詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(12)

2019-06-01 08:06:30 | 嵯峨信之/動詞
* (人を愛するとは)

人を愛するとは
どこにもない泉を知ろうとすることだ
光る水面とぼくの影のゆらめきのなかにただ一言を聞くことだ

 「人を愛することは」ではなく「人を愛するとは」。そして、それを受けることばは「知ろうとすることだ」「聞くことだ」。
 「こと」ということばが差し挟まれている。
 「愛する」は動詞。「こと」は名詞。動いているものを固定化しようとする。この困難さというか、矛盾のような「齟齬」は「遠い」と言いなおされる。

しかしどこまで行つてもその泉は遠い

 「ない」ものに、「遠い」「近い」の差はない。けれど嵯峨は「遠い」と呼ぶ。愛するときだけ「遠い」ものが近づいてくる。動詞のなかにだけ、やってくる。
 それは「こと」と呼べるもの、「名詞」ではない。

 「その泉」の「その」も動詞の一種かもしれない。指し示す動きがある。「愛する」もある対象に向けての動きである。


















*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメールでも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡辺玄英『星の(半減期』(2)

2019-06-01 07:57:13 | 詩集
渡辺玄英『星の(半減期』(2)(思潮社、2019年04月25日発行)

 渡辺玄英『星の(半減期』を読んで、何が「残る」か。丸括弧が閉じられずに、ことばが動いていた。「見せ消ち」があった。そういう記憶が残る。「逆」ということば、向き合ってるふたつのものが、向き合うことでしか存在し得ないという「哲学」のようなものが残る。
 私の感想は、あまりに具体的か、あるいはあまりに抽象的だ。どうしても書きたいという何かがないからだ。
 それでも、書いてみる。私のことばが、渡辺の詩と向き合ったときに、どこまで動くものか、それを確かめるために。
 「逆さまの空」という作品。「さかさま」と読むのだろうが、「逆さま」のなかに「逆」という文字がある。「逆/さかさま」と呼ぶときに、ことばによって呼び出されるものが、渡辺の詩のなかにある。

はじめから空はなかった
見えるのは逆さまのソラだけ
逆さまのソラの下には はじめから
いないわたしたちは(トリとか(花とか
かわいいってそれだけで(コーテイもヒテイもない
(もうすぐ終わる(授業は
二時間目(いつもヒコーキがとぶからわかる
あとはいつもいっしょ

 「空はなかった/見えるのは逆さまのソラ」という対句は「逆さま」という「認識」のあり方だけを「存在」と認定しているようだ。この「哲学」は「コーテイもヒテイもない」という形で反芻される。このとき重要なのは「もの」ではなく、あくまでも「認識」である。それが証拠に(?)、「(トリとか(花とか」ということばが指し示すのは、具体的な一羽の鳥、一輪の(一本の)花ではない。色も形もない「概念だ」。あるいは「かわいい」というような瞬間的感覚の反射だ。「制度」を破るように見えるが、破った試験管に「制度化」されてしまう感覚の反応だ。
 で、先を読んでいくと。

「学校は監獄とおなじだ」と先生がいってた
「産業革命の後、学校も病院も軍隊も監獄も同じ時代にあらわれる」

 と、フーコーが言いそうな(私は読んでいないので、テキトウに書くのだが)、ことばが出てくる。そして、それはすぐに

きんだいというおじさんはまっちょだった(らしい

 とはぐらかされるのだが。これは感覚的反射の一種だ。ここには「哲学を否定する哲学」がある。肉体反応の「肯定」がある。
 「フーコー的(?)歴史認識」はあくまで「認識」というファッションである。「認識」というものが「ある」ということを示すだけで、それ以上は関与しない。肉体反応もまた制度化されたファッし言ってある。ふたつは「逆」を装い、「対」を装う。その「裂け目」に詩があると言うのかもしれないが。
 
 もう一篇。「窓に(セカイが流れて」を読んでみる。

女子高生が雨に打たれて(うつむいて(い
ぼくは音楽を聴いている(窓のこちらで
音符は光になって舞ってい(る

 冒頭の三行だが、一行目の末尾の「(い」と三行目の末尾の「(る」の呼応が楽しく、そのあいだ(裂け目)に「ぼく」と「音楽」が入って、そこから世界を反転させる(乱反射させる)仕組みになっている。
 この構造は二連目で、こう言いなおされる。

窓にうつる自分の
顔(顔が
左右反転のその向こうに(流れていく
街かどがさかさまの逆になっていて
(おそらく時間も光も逆に向かっている
女子高生のまわりを雨粒が(くるくるまわりなが(ら(下から上へ
くるくるまわるこの世界は逆のまたさかさまで
彼女から見るとぼくはぼくでぼくではない

 「さかさまの逆」「逆のまたさかさま」については、もう書かない。「左右反転」も「その向こう」もあらかじめ決められた運動であって、特に必然があるわけではない。必然ではないところが必然だと言うかもしれないが。
 私がこの部分で驚いたのは「窓にうつる自分の」という表現である。
 なぜ「窓にうつるぼくの」ではないのか。
 この詩の中で「自分」という表現は一回だけあらわれる。ほかは「ぼく」である。(途中で「わたし」ということばが交錯するように出てくるが。)
 で、思ったのが。
 これは「書き間違い」だね。「ぼく」と書くはずが、知らず知らずに「自分」と書いてしまって、読み返してもそれに気がつかなかった。つまり「無意識のぼく」。だから「書き間違い」だけれど、「ほんとう」。知らずに書いてしまったのだ。「本能」が書いてしまったのだ。
 渡辺のことばは軽く疾走してゆく。その疾走の軽さは「自意識」とは無縁に思えるが、実は強い強い自意識が根底にあって、その反動で「ぼく」が軽く浮き上がるのだ。
 渡辺は、「そうではない」と否定するかもしれないけれどね。そして、その「証拠」として「いちばん弱い時間にまねかれている」をあげるかもしれない。

自分の文字で書かれた
憶えていない手紙が
ある日とどけられる
(記憶にない記憶が
噛みあわない(時間 とここにあるものと
予告なしに猫の影だけが(目の前を
通りすぎていく

 冒頭には出てこない「ぼく」が出てくるからね。でも、その「ぼく」は、

いつものあなたですか(ぼくですか

 と「あなた」ということばにひっぱりだされた「ぼく」。「あなた」ということばを書かなければ登場しなかった「ぼく」。
 それを考えると、この作品の冒頭の「自分」も、重たい「自意識」と言えるだろうなあ。
 理屈(論理?)というのは、私が書いているものを含め、すべて「後出しジャンケン」である。どうとでも捏造できる。アテにはできない。信じてはいけない。
 だからむしろ、直感のままに、私はこう書きたい。
 渡辺のことばは、方向転換し「重たい自意識」の内部を掘り下げた方が「正直」が出てくる。開かれた丸括弧は、私から見ると、単なる「記号」だ。私は「記号」ではなく、「ことば」を読みたい。






*

「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。



「詩はどこにあるか」2019年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168075286


オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする