谷川俊太郎の世界(6)(朝日カルチャーセンター(福岡)、2019年06月03日)
「みち」「やめます」「まだうまれないこども」の三篇を読んだ。参加者は、池田清子、香月ハルカ、井本美彩子、青柳俊哉、萩尾ひとみと私(谷内修三)。まず「まだうまれないこども」をどう読んだかを紹介する。
私は、いっしょにこの詩を読んだ女性から、とても大事なことを教えられた。頭をガツンと殴られた。目が覚めた。
--どんな印象を持ちました?
「おだやかな、とがったところのない詩ですね」
「自分のおなかのなかにこどもがいたときのことを思い出した」
「読むと妊娠しているお母さんの姿が浮かんできますね。でも詩のタイトルとは、うまれないこども、というのがおもしろい」
--この詩では、こどもと母親がずーっと対比される形で書かれているけれど、ここは少し変かな、というところはありませんか?
「三連目の、みじろぎするという動きが、引いている感じ。まどろんでいるや、ほほえんでいると少し違う。でも、それを母が信じきっているというのがいいなあ」
--引いている、というのはどういうことですか? もう少しつけ加えてもらえますか? みじろぎと引いているの感じが、よくわからないのだけれど。
「こどもが、まだうまれたくない、と言っている。それを受け止めている」
--あ、そうなんだ。私は単純に赤ん坊がおなかのなかで蹴っていると思ったのだけれど。みなさん、どうです?
「みじろぎ、って動いているということですよね」
「いまの感想を聞いて、ふに落ちたんだけれど、最初に読んだとき、最後のいのちをしんじきってが、よくわからなかった」
「幸せな親子を単純に描いているのかな。もっとウラというと変だけれど、違うことを書いているのかも、とも」
--あ、そうですか? 私は単純に幸福な姿を美しく描いていると思ったのだけれど。
「最後の、信じきって、が気になる」
--少し視点を変えましょうか。この詩は三蓮からできていて、こども、ハハが繰り返しか書かれているんだけれど。井本さん、外国人に日本語を教えていますよね。外国人に日本語を教えるという立場から見ると、この詩に、変なところはありません?
「まだうまれないこども、という言い方かな」
--助詞のつかい方で気になることはありませんか? 一連目、まだうまれないこども「は」、ハハ「は」と主語の助詞が「は」になってますね。二連目も、こども「は」、ハハ「は」ですね。でも三連目だけ、こども「が」、ハハ「は」になっている。どうして三連目だけ、こども「が」にしたんだろう。
「あ、そうですねえ」
--「は」でも意味は同じですよね。「は」でそろえた方が、全体の統一感がある。なぜ「が」にしたんだろう。
「一連目、二連目は、ハハは起きているけれど、三連目ではハハは眠っていますね」
「三連目だけ、こどもが起きている。ハハは眠っているけれど」
--あ、なるほど。でも、そういうときは、日本語の助詞の使い方としては、ふつうは、変わっている部分を強調するとりたての助詞「は」をつかう。ほかの部分は「が」をつかうんじゃないかな?
「気がつかなかったなあ」
--谷川が意識して書いているか、無意識に「が」にしたのかわからないけれど、私は意識的に変えていると思う。そういう意味で、この「が」がキーワードだと思っています。それで、このことについて語り合えたらいいなと思う。
「私も、ここだけ「が」になっているのが気になりました」
「まどろんだり、ほほえんだりということではなく、ここだけ身じろぎすると、はっきりしたうごきがあるからかな」
「うごきが、ここだけ大きくなっている。それを強調している」
--そういう意味では、実際、もうすぐうまれてくる感じなのかな? 力強くなっているのかな。
「ほほえんだり、まどろんだりはお母さんにはわからないけれど、身じろぎはわかる」
「動くのはけっこう早くからわかりますね」
--ハハの描写で言うと、一連目はうみをみつめると具体的だけれど、二連目のきょうをたしかめながらはとても抽象的ですね。この「きょう」はほかのことばでいうと何になります?
