* (歩いても)
「雨になつた」という一行は、それにつづくことばを導き出すためのものだが、とても印象に残る。後半の「意味」の重いことばと向き合って屹立している。
「なる」という動詞の強さによるものだろう。
「なる」があってはじめて「消える」が効果的だ。
「消える」の主語「地名」は、やはり何かが「地名」に「なった」ものなのだ。
この四行の先立つ連に、次の行がある。
「永遠と一日」からは「永遠+一日」(永遠よりも、もう一日長い)という感じを思い浮かべてしまうが、嵯峨は対比してつかっている。
この対比を借用すると、「雨になつた」は「一日」、「地名が消える」は「永遠」なのかもしれないが、「雨になつた」が「永遠」、「地名が消える」は「一日」と読んでみるのも刺戟的かもしれない。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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私あてにメールでも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
雨になつた
そのときぼくにははじめてわかつたのだ
死んだあとの静かな土地には
地名が消えていることを
「雨になつた」という一行は、それにつづくことばを導き出すためのものだが、とても印象に残る。後半の「意味」の重いことばと向き合って屹立している。
「なる」という動詞の強さによるものだろう。
「なる」があってはじめて「消える」が効果的だ。
「消える」の主語「地名」は、やはり何かが「地名」に「なった」ものなのだ。
この四行の先立つ連に、次の行がある。
永遠と一日とのあいだを行つたり来たりしているのだろう
「永遠と一日」からは「永遠+一日」(永遠よりも、もう一日長い)という感じを思い浮かべてしまうが、嵯峨は対比してつかっている。
この対比を借用すると、「雨になつた」は「一日」、「地名が消える」は「永遠」なのかもしれないが、「雨になつた」が「永遠」、「地名が消える」は「一日」と読んでみるのも刺戟的かもしれない。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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私あてにメールでも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)