私の胸は小さすぎる 恋愛詩ベスト96 (集英社文庫) | |
谷川 俊太郎 | |
集英社 |
谷川俊太郎『私の胸は小さすぎる』は恋愛詩アンソロジー。過去の九十五篇に新作が一篇。新作詩は「あなたの私」。
あなたが傍にいるとき
暖かい指に目隠しされて
私にはあなたが見えなかった
あなたの息を耳たぶに感じるだけで
あなたが体を離したとき
かすかな風がふたりを隔てて
私からコトバが生まれた
生まれたての生きもののような
あなたが出て行ったあと
どこにいるの何をしているの
私はもう問いかけずにいられない
あなたの幻に向かって
あなたの裸を想うとき
歓びに飢え 幸せに渇き
恋にひそむ愛に怯え
あなたの私を私は抱きしめる
時間の変化が距離の変化として書かれている。
一連目は「あなた」と出会ったとき。「傍ら」は「指に目隠しされて」と言いなおされている。肉体が接触している。「あなたが見えなかった」けれど「感じる」ことができた。あなたは「指」であると同時に「息」である。この息には形容詞はついていないが「暖かい」が隠されている。
二連目で肉体が離れる。「あなたが体を離したとき」、私は肉体が接触していたことを思い出す。肉体ではないものが動く。「風」は、そうした動きの比喩であり、「コトバ」と言いなおされる。
三連目では、距離はいっそう拡大する。もう肉体は接触しない。「傍」よりもはるか遠くに行ってしまった。「感じる」ことができない。そのとき「コトバ」は「問い」になる。「問い」は「幻に向かって」動く。
四連目。「コトバ」はもう問わない。ことばをつかわずに、ただ「想う」。離れてしまった距離ではなく、「過去」の時間を想う。そのとき「距離」は消える。消えるけれど、あなたの「肉体」に触れることはできない。だから「飢え」、「渇き」、「怯える」。あなたが私を抱きしめたとき、その「とき」を想いながら私は私を抱く。それは「とき」そのものを抱きしめるということか。
ということを、私は読みながら感じたが、感じたことが「正しい」か「間違っている」かは、どうでもいいことのように思える。「感じる」こと、が大切なのだろう。
感じたことは、ことばになるものもあれば、ことばにならないこともある。感じたことを書いたつもりなのに、だんだん感じたこととは違うことを書いてしまったと後悔したりする。
ことばはわがままな生き物で、感じたことをことばに託そうとしても言うことを聞いてくれない。私のことばであるはずなのに、私のことばではない。
ということも、たぶん、どうでもいい。
何かまとまったこと(結論?)を言おうとしても、それはあまり意味があることではない。むしろ、ここに書かれていることばから「結論」を引き出してはいけないのだろう。私はここが好き、ここはよくわからない。けれど気になる。あとでわかるときが来るかもしれない。あとで思い出すことがあるかもしれない、とぼんやりと谷川のことばといっしょにいるだけでいいのだろう。
恋愛は、しているときは、夢中で何が起きているかわからない。あとで、あれはこういうことだったんだなあ、と想う。自分のことも、相手のことも。そんなふうに、谷川のことばを通して、ある瞬間を思い出し、そのことばといっしょに生きることができれば、それでいい。
谷川は谷川の恋愛を書いているのだろうけれど、それが自分の恋愛として思い出してしまう。
で。
思い切って、こんなことを書いておく。
私は二連目が好きだ。特に「私からコトバが生まれた/生まれたての生きもののような」という二行が好きだ。「生まれたての生きもの」という比喩が生々しい。まだ「かたち」がない、というと変かもしれないが、「かたち」よりも「生まれたて」のあたたかさそのものを感じる。
そして、その感じは奇妙なことに「体を離した」「ふたりを隔て」たということとは何か相いれないものを持っている。「体を離した」「ふたりを隔て」たというのは、ある意味では恋愛のピークを過ぎて、別れのはじまりを予感させるが、そういうときにも新しい「いのち」が生まれてくる。生まれてきてしまうという生々しい「事実」の瞬間を感じる。
こういうことは、恋愛の最中は、予感として感じてもことばにはしないだろうなあ。
でも、恋愛が終わったら、きっと書かずにはいられないことなのだ。
そしてそれは、谷川が書きたいことなのか、私が書きたいことなのか(谷川が書いたことなのだけれど)、あるいはことば自身が書きたいことなのか、とか。
私はいろいろい思うのである。
「評価」でも、「意味」でもなく、むしろそういうものにならないものを、私はただ書き留めておきたいと思う。詩の感想として。
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