藤井道人監督「新聞記者」(★★)
監督 藤井道人 出演 シム・ウンギョン、松坂桃李
「話題」になっているらしいが、あまりにも予想通りのつまらなさでがっかりしてしまった。
テーマは「ジャーナリズムと民主主義」ということになるのだろうが、ジャーナリズム、民主主義、そして政治に共通するのは「ことば」である。「事実」をことばで、どう表現するか。表現が成立したその瞬間、「事実」は「真実」にかわる。こういう「ことばのドラマ」、「ことば」の対立と動きを映画で描くことはなかなかむずかしい。「ことば」は映像になりにくいからね。そのむずかしさと、映画はどう向き合っているか。最初から向き合うことを投げ出している。
悪役(?)の官僚が「国と民主主義を守る」と言うが、その「ことば」のなかにしか「民主主義」は出てこない。聞き漏らしたのかもしれないが、主役の新聞記者は「民主主義」ということばを語らない。さらに「政治家」が登場しない。官僚の陰に隠れている。「上」という比喩(ことば)でしか登場しない。つまり、ジャーナリズムのことばと政治家のことばが対立し、そのなかから「事実」があぶり出され、「真実」にかわっていくという展開がない。
これではねえ。
いくら「獣医大学」だの、「レイプ事件の容疑者を逮捕しなかった」だの、「官僚をスキャンダルで追い落とす」だのということが描かれても、安倍にとっては、痛くもかゆくもない。単に「娯楽映画」に終わっているし、(なんといっても「獣医学部」は生物兵器?をつくるための研究機関という設定では、日本で起きたこととはあまりにも違いすぎるし)、「悪いのは官僚」という安倍の「官僚切り捨て」作戦の追認で片がついてしまう。「政治家(安倍)がそれを指示したという証拠」はどこにもなく、官僚が「忖度」し、かってにやったことですんでしまう。
私が安倍なら、大喜びするだろうなあ。「ほら、悪いのは官僚。私(安倍)は、どこにも関与していないだろう? だれも私(安倍)から指示されたとは言っていないだろう?」これでは安倍は「無実」だという宣伝映画である。
こんな映画でジャーナリズムを描いたとか、政治(の暗部)を描いたとか、よく言う気になるなあ。
私たちはもっと「ことば」を鍛えないといけない、ということだけは教えられる。
日本にあふれているのは、この映画の中に出てきた「ツイッター」のたかだか140字の「罵詈雑言」であって、「論理を積み立てていくことば」ではない。民主主義とは無関係の「ことば」だ。「民主主義」とは「多数決」(多いものが正しい)ではなく、対立点をどこまでもどこまでも「ことば」で語り尽くすことだという意識が完全に欠落している。
だいたいが安倍のやっている政治というのは、「安倍晋三記念小学校」という名前の学校をつくってくれるひとを優遇するとか、「息子が獣医になりたいといっているから、そのために大学を造りたい」という友人の手助けするとか、「国家」のあり方とはぜんぜん関係のない単なる「人事」だ。自分がうれしい、相手も喜ぶ、よかったよかった、という金を使ったお遊びにすぎない。これが高じて、武器を大量購入すればトランプが喜んでくれる、軍隊を指揮するチャンスもやってくる(なんとしても軍隊を指揮して戦争をしてみたい)という自己満足のための「金遣い遊び」にすぎない。
官僚を描くなら描くでいいのだが、その官僚を突き破り、安倍にまで「ことば」をぶつけないと映画にはならないのだ。
こういう映画、アメリカでは必ずと言っていいほど実際の大統領が映像で登場する。安倍、あるいは菅の実際の映像を組み込まないことには、「政治映画」としては完全な失敗。前川元次官とか、望月記者とか、そういう人はタイトルバックで補足的に登場すればいいのであって、狂言回しとして登場しても、ばからしくて見ていられない。
あ、書き忘れたことがひとつ。主人公は「自分を信じ、疑え」(だったかな?)ということばを父から教えられたことばとして大切にしている。この「ことば」を私なりに言いなおすと、「自分のことばの動きを信じ、他人のことばを疑え(嘘か真実かを確かめろ)」ということだと思う。主人公は「事実/真実」はなんだろうとは思うが、他人の言ったことばの嘘(ここが矛盾している)ということを突き詰める形でことばを動かしていない。これも、この映画を非常に弱いものにしている。
安倍はこう言っているが、自分の知っていることをことばにして言いなおすと、安倍の言っていることが信じられない。間違っているのじゃないか。たとえば「100年安心年金」というけれど、年金だけだと毎月5万円も赤字になる。貯金がなくなってしまったら、私の老後はどうなる? 安倍は年金を増額してくれるのか。
自分の知っていることを、自分でことばにする。そこから民主主義が始まる、と私は信じている。
(ユナイテッドシネマ・キャナルシティ、スクリーン2、2019年06月30日)
