詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(57)

2019-07-15 21:52:11 | 嵯峨信之/動詞
* (死は通過する)

そのとき子供が鋭い叫びごえをあげた
無垢な呪いのきびしさにひとびとは竦然とする

 「死は通過する」。そのことに大人は気づいたか。あるいは逆に、そのことを知っていたか。知っていて、その瞬間を待っていたと読みたい。
 子供には、その認識はない。認識するのではなく、子供は「直感」する。何かしらないことが起きる、と。そして「叫びごえをあげる」。泣きだすのかもしれない。
 これを嵯峨は死への「呪い」と受け止め、「きびしさ」と受け止める。怒り、抗議を通り越して、「呪い」にまで達してしまった「感情」。
 「呪い」は「呪う」と動詞にして読むと、もっと生々しくなる。子供は(赤ん坊は、と読みたい)、死を呪う。それが、やがて自分にもやってくることを「認識」ではなく、直接的な「事実」としてつかみ取っていることになる。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする