雑草詩篇 Ⅱ
* (曙はその銀色の)
一行目の銀色は想像を裏切るが、二行目の雪によって「現実」になる。この「なる」を「ある」と言いなおして、三行目は書かれている、と私は読む。
「或る」ではなく「在る」。
「在る」と「現われる」が同時に書かれることは、「学校文法」からみれば「間違い」である。「学校文法」的には「あるひとつの世界」として「現われる」ということになるが、それでは「弱い」。「論理的」すぎてつまらない。「現われた世界が、在る」とことばを倒置させて読むのでもなく、いま「在る」世界が「在るという姿」そのままに「あらわれる」。むき出しの「在る」を体験するのだ。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメールでも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
* (曙はその銀色の)
曙はその銀色のターバンをはずして
雪の沈黙の中から
今日 ある世界として現われる
一行目の銀色は想像を裏切るが、二行目の雪によって「現実」になる。この「なる」を「ある」と言いなおして、三行目は書かれている、と私は読む。
「或る」ではなく「在る」。
「在る」と「現われる」が同時に書かれることは、「学校文法」からみれば「間違い」である。「学校文法」的には「あるひとつの世界」として「現われる」ということになるが、それでは「弱い」。「論理的」すぎてつまらない。「現われた世界が、在る」とことばを倒置させて読むのでもなく、いま「在る」世界が「在るという姿」そのままに「あらわれる」。むき出しの「在る」を体験するのだ。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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