詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

選挙報道の罠

2019-07-08 19:27:31 | 自民党憲法改正草案を読む
選挙報道の罠
             自民党憲法改正草案を読む/番外277(情報の読み方)

 読売新聞2019年07月08日朝刊(西部版・14版)の一面。

参院選 日曜の舌戦

 という見出しで07日の各党党首の遊説を紹介している。安倍については、こう書いている。(丸数字は私がつけた。)

年金問題について、①「野党は財源の裏打ちのある議論をせず、不安をあおっている」と批判した。政権奪還以降の約6年半の経済成長の実績を強調し、②「政策次第で年金を増やせる。しっかりした年金財政をつくるため、強い経済をつくっていく」と訴えた。

 ①については、読売新聞の2面には、こう書いてある。

財源確保について、立憲民主や国民民主、共産、社民党は、企業や高所得者への課税強化を優先すべきだとして、企業の内部保留や企業向けの税制優遇措置、金融資産への課税の見直しなどを提案している。

 野党は、ちゃんと「財源」をどうするか提案している。しかし、安倍は「野党は財源の裏打ちのある議論をせず」と言っている。間違った主張をしている。それを読売新聞はそのまま伝えている。もちろん、読売新聞は安倍の「声」をそのまま伝えているのであって、「声」そのものは間違っていない。
 ②も同じことが言える。読売新聞は安倍の「声」をそのまま正確に伝えている。しかし、そこで語られているのは「強い経済をつくっていく」という主張だけであり、「財源」については具体的には語っていない。「強い経済」がつくれないときは、年金は確実に減る。「財源の裏打ち」については何も語っていない。2面を読んでも、消費税のうちいくらを年金にあてるかは言っていない。
 代わりに、こう書いてある。

 政府は消費税による負担増を約5・7兆円と想定し、軽減税率で約1・1兆円、10月に始まる幼児教育の無償化などで約3・2兆円分の負担を減らした上で、ポイント還元制度やプレミアム付き商品券の発行、減税など約2・3兆円の経済対策を行うことにしている。

 「年金」にいくらまわすのか。1円もまわさないようだ。これは「5・7兆円」の「増収」に対して「支出」はどうなっているか、みることでわかる。「支出」は「1・1+3・2+2・3=6・7」兆円。つまり、「消費税増税」からは、「年金」にまわすことを考えていないということだ。
 それどころではない。ここに書かれている試算では、消費税を増税しても「1兆円」もの赤字になる。どう言うことか。何が起きるのか。
 さらりと書かれている「減税」に注目しないといけない。「何税」を減税するか明記していない。住民税? 所得税? 違うだろうなあ。それならば、きちんと明記するはずである。きっと「法人税」である。「法人税」を減税することで、企業の経済活動をうながす。それによって経済を活性化させる。これは、「ものはいいよう」の類である。消費税で法人税を減らすという企業優先策に他ならない。企業も「消費税」を払わないといけない。その分を「減税」で相殺どころか、穴埋めしようとしている。
 安倍の考えている「消費税増税」の「財源」について書かれた「数字」から、そういうことが「裏打ち」できる。
 さらに「将来」についても考えてみよう。安倍の政策のうち、消費者が恩恵を受けるものに「プレミアム付き商品券」というものがある。これはプレミアムという具合だから、今回かぎり。つまり「将来的」にはなくなる。安倍がプレミアム商品券の「国家負担」をいくらと想定しているのかしらないが1兆円と仮定すると、来年度からは「1兆円」の赤字がなくなる。でも、それは「企業に対する減税」をやめるからではなく、あくまでもプレミアム商品券をやめるからだ。消費者には一回かぎりのプレミアム商品券で「恩恵があります」とごまかし、他方で企業への減税をつづける財源のために消費税がつかわれる。
 こういうテクニックで、安倍は企業を囲い込み、国民を貧困に追いやる。これがアベノミクスの「政策」なのだ。
 こういうことを、新聞はきちんと書かないといけない。だれそれが、こうこう言っている。それを「正確」にコピーするだけではなく、それはどういう「意味」なのかを分析しながら伝えないといけない。(私の「分析」は間違っているかもしれないが、そういう「分析」は成り立つ。)

 この日の報道でもうひとつ問題がある。他紙もそうかもしれないが、「党首」として紹介しているのは安倍・自民、山口・公明、枝野・立憲民主、玉木・国民民主、志井・共産、松井・日本維新、吉川・社民であり、「れいわ」や「おりーぶの木」などについては触れていない。参議院での「党」の要件を満たしていないからだろう。
 それは、ある意味では仕方がないことなのかもしれないが、ここから別の問題が生まれる。こういう報道の仕方では、既成政党の主張は伝わるが、「党」として認定されていない新しい団体、いわば「少数意見」は紹介されない。「少数意見」は存在しないことになる。
 少数意見を紹介しない「ルール」は、民主主義の否定につながる。少数意見を紹介する方法を考えないといけない。
 先日書いたことだが、「政党」を横断する形で、個性的な活動をしているひとを紹介するという方法もあっていいのではないか。以前、女性候補者が「マドンナ」と定義された時代には、各党の女性候補を紹介するということがあったと記憶している。既成の議員とは違う活動をしてきたひと、タレント候補の比較から始まり、多様な性を生きている候補、障害児をかかえる候補、認知症の老人を抱える候補、さらには本人が障害者であるという候補……。彼らの「声」を、党を横断する形で紹介するという報道があっていいはずだ。具体的な生活から政治をみつめるとどうなるのか、議員になることで何をしたいのか。彼らの声は、何よりも「自分が何をしたいか、自分にとって何が必要か」を明確にあらわしている。「国家」ではなく「個人」にとって問題なのは何かを具体的に語っている。その「声」からしかわからないことがたくさんあるはずだ。
 「政策次第で年金を増やせる」というのは「政策次第で年金を減らせる(その分を企業の減税にあてることができる)」という意味でもある。安倍自身は、自分の生活で「苦難」に直面していないから、個人の問題をテーマに政治を語ることができない。けれど国民はそれぞれ「個人の困難」を抱えている。同じ困難、苦難を抱えているひとが「政治」をどうかえたいと言っているか、その「声」を聞きたい。彼らが議員になれなかったとしても、その「声」から日々の暮らしを建て直すヒントが聞けるかもしれない。

 投票に行こう。もし、どこに投票していいか判断に迷ったら、「少数意見」を主張者に投票しよう。少数者が大多数のひとと同じように、しっかり生きていけるように、投票しよう。多様なひとが自由に生きられる社会のために。
 迷ったら、「れいわ」「山本太郎」と投票しよう。れいわから立候補しているひとは、それぞれが「自分の声」で語っている。だから彼らが語る「ことば」は「個別的」である。直接、「私」の生活にはつながらないものもある。でも、世の中はたいていが「私の生活」そのものではない。ひとはそれぞれが「私の生活」を生きている。自分の生活でせいいっぱいである。せいいっぱい生きているひとといっしょに生きていきたい、と私は思う。


#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(50)

2019-07-08 09:01:03 | 嵯峨信之/動詞
* (余白の村にある未完の寺)

丘の上は一日中青空がひろがつていた
その他物音ひとつしない

 青空があるだけ。物音がしない。時間が止まったような世界。
 でも「その他」というのは何?
 「物音ひとつしない」というのは、静寂、あるいは沈黙。嵯峨は、その絶対的な沈黙を「音」として聞いており、それ以外の音は聞こえないと言うのだ。
 この沈黙は「余白」か、あるいは「未完」か。どちらでもない。完成した絶対的な充実である。

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