* (水の冠をかぶろう)
「水の冠」はもちろん比喩である。しかし何の比喩だろうか。
「水」の対極にあるものは「火」。「火」は「太陽」であり、「太陽」は「光」だ。二行目の「光り」を太陽と読むと、太陽の対極に「水」があるということになる。「光りの冠」がどこかで思い描かれていて、それとは対極にある「水の冠」を嵯峨は選びとろうとしている。
太陽と天にあり、水は地にある。地よりも低いところにある。
そして、もし「水」と「光り」に共通項があるとすれば、それは「透明」。
天にある透明な光ではなく、地よりも低いところ、深いところにある水の透明さを選ぶ、と嵯峨は書いているのだと思う。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
水の冠をかぶろう
光りにはたどりつけなくても水の国へはたどりつけるだろう
「水の冠」はもちろん比喩である。しかし何の比喩だろうか。
「水」の対極にあるものは「火」。「火」は「太陽」であり、「太陽」は「光」だ。二行目の「光り」を太陽と読むと、太陽の対極に「水」があるということになる。「光りの冠」がどこかで思い描かれていて、それとは対極にある「水の冠」を嵯峨は選びとろうとしている。
太陽と天にあり、水は地にある。地よりも低いところにある。
そして、もし「水」と「光り」に共通項があるとすれば、それは「透明」。
天にある透明な光ではなく、地よりも低いところ、深いところにある水の透明さを選ぶ、と嵯峨は書いているのだと思う。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)