藤井道人監督「新聞記者」(再追加)
安倍政権の「暗部」を描いたと話題になっている映画を批判するのは、少し心苦しい。「疵」には目をつぶって、「政治映画」を撮ったことを評価した方がいいのかもしれないが、私は、やはり気になる。
こんな映画の撮り方でいいのだろうか。
映画の冒頭、画面が揺れる。ハンディカメラで撮っているのだろう。ドキュメンタリーではよくあることだ。カメラマンが被写体に迫っていく。そのとき自然に揺れてしまう。これは、いわば観客に対して、この映画は「フィクション」ではなく「ドキュメンタリー」ですよ、と告げることになる。ドキュメンタリーでなくても、それに近いものですよ、という「演出」である。役者というよりも、制作側の「演技」である。
これが、たとえば「仁義なき戦い」のように、最後までつづくのならいいのだが、途中から「手振れ」がなくなる。導入部だけドキュメンタリーを装って、途中からフィクションに「鞍替え」してしまう。
象徴的なのが最後。女性記者がスマートフォンで電話をかけながら走る。このときこそカメラは揺れないといけないのに、揺れない。カメラはフィクションであると宣言し、女優に演技をさせる。クライマックスで、内閣調査室の男が、走ってくる記者に気づき、交差点の向こうで「ごめん」と唇を動かす。このときもカメラはぜんぜん揺れない。しっかりと男の唇の動きを映し出す。しっかり映し出さないと「ごめん」が観客に伝わらないから、と言えばその通りかもしれないが、はっきり映さなくても「ごめん」とわかると思う。日本人はだいたいこういう表情を読みながらことばを理解することになれている。ここで男が「ありがとう」とか「ばかやろう」と言わないことは、わかっている。
で、これは、結局、観客の「感情」に訴えることで決着をつけるという「抒情」映画なのだ。
このことが、私はいちばん気に食わない。
政治の暗部を「抒情」にしてしまっていいのだろうか。
問題の獣医大学が、自分の息子が獣医師になりたいといったから獣医大学をつくってやるという「加計学園」のような「人情もの」なら「抒情」でも笑い話にできるが、細菌兵器をつくるための大学なら「抒情」で終わらせてはだめだろう。人間を殺す、戦争のための学問の悪用を暴くのに、「抒情」でけりをつけるというのは、私は納得がいかない。
映画を実際につくっているひとたちは、どういう思いで、この映画を見たのだろうか。つくるとしたら、やはりこんなふうに「抒情」で終わらせるのだろうか。そのことを聞いてみたい。
(ユナイテッドシネマ・キャナルシティ、スクリーン2、2019年06月30日)
安倍政権の「暗部」を描いたと話題になっている映画を批判するのは、少し心苦しい。「疵」には目をつぶって、「政治映画」を撮ったことを評価した方がいいのかもしれないが、私は、やはり気になる。
こんな映画の撮り方でいいのだろうか。
映画の冒頭、画面が揺れる。ハンディカメラで撮っているのだろう。ドキュメンタリーではよくあることだ。カメラマンが被写体に迫っていく。そのとき自然に揺れてしまう。これは、いわば観客に対して、この映画は「フィクション」ではなく「ドキュメンタリー」ですよ、と告げることになる。ドキュメンタリーでなくても、それに近いものですよ、という「演出」である。役者というよりも、制作側の「演技」である。
これが、たとえば「仁義なき戦い」のように、最後までつづくのならいいのだが、途中から「手振れ」がなくなる。導入部だけドキュメンタリーを装って、途中からフィクションに「鞍替え」してしまう。
象徴的なのが最後。女性記者がスマートフォンで電話をかけながら走る。このときこそカメラは揺れないといけないのに、揺れない。カメラはフィクションであると宣言し、女優に演技をさせる。クライマックスで、内閣調査室の男が、走ってくる記者に気づき、交差点の向こうで「ごめん」と唇を動かす。このときもカメラはぜんぜん揺れない。しっかりと男の唇の動きを映し出す。しっかり映し出さないと「ごめん」が観客に伝わらないから、と言えばその通りかもしれないが、はっきり映さなくても「ごめん」とわかると思う。日本人はだいたいこういう表情を読みながらことばを理解することになれている。ここで男が「ありがとう」とか「ばかやろう」と言わないことは、わかっている。
で、これは、結局、観客の「感情」に訴えることで決着をつけるという「抒情」映画なのだ。
このことが、私はいちばん気に食わない。
政治の暗部を「抒情」にしてしまっていいのだろうか。
問題の獣医大学が、自分の息子が獣医師になりたいといったから獣医大学をつくってやるという「加計学園」のような「人情もの」なら「抒情」でも笑い話にできるが、細菌兵器をつくるための大学なら「抒情」で終わらせてはだめだろう。人間を殺す、戦争のための学問の悪用を暴くのに、「抒情」でけりをつけるというのは、私は納得がいかない。
映画を実際につくっているひとたちは、どういう思いで、この映画を見たのだろうか。つくるとしたら、やはりこんなふうに「抒情」で終わらせるのだろうか。そのことを聞いてみたい。
(ユナイテッドシネマ・キャナルシティ、スクリーン2、2019年06月30日)