「いきていることをたしかめる」
「いのち? いのちをたしかめながらに通じる」
--そうすると二連目の「きょう」は「いのち」と言い換えられるし、三連目の「いのち」は「きょう」と言い換えることもできそうですね。それで、全体が融合し、落ちついた感じがすごくするのだと私は思うのだけれど。
それから、三連目の「ハハはねむっている/いのちをしんじきって」は、普通に読むと「ハハはいのちをしんじきってねむっている」ということなのだと思うけれど、私はちょっと赤ん坊がいのちをしんじきってみじろぎする、ということも感じる。それで、いのちをしんじきるということばのなかでこどもとハハが一体になっている、という幸福感を感じる。
それから不思議なことは、この詩はハハはと客観的に書かれているのでハハではない人が書いたと受け取れるけれど、ハハ自身が自分のことをハハと客観視して書いたとも読めますね。私はどちらかというと谷川が書いたというよりも、あるハハが自分のことを書いた詩と受け止めて読む。
でも、これは谷川が書いた。そのとき一番不思議なのは、谷川は自分自身ではハハの体験をしていないのに、まるでハハのように書ける。
で、私はいつも思うのは、谷川は非常に耳の言い人で、他人の話を聞いて、それをそのまま自分の声としてことばにすることができるということ。七色の声、七変化の声という気がする。
「よく聞いているのだと思う」
「でも、まだうまれないこどもという表現は不思議。うまれてくるこども、とは言うけれど」
「そうだよね、ふつうはうまれてくるこどもというね」
「うまれないこどもには違和感がある」
「そうだよね。だから、詩に、なんとういかネガティブなものを感じる」
「思っちゃいけないけど、もしかすると、このままうまれないのかも、とか」
--あ、そうか。最後のぎょうが気になるというのは、そういうことだったんですね。井本さんの指摘も、そういうことだったんですね。びっくりしました。やっぱり、性別も年齢も違うひとといっしょに詩を読むというのは、驚きがあるなあ。言われてみて、初めて気がつきました。たしかに、自分の体のなかに赤ちゃんがいて、そのこどものことを「まだうまれない」とは言えないだろうなあ。
「もうすぐうまれてくるこども、っていいますね。女はね」
「男性から見ると、こういう表現はそれほど不自然じゃない、ということですか」
--私は不自然とは感じなかった。
また谷川は、よく「未生」ということばをつかう。まだうまれない、というのは谷川にとっては、ふつうに使うことばであって、それがそのまま無意識に出たということだと思う。
でもたしかに「まだうまれない」というは、「外」からの見方であって、妊娠している女性はそんなふうには言わないというのはよくわかります。
私は、肉体感覚として「これからうまれてくる」という感じを知らないので、「まだうまれない」とは違和感を感じなかった。
逆に言えば、もし女性が谷川の篠なかに「未生」ということばを読んだとき、なぜ未生なのかと思うかもしれませんね。
きょうは皆さんに勉強させていただきました。ありがとうございます、と言いたいです。
6月17日は、詩の創作。自作の詩(20行以内)を持ち寄り、感想を語り合います。
飛び入りで参加したい方は、朝日カルチャーセンター(福岡)へお申し込みください。電話092・431・7751
*
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
「みち」「やめます」「まだうまれないこども」の三篇を読んだ。参加者は、池田清子、香月ハルカ、井本美彩子、青柳俊哉、萩尾ひとみと私(谷内修三)。まず「まだうまれないこども」をどう読んだかを紹介する。
私は、いっしょにこの詩を読んだ女性から、とても大事なことを教えられた。頭をガツンと殴られた。目が覚めた。
まだうまれないこどもは
ハハのおなかのなかで
まどろんでいる
ハハはすなのうえにたって
うみをみつめている
まだうまれないこどもは
ハハのおなかのなかで
ほほえんでいる
ハハはさかみちをのぼる
きょうをたしかめながら
まだうまれないこどもが
ハハのおなかのなかで
みじろぎする
ハハはねむっている
いのちをしんじきって
--どんな印象を持ちました?
「おだやかな、とがったところのない詩ですね」
「自分のおなかのなかにこどもがいたときのことを思い出した」
「読むと妊娠しているお母さんの姿が浮かんできますね。でも詩のタイトルとは、うまれないこども、というのがおもしろい」
--この詩では、こどもと母親がずーっと対比される形で書かれているけれど、ここは少し変かな、というところはありませんか?
「三連目の、みじろぎするという動きが、引いている感じ。まどろんでいるや、ほほえんでいると少し違う。でも、それを母が信じきっているというのがいいなあ」
--引いている、というのはどういうことですか? もう少しつけ加えてもらえますか? みじろぎと引いているの感じが、よくわからないのだけれど。
「こどもが、まだうまれたくない、と言っている。それを受け止めている」
--あ、そうなんだ。私は単純に赤ん坊がおなかのなかで蹴っていると思ったのだけれど。みなさん、どうです?
「みじろぎ、って動いているということですよね」
「いまの感想を聞いて、ふに落ちたんだけれど、最初に読んだとき、最後のいのちをしんじきってが、よくわからなかった」
「幸せな親子を単純に描いているのかな。もっとウラというと変だけれど、違うことを書いているのかも、とも」
--あ、そうですか? 私は単純に幸福な姿を美しく描いていると思ったのだけれど。
「最後の、信じきって、が気になる」
--少し視点を変えましょうか。この詩は三蓮からできていて、こども、ハハが繰り返しか書かれているんだけれど。井本さん、外国人に日本語を教えていますよね。外国人に日本語を教えるという立場から見ると、この詩に、変なところはありません?
