詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

藤井道人監督「新聞記者」(再追加)

2019-07-03 22:56:57 | 映画
藤井道人監督「新聞記者」(再追加)

 安倍政権の「暗部」を描いたと話題になっている映画を批判するのは、少し心苦しい。「疵」には目をつぶって、「政治映画」を撮ったことを評価した方がいいのかもしれないが、私は、やはり気になる。
 こんな映画の撮り方でいいのだろうか。
 映画の冒頭、画面が揺れる。ハンディカメラで撮っているのだろう。ドキュメンタリーではよくあることだ。カメラマンが被写体に迫っていく。そのとき自然に揺れてしまう。これは、いわば観客に対して、この映画は「フィクション」ではなく「ドキュメンタリー」ですよ、と告げることになる。ドキュメンタリーでなくても、それに近いものですよ、という「演出」である。役者というよりも、制作側の「演技」である。
 これが、たとえば「仁義なき戦い」のように、最後までつづくのならいいのだが、途中から「手振れ」がなくなる。導入部だけドキュメンタリーを装って、途中からフィクションに「鞍替え」してしまう。
 象徴的なのが最後。女性記者がスマートフォンで電話をかけながら走る。このときこそカメラは揺れないといけないのに、揺れない。カメラはフィクションであると宣言し、女優に演技をさせる。クライマックスで、内閣調査室の男が、走ってくる記者に気づき、交差点の向こうで「ごめん」と唇を動かす。このときもカメラはぜんぜん揺れない。しっかりと男の唇の動きを映し出す。しっかり映し出さないと「ごめん」が観客に伝わらないから、と言えばその通りかもしれないが、はっきり映さなくても「ごめん」とわかると思う。日本人はだいたいこういう表情を読みながらことばを理解することになれている。ここで男が「ありがとう」とか「ばかやろう」と言わないことは、わかっている。
 で、これは、結局、観客の「感情」に訴えることで決着をつけるという「抒情」映画なのだ。
 このことが、私はいちばん気に食わない。
 政治の暗部を「抒情」にしてしまっていいのだろうか。
 問題の獣医大学が、自分の息子が獣医師になりたいといったから獣医大学をつくってやるという「加計学園」のような「人情もの」なら「抒情」でも笑い話にできるが、細菌兵器をつくるための大学なら「抒情」で終わらせてはだめだろう。人間を殺す、戦争のための学問の悪用を暴くのに、「抒情」でけりをつけるというのは、私は納得がいかない。
 映画を実際につくっているひとたちは、どういう思いで、この映画を見たのだろうか。つくるとしたら、やはりこんなふうに「抒情」で終わらせるのだろうか。そのことを聞いてみたい。

 (ユナイテッドシネマ・キャナルシティ、スクリーン2、2019年06月30日)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(45)

2019-07-03 08:50:36 | 嵯峨信之/動詞
* (ぼくは何も批評したことがない)

美はついになにも語らない
ただ自分をかくすだけだ

 美が何かを語るとすれば、それは「批評」になるということか。「批評」というかたちで自己表現するのではなく、「批評」しないことによって自己表現をする。そのことを「かくす」と呼んでいる。
 隠してもあらわれるものが美ということになる。

 批評しない。では、美とはどう向き合えばいいのか。
 嵯峨は、ただ、いっしょにそこに存在する、といいたいのだろう。美がある。その存在の場所に自分の身を置く。そして、美の前で自分自身を消す(かくす)。












*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読売新聞の記事に「わくわく」

2019-07-03 08:11:48 | 自民党憲法改正草案を読む
読売新聞の記事に「わくわく」
             自民党憲法改正草案を読む/番外275(情報の読み方)

 読売新聞2019年07月02日朝刊(西部版・14版)の一面。

参院選あす公示/370人立候補予定/21日投開票

 という見出し。なんでもない「予定ニュース」。読まなくてもいい記事(でも、書いておかないといけない記事)なのだが、読んだ瞬間、私はびっくりした。
 こう書いてある。

 第25回参院選は4日、公示される。年金を含む社会保障制度のあり方が最大の争点となる見通しで、自民、公明の両与党は過半数確保による「政治の安定」も訴える。

 「老後2000万円」問題が表に出てきてから、国民の多くの関心が「年金」に向いている。だから「年金を含む社会保障制度のあり方が最大の争点となる見通し」というのは常識的な見方といえるのだが、私は読売新聞がこういう書き方をするとは思っていなかった。
 安倍は「憲法改正の議論をする党を選ぶのか、しない党を選ぶのか」というようなことを「争点」として掲げていたはずである。それを追認していない。
 記事の最後で、こう補足している。(書き直している。丸数字は私がつけた)

 争点は
①社会保障制度のほか、
②首相の経済政策「アベノミクス」の是非や
③消費増税
④北朝鮮への対応を含む外交・安全保障政策などが見込まれる。
⑤自民党は憲法改正の議論を前進させるか否かを問いたい考えだ。

 安倍のいちばんの狙いが最後に付け足されている。
 ここからわかることは、読売新聞は、今度の参院選で自民党が議席を減らすと予測しているということだ。
 議席を減らせば「敗北」なのだけれど、「自民、公明の両与党」が「過半数確保」すれば「政治の安定」を国民が選択したという論理が成り立つ。つまり安倍は「負けなかった」という主張ができる。そう読んで、「予防線(?)」をはっているのだ。「安倍は負けなかった」と言うための「記事」なのだ。
 逆に言えば、野党が「老後2000万円」と叫び続ければ、自民党は議席を減らすということになる。②の「アベノミクス」なんて、もう、安倍も言わないだろう「道半ば」は賞味期限が完全にきれている。③の消費増税は①に直結する。簡単に言えば「老後2000万円」は「老後2040万円」になる。
 選挙なので、実際どう動くかなど、シロウト読者にはわからないが、読売新聞が、「憲法改正」ではなく「社会保障(年金問題)」次第で結果が変わると予測していることだけは間違いない。きっと自民党内部で、あわただしい動きがあるのだろう。それを反映している記事だと思う。

 枝野がどれだけ「社会の動き(国民の関心)」を把握できているかわからないけれど、山本太郎は明確につかみきっている。新党が何人候補を擁立できるかわからないが、今回の選挙の「目玉」だね。
 ということで、きょうの読売新聞の記事には、ちょっとわくわくした。




#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

ページ右側の「製本のご注文はこちら」のボタンを押して、申し込んでください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする