小柳玲子『夜明けの月が』(空とぶキリン社、2109年07月20日発行)
小柳玲子『夜明けの月が』には死んだひとがたくさん出てくる。「黒い家」シリーズ(と、私は勝手に呼ぶが)には名前が書かれていない。きっと名前など必要としないくらい小柳の肉体にしみついて、生きているひとなのだろう。
その「黒い家」。長めの行がつづいたあと、最後の二行。
とても印象的だ。アパートを借りる。窓があって、そこから「ボク」が見える。それがある日、消える。「ボク」が消えると、窓も消える。壁になる。そこから「しばらく夕日が差し込んでいた」。しかし、つかのま、
それから夜が
一面に張り付いた
と展開する。
「夜」とは何か。「事実」であると同時に「象徴(比喩)」である。そして比喩であるからこそ「真実」でもある。
それが「張り付いた」。これは窓から壁に変わった、その壁に「張り付いた」ということなのだが、小柳の「肉体(思想)」そのものに「張り付いた」と読んだ。
ひとには、忘れられないことがある。それが「記憶」になる瞬間を「張り付いた」と小柳は書く。「肉体」から引き剥がせない。「肉体」の内部に食い込む思想もあるが、「肉体」の表面に「張り付く」思想もある。
それはいつまでたっても「鎮まる」ということがない。生々しく、また、まがまがしい。「黒い家」と否定的な修飾語で語るしかない。
「北村太郎さんのこと」はタイトルどおり北村太郎の思い出を書いている。いろいろ書いたあと、高校時代に読んだ詩を思い出している。
「張り付く」のかわりに「はさまれている」という動詞が動いている。「はさまれている」ものは、開くと出てくる。出た拍子に落ちることもある。そして、落ちることで、あ、ここにあったのか、と気づくこともある。
「張り付く」に比べると、すこし「間接的」な感じがしないでもないが、「肉体」が感じる「異物感/違和感」はどちらも同じかもしれない。「はさまれている」の方が「内面」を感じさせるかもしれない。内面というのは、自分でもわからないものである。
寂しい…って この世の頁のどこにはさまれているのだろう
「この世」を「この身(小柳の肉体/いのち)」と読み替えて読んだ。「はさまれている」は「さしはさまれている」と読んだ。「張り付く」との違いが、さらに鮮明になった。
*
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小柳玲子『夜明けの月が』には死んだひとがたくさん出てくる。「黒い家」シリーズ(と、私は勝手に呼ぶが)には名前が書かれていない。きっと名前など必要としないくらい小柳の肉体にしみついて、生きているひとなのだろう。
その「黒い家」。長めの行がつづいたあと、最後の二行。
それから夜が
一面に張り付いた
とても印象的だ。アパートを借りる。窓があって、そこから「ボク」が見える。それがある日、消える。「ボク」が消えると、窓も消える。壁になる。そこから「しばらく夕日が差し込んでいた」。しかし、つかのま、
それから夜が
一面に張り付いた
と展開する。
「夜」とは何か。「事実」であると同時に「象徴(比喩)」である。そして比喩であるからこそ「真実」でもある。
それが「張り付いた」。これは窓から壁に変わった、その壁に「張り付いた」ということなのだが、小柳の「肉体(思想)」そのものに「張り付いた」と読んだ。
ひとには、忘れられないことがある。それが「記憶」になる瞬間を「張り付いた」と小柳は書く。「肉体」から引き剥がせない。「肉体」の内部に食い込む思想もあるが、「肉体」の表面に「張り付く」思想もある。
それはいつまでたっても「鎮まる」ということがない。生々しく、また、まがまがしい。「黒い家」と否定的な修飾語で語るしかない。
「北村太郎さんのこと」はタイトルどおり北村太郎の思い出を書いている。いろいろ書いたあと、高校時代に読んだ詩を思い出している。
どうしてこの詩が好きで こんなに年老いるまで覚えているのか
それもよくわからない
寂しい…って この世の頁のどこにはさまれているのだろう
「張り付く」のかわりに「はさまれている」という動詞が動いている。「はさまれている」ものは、開くと出てくる。出た拍子に落ちることもある。そして、落ちることで、あ、ここにあったのか、と気づくこともある。
「張り付く」に比べると、すこし「間接的」な感じがしないでもないが、「肉体」が感じる「異物感/違和感」はどちらも同じかもしれない。「はさまれている」の方が「内面」を感じさせるかもしれない。内面というのは、自分でもわからないものである。
寂しい…って この世の頁のどこにはさまれているのだろう
「この世」を「この身(小柳の肉体/いのち)」と読み替えて読んだ。「はさまれている」は「さしはさまれている」と読んだ。「張り付く」との違いが、さらに鮮明になった。
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評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
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注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
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(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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