* (遠いところはどこにもある)
嵯峨の詩(ことば)は論理的である。論理という構造の中に詩がある。
そう理解した上で、あえて書いておく。
論理は危険だ。何かを言った気持ちにさせてしまう。読んだ気持ちにさせてしまう。論理にあわせて、ことばが動いてしまう。それが何かを「発見」させた気持ちにさせる。
嵯峨の書いている一行はまったく別な風にも言い得る。
しかしぼくの心の一方から他の一方への間ほど近いところはない
どんなに矛盾した思いも、こころのなかでは重なり合っている。あるいは、それはまじりあって一つになっている。だから、ことば(論理)にならない。意味にならない。喉を駆け抜けていく叫びにしかならない。そういう日を経験したことがありませんか?
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
しかしぼくの心の一方から他の一方への間ほど遠いところはない
嵯峨の詩(ことば)は論理的である。論理という構造の中に詩がある。
そう理解した上で、あえて書いておく。
論理は危険だ。何かを言った気持ちにさせてしまう。読んだ気持ちにさせてしまう。論理にあわせて、ことばが動いてしまう。それが何かを「発見」させた気持ちにさせる。
嵯峨の書いている一行はまったく別な風にも言い得る。
しかしぼくの心の一方から他の一方への間ほど近いところはない
どんなに矛盾した思いも、こころのなかでは重なり合っている。あるいは、それはまじりあって一つになっている。だから、ことば(論理)にならない。意味にならない。喉を駆け抜けていく叫びにしかならない。そういう日を経験したことがありませんか?
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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