詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(62)

2019-07-20 09:58:39 | 嵯峨信之/動詞
* (遠いところはどこにもある)

しかしぼくの心の一方から他の一方への間ほど遠いところはない

 嵯峨の詩(ことば)は論理的である。論理という構造の中に詩がある。
 そう理解した上で、あえて書いておく。
 論理は危険だ。何かを言った気持ちにさせてしまう。読んだ気持ちにさせてしまう。論理にあわせて、ことばが動いてしまう。それが何かを「発見」させた気持ちにさせる。
 嵯峨の書いている一行はまったく別な風にも言い得る。

しかしぼくの心の一方から他の一方への間ほど近いところはない

 どんなに矛盾した思いも、こころのなかでは重なり合っている。あるいは、それはまじりあって一つになっている。だから、ことば(論理)にならない。意味にならない。喉を駆け抜けていく叫びにしかならない。そういう日を経験したことがありませんか?








*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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