても自然に響いてくる。たぶん「どこまでも どこまでも」が「せなかがのびて」よりも先に書かれているからだ。「どこまでも どこまでも」には「動詞」がない。果てしない感じだけがある。まず「果てしない感じ」があって、そのあとで「せなかはのびて」と主語と動詞がやってきた。そして「ちきゅうをひとまわりする」とつながっていく。「ちきゅうをひとまわりする」は「どこまでも どこまでも」の言いなおしなのだ。
 二連目の「はしる はしる」の繰り返しも力強くて気持ちがいい。
 「ながぐつ」もいい。

ぬかるみにはまって
どろまみれ
そこいらのこっぱで
つちくれをけずる
すいどうすいをながして
たわしでこする
くろいはだがみえてくる
ぞうきんでふくと
つやつやひかる
なやのすみに
そろえておく
すると ひとりであるきだす

 長靴をきれいにする「手順」がそのまま描かれている。手抜きがない。だから「つやつやひかる」。途中で手を抜くと、こんな具合にはならない。「手を抜かない」ということが、大切にしているものと「一体」になるということなのだろう。「ひとりであるきだす」の「ひとりで」が楽しい。長靴が喜んでいる。








*

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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
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天皇とことば

2019-06-03 10:14:56 | 自民党憲法改正草案を読む
天皇とことば
             自民党憲法改正草案を読む/番外272(情報の読み方)

 2019年06月03日の読売新聞(西部版・14版)に興味深い記事が載っていた。愛知県で植樹祭が開かれた。そのときの天皇のことばに注目している。
 2社会面に、こういう見出し。

陛下「皆さんとご一緒に」/植樹祭 敬語で呼びかけ

 記事中には、こう書いてある。

 お言葉の冒頭、陛下は「皆さんとご一緒に植樹を行うことを慶ばしく思います」とあいさつされた。

 このことに関し、瀬畑源・成城大非常勤講師がコメントを寄せている。

「天皇陛下が『皆さんとご一緒に』と国民に敬語をつかわれたことに驚いた。陛下はこうしたていねいな表現を皇太子時代から使われているが、天皇の言葉としては過去にはなかったのではない。陛下は、国民の中に分け入るという考えを示されており、今回のお言葉も国民目線に立つという意識の強さを感じさせた」

 平成の天皇が築き上げた行動としての「象徴」を継承し、さらに発展させる姿勢が感じられるということだろう。

 ここで思い出すことがふたつある。この文章を読んでいる人に考えてもらいたいことがふたつある。
 平成の天皇が2016年のビデオメッセージのことば、いまの天皇が即位したときのことばを思い出してもらいたい。
 読売新聞も、瀬畑も今回の天皇の発言に驚いているが、驚くなら、平成の天皇のビデオメッセージのことばにこそ、もっと驚くべきである。
 そのなかで、天皇は

既に八〇を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、

 と「申す」ということばを使っている。
 私は「敬意表現」にうとい人間だが、この「申す」にはびっくりしてしまった。天皇がだれに対して「申す」と言っているのか。
 これは「敬意表現」ではなんと定義するのだろうか。
 私の感覚では、「目下」のものが「目上」の相手に対してはつかうが、「目上」のものが「目下」の相手に対しては、よほどのことがないかぎり使わないのではないか。
 天皇は、解釈の仕方はいろいろあるだろうが、日本ではいちばん「目上」のひと、それより上のひとはいないと考えられている人間だろう。こういう人間が「申す」ということばをつかったことに、私は驚いた。
 単に

既に八〇を越え、幸いに健康であるとは言え

 となぜ言わなかったのか。
 天皇のことばとして過去にこういう表現があったかどうか、瀬畑は詳しいようだから、聞けるならぜひ聞いてみたいとも思う。
 さらに、そのビデオメッセージでは、「考えられます」「思われます」「懸念されます」という「婉曲的」な表現が出てくる。「思います」「懸念します」で充分意味が通じるの、あえてつかいわけている。
 このことばの「乱れ」に、私は安倍との「交渉」(安倍からの「圧力」)があったと考えている。

 さらに、平成の天皇が退位する時の安倍のことば、新しい天皇が即位するときの天皇のことば、安倍のことばのなかの、「象徴」を定義する部分には、現行憲法のことばではなく、2012年の自民党改憲草案のなかにある、

日本国及び日本国民統合の象徴

 ということばがつかわれている。わずか二日間で三回も繰り返しつかわれている。私はここにも安倍の「圧力」を感じている。日本国憲法では

日本国の象徴であり日本国民統合の象徴

 という表現である。

 今回の植樹祭での天皇のことばが、「ご一緒に」と「ご」がついているだけで大騒ぎするなら、私が指摘している部分はもっともっと大騒ぎしていいはずである。

 安倍の「天皇の政治利用」は加速している。天皇のことばから、もう一度、それを見つめなおすべきだと思う。安倍批判を「ビデオメッセージ」のことばから、もう一度やり直すべきだと思う。
 今回の天皇の「敬語表現」は、そのきっかけになる。
 新天皇の「象徴としての務め」と安倍の「政治利用できる天皇(天皇の政治利用)」の「戦い」がはじまったのだと思う。

 (ビデオメッセージのことばを中心に、平成の天皇と安倍との「交渉」を「天皇の悲鳴」という本にまとめています。ブログで書いたことを整理したものです。ぜひ、ご一読ください。一般書店では販売していません。オンデマンド出版です。下記のURL をクリックして、注文してください。https://www.seichoku.com/user _data/booksale.php?id=168072977)






#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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