「まだうまれないこども、という言い方かな」
--助詞のつかい方で気になることはありませんか? 一連目、まだうまれないこども「は」、ハハ「は」と主語の助詞が「は」になってますね。二連目も、こども「は」、ハハ「は」ですね。でも三連目だけ、こども「が」、ハハ「は」になっている。どうして三連目だけ、こども「が」にしたんだろう。
「あ、そうですねえ」
--「は」でも意味は同じですよね。「は」でそろえた方が、全体の統一感がある。なぜ「が」にしたんだろう。
「一連目、二連目は、ハハは起きているけれど、三連目ではハハは眠っていますね」
「三連目だけ、こどもが起きている。ハハは眠っているけれど」
--あ、なるほど。でも、そういうときは、日本語の助詞の使い方としては、ふつうは、変わっている部分を強調するとりたての助詞「は」をつかう。ほかの部分は「が」をつかうんじゃないかな?
「気がつかなかったなあ」
--谷川が意識して書いているか、無意識に「が」にしたのかわからないけれど、私は意識的に変えていると思う。そういう意味で、この「が」がキーワードだと思っています。それで、このことについて語り合えたらいいなと思う。
「私も、ここだけ「が」になっているのが気になりました」
「まどろんだり、ほほえんだりということではなく、ここだけ身じろぎすると、はっきりしたうごきがあるからかな」
「うごきが、ここだけ大きくなっている。それを強調している」
--そういう意味では、実際、もうすぐうまれてくる感じなのかな? 力強くなっているのかな。
「ほほえんだり、まどろんだりはお母さんにはわからないけれど、身じろぎはわかる」
「動くのはけっこう早くからわかりますね」
--ハハの描写で言うと、一連目はうみをみつめると具体的だけれど、二連目のきょうをたしかめながらはとても抽象的ですね。この「きょう」はほかのことばでいうと何になります?
「いきていることをたしかめる」
「いのち? いのちをたしかめながらに通じる」
--そうすると二連目の「きょう」は「いのち」と言い換えられるし、三連目の「いのち」は「きょう」と言い換えることもできそうですね。それで、全体が融合し、落ちついた感じがすごくするのだと私は思うのだけれど。
それから、三連目の「ハハはねむっている/いのちをしんじきって」は、普通に読むと「ハハはいのちをしんじきってねむっている」ということなのだと思うけれど、私はちょっと赤ん坊がいのちをしんじきってみじろぎする、ということも感じる。それで、いのちをしんじきるということばのなかでこどもとハハが一体になっている、という幸福感を感じる。
それから不思議なことは、この詩はハハはと客観的に書かれているのでハハではない人が書いたと受け取れるけれど、ハハ自身が自分のことをハハと客観視して書いたとも読めますね。私はどちらかというと谷川が書いたというよりも、あるハハが自分のことを書いた詩と受け止めて読む。
でも、これは谷川が書いた。そのとき一番不思議なのは、谷川は自分自身ではハハの体験をしていないのに、まるでハハのように書ける。
で、私はいつも思うのは、谷川は非常に耳の言い人で、他人の話を聞いて、それをそのまま自分の声としてことばにすることができるということ。七色の声、七変化の声という気がする。
「よく聞いているのだと思う」
「でも、まだうまれないこどもという表現は不思議。うまれてくるこども、とは言うけれど」
「そうだよね、ふつうはうまれてくるこどもというね」
「うまれないこどもには違和感がある」
「そうだよね。だから、詩に、なんとういかネガティブなものを感じる」
「思っちゃいけないけど、もしかすると、このままうまれないのかも、とか」
--あ、そうか。最後のぎょうが気になるというのは、そういうことだったんですね。井本さんの指摘も、そういうことだったんですね。びっくりしました。やっぱり、性別も年齢も違うひとといっしょに詩を読むというのは、驚きがあるなあ。言われてみて、初めて気がつきました。たしかに、自分の体のなかに赤ちゃんがいて、そのこどものことを「まだうまれない」とは言えないだろうなあ。
「もうすぐうまれてくるこども、っていいますね。女はね」
「男性から見ると、こういう表現はそれほど不自然じゃない、ということですか」
--私は不自然とは感じなかった。
また谷川は、よく「未生」ということばをつかう。まだうまれない、というのは谷川にとっては、ふつうに使うことばであって、それがそのまま無意識に出たということだと思う。
でもたしかに「まだうまれない」というは、「外」からの見方であって、妊娠している女性はそんなふうには言わないというのはよくわかります。
私は、肉体感覚として「これからうまれてくる」という感じを知らないので、「まだうまれない」とは違和感を感じなかった。
逆に言えば、もし女性が谷川の篠なかに「未生」ということばを読んだとき、なぜ未生なのかと思うかもしれませんね。
きょうは皆さんに勉強させていただきました。ありがとうございます、と言いたいです。
6月17日は、詩の創作。自作の詩(20行以内)を持ち寄り、感想を語り合います。
飛び入りで参加したい方は、朝日カルチャーセンター(福岡)へお申し込みください。電話092・431・7751
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評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
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「詩はどこにあるか」2019年4-5月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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