詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(23)

2019-06-12 10:59:56 | 嵯峨信之/動詞
「雑草詩篇 Ⅰ」

* (地平線から)

地平線から解き放たれて
鳥たちは西の空へなだれ落ちていつた

 これは「天地」が逆になった世界か。空へ飛び立っていく姿を「落ちていつた」と書いたのか。つまり「落ちていつた」は比喩なのか。
 私は「比喩」とは読まなかった。
 鳥が自分の立っている場所よりも低い空を飛ぶのを見ることがある。たとえば山の頂きから。あるいは、芭蕉のように峠から。
 夕暮れ、鳥たちが崖を下るように、「下」にある空に向かって「なだれ落ちていく」ように飛ぶことはある。
 嵯峨は「なだれ落ちる」という動詞をつかいたかったのだ。しかもそれを「解き放つ」ということばの言いなおしとして。

小さな齧歯類は暗い沼の淵をそそくさと横切つた

「なだれ落ちる」は「暗い」と結びつく。「西の空」も「暗い」夜と結びつく。

嵯峨のことばは、「暗さ」そのものとは結びついている感じはしないが、間接的に響きあっている印象がある。この作品では、その要素が強く出ている。
















*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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