監督 藤井道人 出演 シム・ウンギョン、松坂桃李
「話題」になっているらしいが、あまりにも予想通りのつまらなさでがっかりしてしまった。
テーマは「ジャーナリズムと民主主義」ということになるのだろうが、ジャーナリズム、民主主義、そして政治に共通するのは「ことば」である。「事実」をことばで、どう表現するか。表現が成立したその瞬間、「事実」は「真実」にかわる。こういう「ことばのドラマ」、「ことば」の対立と動きを映画で描くことはなかなかむずかしい。「ことば」は映像になりにくいからね。そのむずかしさと、映画はどう向き合っているか。最初から向き合うことを投げ出している。
悪役(?)の官僚が「国と民主主義を守る」と言うが、その「ことば」のなかにしか「民主主義」は出てこない。聞き漏らしたのかもしれないが、主役の新聞記者は「民主主義」ということばを語らない。さらに「政治家」が登場しない。官僚の陰に隠れている。「上」という比喩(ことば)でしか登場しない。つまり、ジャーナリズムのことばと政治家のことばが対立し、そのなかから「事実」があぶり出され、「真実」にかわっていくという展開がない。
これではねえ。
いくら「獣医大学」だの、「レイプ事件の容疑者を逮捕しなかった」だの、「官僚をスキャンダルで追い落とす」だのということが描かれても、安倍にとっては、痛くもかゆくもない。単に「娯楽映画」に終わっているし、(なんといっても「獣医学部」は生物兵器?をつくるための研究機関という設定では、日本で起きたこととはあまりにも違いすぎるし)、「悪いのは官僚」という安倍の「官僚切り捨て」作戦の追認で片がついてしまう。「政治家(安倍)がそれを指示したという証拠」はどこにもなく、官僚が「忖度」し、かってにやったことですんでしまう。
私が安倍なら、大喜びするだろうなあ。「ほら、悪いのは官僚。私(安倍)は、どこにも関与していないだろう? だれも私(安倍)から指示されたとは言っていないだろう?」これでは安倍は「無実」だという宣伝映画である。
こんな映画でジャーナリズムを描いたとか、政治(の暗部)を描いたとか、よく言う気になるなあ。
私たちはもっと「ことば」を鍛えないといけない、ということだけは教えられる。
日本にあふれているのは、この映画の中に出てきた「ツイッター」のたかだか140字の「罵詈雑言」であって、「論理を積み立てていくことば」ではない。民主主義とは無関係の「ことば」だ。「民主主義」とは「多数決」(多いものが正しい)ではなく、対立点をどこまでもどこまでも「ことば」で語り尽くすことだという意識が完全に欠落している。
だいたいが安倍のやっている政治というのは、「安倍晋三記念小学校」という名前の学校をつくってくれるひとを優遇するとか、「息子が獣医になりたいといっているから、そのために大学を造りたい」という友人の手助けするとか、「国家」のあり方とはぜんぜん関係のない単なる「人事」だ。自分がうれしい、相手も喜ぶ、よかったよかった、という金を使ったお遊びにすぎない。これが高じて、武器を大量購入すればトランプが喜んでくれる、軍隊を指揮するチャンスもやってくる(なんとしても軍隊を指揮して戦争をしてみたい)という自己満足のための「金遣い遊び」にすぎない。
官僚を描くなら描くでいいのだが、その官僚を突き破り、安倍にまで「ことば」をぶつけないと映画にはならないのだ。
こういう映画、アメリカでは必ずと言っていいほど実際の大統領が映像で登場する。安倍、あるいは菅の実際の映像を組み込まないことには、「政治映画」としては完全な失敗。前川元次官とか、望月記者とか、そういう人はタイトルバックで補足的に登場すればいいのであって、狂言回しとして登場しても、ばからしくて見ていられない。
あ、書き忘れたことがひとつ。主人公は「自分を信じ、疑え」(だったかな?)ということばを父から教えられたことばとして大切にしている。この「ことば」を私なりに言いなおすと、「自分のことばの動きを信じ、他人のことばを疑え(嘘か真実かを確かめろ)」ということだと思う。主人公は「事実/真実」はなんだろうとは思うが、他人の言ったことばの嘘(ここが矛盾している)ということを突き詰める形でことばを動かしていない。これも、この映画を非常に弱いものにしている。
安倍はこう言っているが、自分の知っていることをことばにして言いなおすと、安倍の言っていることが信じられない。間違っているのじゃないか。たとえば「100年安心年金」というけれど、年金だけだと毎月5万円も赤字になる。貯金がなくなってしまったら、私の老後はどうなる? 安倍は年金を増額してくれるのか。
自分の知っていることを、自分でことばにする。そこから民主主義が始まる、と私は信じている。
(ユナイテッドシネマ・キャナルシティ、スクリーン2、2019年06月30日)