* (ぼくは帰る場処がない)
「帰る場処がない」が「行く場処がある」というわけではないだろう。「帰る」と「行く」は対になっているから、「帰る場処がない」ぼくには「行く場処もない」だろう。
では、どこへ「急いでいる」のか。
「そつた」(沿う)を修飾語ではなく「動詞」そのものとして読んでみる。
「帰る」か「行く」か、わからない。けれど「沿う」ことができるものがある。「果樹園」も「夜」も具体的な場所ではなく「比喩」かもしれない。
「急いでいる」のは「肉体」ではなく「ことば」かもしれない。
思想が動くときの、一つのあり方が描き出されている。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
ぼくは果樹園にそつた夜道をひたすら急いでいる
「帰る場処がない」が「行く場処がある」というわけではないだろう。「帰る」と「行く」は対になっているから、「帰る場処がない」ぼくには「行く場処もない」だろう。
では、どこへ「急いでいる」のか。
「そつた」(沿う)を修飾語ではなく「動詞」そのものとして読んでみる。
「帰る」か「行く」か、わからない。けれど「沿う」ことができるものがある。「果樹園」も「夜」も具体的な場所ではなく「比喩」かもしれない。
「急いでいる」のは「肉体」ではなく「ことば」かもしれない。
思想が動くときの、一つのあり方が描き出されている。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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