詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(21)

2019-06-10 11:01:55 | 嵯峨信之/動詞

* (水の渦巻を)

水の渦巻を解こうとしても
解いたものはだれもいない
ひたすら時の要素のなかへほどけている

 「解く」と「ほどける」。「ほどく」ではなく「ほどけている」。
 それは「答え」なのか、あるいは「答え」のあり方なのか。
 「ほどかれている」と読み直したい。「解こうとする」から「解けない」。そのままにしておけば、自然に「ほどかれて」、それはどこかへ消えていく。
 「ほどけている」よりも「ひたすら」の方にことばの重心があるのかもしれない。とどまることなく、「ひたすら」ほどかれたものが去っていく。

もしぼくがすべての時から解き放たれるなら
言葉からもぼくはたち去るだろう





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメールでも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミキ・デザキ監督「主戦場」(追加)

2019-06-10 07:41:26 | 映画
ミキ・デザキ監督「主戦場」(追加)

監督 ミキ・デザキ

 きのう書いた感想では書き切れなかったものがある。追加で書いておく。

 この映画でいちばんの疑問点は、「慰安婦はいなかった」(慰安婦問題は存在しない)と主張する杉田水脈らの論理が非常に「人種差別的」であるのに、彼らが平然とそれを語っていることである。そしてまた、映画が公開され、人気を呼ぶと、彼らが「だまされた」「レッテル張りだ」と映画公開に対して抗議し、映画の上映の中止を求めたことである。いつも主張していることを、いつもどおりに語っている(と、私には思える)。それが「自身たっぷり」の表情になってあらわれている。どうして映画を批判するのかわからない。
 この疑問を解く「カギ」はサラリと描かれている安倍の姿である。安倍が政権を握ってから人種差別的な発言が横行するようになった。杉田は「中国や韓国には日本を上回る技術を開発する能力はない」と断言しているが、スマートフォンは中国、韓国製の方が日本製よりはるかに売れている。それを見るだけでも、杉田が事実とは違うことを言っていることがわかるが、こうした杉田のような発言は、安倍の登場と同時に加速した。
 なぜ、こういうことが平気でできるのか。
 アメリカが世界戦略の一貫として安倍を支えているからだ。アメリカは安倍を必要としている。その安倍におもねって発言していれば、安倍に重用される。そうわかっているからだ。きのう書いたが、杉田らはまた「政治的人間」なのである。「人間関係(人に好かれるかどうか)」だけを頼りに発言しているのだ。
 逆に見ていけばいいだろうか。映画のなかで紹介されている「河野談話」を発表した河野は、首相をつとめていない。背景に複雑な政党間の動きがあるのだが、きっとアメリカの思惑もからんでいる。政権がめまぐるしく交代したが、アメリカが「理想の首相」を見出せずに、方針がきまらなかったということだろう。(途中で、小沢の「追放」ということが起きる。この点については、「不思議なクニの憲法」という映画のなかで、孫崎享が克明に語ってる。アメリカが画策したのである。)
 このだれとだれがいつからいつまで首相だったか、資料を見ないといえないくらいの首相交代は、第二次安倍政権の成立と共に終わる。一気に、「長期政権」の時代に変わる。そのとき「河野談話」の「見直し」ということが、するりと滑り込んできている。言い換えると、河野談話から、講和談話見直しまでの期間が、目まぐるしく政権が交代した時期なのである。(第一次安倍政権のときは、「見直し」はしていない。)映画には描かれていないが、その間の首相と河野談話の「評価」を併記してみると、この問題の「本質」が見えてくる。
 そして、河野談話の「見直し」ということにあわせて、2015年に「日韓合意(慰安婦合意?)」が成立している。「金を払って決着」というところを「妥協点」にしようとした。このことは映画にも描かれ、この「日韓合意」がアメリカの世界戦略の一貫だったと説明されている。日韓対立がつづいていては、極東におけるアメリカの戦略(軍事的安定)が成立しないからだ。アメリカの世界戦略を有効にするために、「日韓合意」が締結させられたのである。これに対して、韓国国内から激しい批判が起きた。「人権」が「金」でかってに処理されたからだ。一方日本では「金をもらって決着したのに、なぜ、問題をぶりかえすのか」という論理が展開された。「人権」問題は金で解決できることではないのに……。
 この「日韓合意」は、アメリカにとって重要な「合意」手ある。極東の「安定(アメリカの望む安定)」には「日韓」の「協力」と日本の「軍備」が重要である。「日韓の協力」というよりも、日本の軍備強化という点で、安倍の思想とアメリカの戦略は「一致」した。アメリカにとって安倍の「理想」は好都合だった。安倍はどんどん軍備を強化する。武器の調達はアメリカからである。アメリカの軍需産業は潤う。アメリカの軍需産業は、アメリカ大統領を支える。アメリカは安倍を手離さない。「政治的人間」である杉田らは、それを見抜き、安倍にすり寄っている。安倍がアメリカに媚びへつらっているのと同じである。媚びへつらっているかぎり、「政権」の「うまみ」を独占できる。安倍がアメリカが「味方」してくれているから、いつまでも首相でいられると思っているように、杉田らは安倍にすり寄っていればいつまでも社会から重宝されると思っているのだ。
 日本は「政治」で動いている国なので、アメリカは簡単に支配できる。けれども韓国は「思想の国」である。同じようには支配できない。だから「慰安婦問題」が再燃する。アメリカの「人権派の思想」がそれに同調する。もちろん、「慰安婦問題はなかった」という主張も、それにあわせて展開されるが。
 つまり、「人権」か「国際戦略」か、という攻防がアメリカの内部にもあり、それが日本にも反映されてきている。日本のなかにある問題がアメリカに反映しているということではない。韓国は被害者なので、一貫して「慰安婦問題」を訴えることができる。
 そして日本のなかに存在する「人種差別」意識が、アメリカが安倍を支えているということを利用する形で拡大した。ヘイトスピーチが横行し始めたのは第二次安倍政権以後であることが、それを裏付けている。「日本会議」や「靖国神社」が、それを利用している。

 「慰安婦問題」は「日韓問題」ではない。「人権問題」でもない。むしろ「アメリカの世界戦略問題」である、という視点から考え直さないと、「和解」にはたどりつけないだろうと教えてくれる映画だ。
 (KBCシネマ1、2019年06月08日)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする